2010年11月アーカイブ

「日本文化」

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シャラの樹肌

 朝、少しの時間を作って自然薯掘り。
 退勤後、落ち葉かき5袋。

 これから集めるのは、落ち葉堆肥第2次分の材料である。
 コーランを使うから、速成堆肥ではあるが、一回作るのに2ヶ月はかかる。
 落ち葉を集めるのも、仕込むのも、切り返しも、すべて重労働である。
 今はまだ暖かいからいいが、北からの強風が吹きすぎる中で、落ち葉を集めるのはたいへんだ。

 こういうことをしている人は、今やほとんどいないが、これが日本の百姓のやり方である。
 過日のスピーチ「秩父山里生活記」では、日本列島における、1万年になんなんとする、人間の生活の知恵の総体が「日本文化」なのであると強弁した。

 「日本文化」の核心を捨てることこそ、反「日本」的な所業にほかならないのだが、「愛国心」を説くような連中が「農業など、もうよろしいんじゃないでしょうか?」などと口走るのだから、論理矛盾も甚だしい。

 写真は、一昨日、奈良倉山で見たナツツバキの樹肌。

落ち葉堆肥の仕込み

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24袋の落ち葉をコンパネ製醗酵器に詰め込む

 家をちょっと片づけて、豆仕事を少々やった後、畑に行って、落ち葉堆肥の仕込み。
 24袋の落ち葉を仕込んだ。

 大仕事ができたので、よかった。
 来週からほぼ年内いっぱいまで、切り返しという重労働が待っている。

 善光寺雪菜が伸びてきたので、間引き菜を摘んだ。

奈良倉山

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初冬の若ブナ林

 太平洋高気圧が列島を覆うという予報だったので、小菅村の奈良倉山を歩いてきた。

 奈良倉山は、鶴峠と松姫峠の間のピークだが、ここを歩くには、松姫峠行きのバスが走っていたほうが好都合だ。
 いつかも利用した、富士急の季節バスの運行終了も近いので、朝寝もしたいが、せっかく好天になりそうなので、頑張って早起きしてみた。

 山自体は、とてもイージーで、歩行時間は2時間もなかったが、期待した展望は、昨夜通過した気圧の谷の影響が残って、皆無だった。

 行きは奥多摩まわりで行ったが、奥多摩街道の渋滞を嫌って、帰りは雁坂まわりにした。
 雁坂トンネル近くで、大量の落ち葉を軽トラックに積んで、畑へ直行。

 堆肥仕込みの準備と枯れ草燃しをしていたら、真っ暗になった。

太白芋のタルト

 午前中で雨があがったので、大豆の処理。
 出来が今ひとつとはいえ、大量にあるので、味噌を仕込むのに不足しない程度にはできているから、さやをもいで種実を取り出し、虫食いなどの不良豆をえり出すのは実に辛気くさい仕事である。
 お昼過ぎまでやって飽きたので、午後から秩父市内へ食事に出かけた。

 出かけた先は、年に一日しか営業しない「落羽松」というお店だった。
 ここで濃厚なパスタをいただき、お土産にさつま芋のタルトを買って小鹿野へ戻り、夕暮れまで農作業。

 小豆の収穫。
 大豆の引き抜き。大豆はこれで終了。

 短形自然薯の掘りとり。
 自然薯はまだ、大量に残っている。

 写真は、おみやげに買ったタルト。
 秩父地方在来品種の「太白」という芋を使っている。
 太白は、ベニアズマなどより気難しく、収穫も少ないらしい。
 甘みがさほど強くないので、加工すると美味しい。
 秩父市では最近、町おこしの一環として、太白芋をプッシュしているようだ。

食用ホオズキ

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 朝から第49回秩父駅伝のレースに出場。とはいっても、タスキがつなげればよしとする程度の親睦レースではあった。
 今年からまたコースが変更になって、自分の走った第一区は、多少短いとはいえ、急な登りと急な下りがそれぞれ2ヶ所ずつ出てくるという残酷なコースだった。
 忙しさのため試走もままならず、開会式前にコースをちょっと下見していきなり本番に臨んだのだが、ちっとも速くなかったものの、途中でリタイアなどしないでよかった。

 午後はずっと農作業。
 なす・ヤーコン・里芋・ウコン・コンニャクなどの片付け。
 いろいろ掘ったので疲れた。

 大豆の収穫りの続き。

 ところで、このところ使っていたパソコンがいきなり壊れた。
 バイオスは起動するのだが、Windowsが起動しない。
 どうしてもだめなので、最後の手段でフォーマットして再インストールを試みたが、それもだめだった。

 パソコンを新しくするしかなさそうだが、パーツの相性などをいちいち調べている暇がないので、パーツショップの組み立て済みパソコンを買うつもり。

 食用ホオズキが熟しているのだが、空の実が多く、食せる実はいくつもついていなかった。

足踏み脱穀機

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足踏み脱穀機

これから風選しなければならない

 午前中、大豆いじり。
 えんれいはうまくできなかったので、殻から種実を取り出すのも一苦労だ。
 赤大豆は、かなりうまくいったのだが、うまくいった理由もうまくいかなかった理由も、よくわからない。

 えんれいがうまくいかなかったのは2度目なので、来年は赤大豆と種子が手に入った「借金なし」を作ろうと考えている。
 「借金なし」とは、当地在来の大豆品種で、多収穫のため、借金を済(な)すことができるという意味で命名されたものである。

 午後は、大量の薪作りと陸稲の脱穀。
 陸稲は「ゆめのはたもち」だが、あまり作らなかったので、足踏み脱穀機で脱穀する。
 脱穀後は、藁屑が大量に混入しているから、風選しないと使える籾にならない。
 籾にまでできたら、近くに籾摺り機付き精米機のある山に出かけて、精米してくるのである。
 今年は、本格栽培のための種子作りのつもりだったが、餅の一つも作れるだろうか。

善光寺雪菜

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 16日に氷点下を記録したが、その後は寒いとはいえ、プラス気温が続いている。

 超多忙状態につき、農作業ができないので、出勤前のわずかな時間に大豆の収穫(ただ抜いてくるだけ)と日没後に落ち葉集めを少々程度しかできない。

 大豆は、えんれいが今ひとつで、少しだけ作った赤大豆がまずまず。
 赤大豆は気むずかしいので、作るのをやめるつもりだったのだが、場所が余ったので少しだけ種をまいたのだが、どうしてうまくいったのか、わからない。
 とにかく、大豆は気むずかしい。

 善光寺雪菜が伸びてきた。
 このままでは、いずれ成長が止まるので、ビニールを軽く掛けてやらねばならないだろう。

原木きのこ

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ナメコ


シイタケ

 昨日は、学生時代の友人たちとの同窓会があって、遅くに帰宅した。
 同窓会で、「秩父 山里 生活記」というテーマで駄弁を弄したのち、けっこう遅くまで飲んでいた。

 1970年代後半の大学は、それ以前のように、暴力集団による日常的な支配が行われていたわけではなかったものの、武装した「学生」による流血事件や、一部教師への授業妨害、バリケードストライキなどは珍しくなく、学生自身による自治や民主主義の回復が課題だった。
 そのようなときに、見ぬふりせずに過ごせたことは、自分にとって幸福だったと思う。
 そして、同じ時間を共有した学友たちには、心から感謝している。

 今日は終日、薪作り。

 樫の木と樹種不明の流木には手こずったが、思ったより片づいた。
 木はまだ残っているが、薪には当分不自由しない。

 原木栽培のナメコとシイタケがよく出ている。
 ナメコもシイタケも、オガクズを使った菌床栽培がほとんどだが、見た目は同じようでも、原木栽培のものは、味がずっと深い。

要害城址

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古い石垣が残る

棚田ごしに見る

 今日も、落ち葉かき2袋。
 だいたい18袋くらい集まったら、堆肥を仕込むことができる。
 今月下旬には、第1回の堆肥仕込みになるだろう。
 その後は、切り返しという重労働になる。

 写真は、要害城址。
 独立峰然としたピークであるが、小さな沢が複雑に食い込んでおり、地形図を見て地形をイメージするのはそう簡単ではない。

 さらに曲輪や空堀や堀切が無数に築かれており、ここを力で攻め落とすのは容易でない。
 しかし、いかんせん、規模があまりにも小さいのである。
 1000人ほどに包囲されたら、水・食糧はあっという間に尽きてしまうだろうと思えるほどである。

 実際に利用されたのは、信玄の父信虎の時代で、信玄がこの山城で生まれたという説があり、山頂にはなぜか、東郷平八郎の揮毫による石碑が建てられていた。

 麓の積翠寺集落は、小さな扇状地に展開する美しい村だった。

不思議な石造物

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山梨岡神社鎮座跡

大石と石祠

大堺と彫られた石

深草観音の千手観音

 最低気温が連日、公称プラス1.2度の朝だが、今朝は霜が降りて周囲が白かった上、バケツに汲んでおいた水に氷が張ったから、このあたりでは氷点下になったと思われる。
 いよいよ冬が近づいた。

 というわけで、自分的冬の風物詩・落ち葉かきの季節となった。
 退勤後、ケヤキの落ち葉を少々、集めた。

 写真は、昨日のヤブ山歩きで見た石造物たち。

 山梨岡神社鎮座跡という石碑は、大蔵経寺山中腹のヤブの中にあった。歩行もままならないひどい草やぶなのだが、ヤブの中にこの石碑や何本もの街路灯が建っていて、じつに奇妙だった。

 上右の大石と石碑は、登山道にあったものだが、見方によってはエロティックな、しかし生命信仰を示すものともとれる、奇妙な祠である。

 下左の石も、登山道近くにあったものだが、大堺とはなんなのか、わからない。

 下右の石仏は、山中の石窟をお堂として利用した前代未聞の深草観音近くに祀られていたもので、ご覧のように千手観音である。
 この観音堂のような形のお堂は見たことがない。
 昔はこんなのがどこにもあったのだろうか。

 ちょっとした山を歩いていると、不思議な発見が多くて、けっこう気になってしまったりする。

夕日

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夕日

 職場のイベントが昨日終わり、ようやく休みがとれた。
 写真は、イベント終了後、職場の3階から見た夕日。
 陽の落ちるのが早くなって、17時には暗くなってしまう。

 本日、午前中は、大量の薪作り。
 頂きもののカシの幹を割ったのだが、恐ろしく硬くて、重い。

 午後は、畑で農作業。

 玉ねぎ苗の植えつけ。全部で200本くらいか。
 早生玉ねぎは、あまりよくできなかったが、普通種(アトン)はよい苗になった。

 ピーマンの片づけ。
 白菜の片づけ(半分)。

 自然薯の収穫。
 あずきの摘み取り。

大蔵経寺山から要害城址

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クロモジ

 昨日頑張ったので、今日は朝から終日、遊んだ。

 石和温泉駅から大蔵経寺山に登り、尾根上の踏み跡を岩堂峠までたどって、要害山(城址)に登り返して積翠寺に下り、武田神社(躑躅ヶ崎館あと)まで歩いた。

 いい雑木林だったが、展望はあまりなく、踏み跡も、さほどはっきりしてはいなかった。
 きのこはまったく、なし。

 武田神社の宝物館を参観したが、とても充実していた。

 写真は、黄葉したクロモジ。

赤沢谷遡行記

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出始めたムキタケ

 職場のイベントが始まった。
 本日の業務は、駐車場で棒振りだったが、時間には退勤することができたので、体がずいぶん休まる。

 赤沢谷遡行記を追加。

信玄ブナ

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信玄ブナ近況

 連日、職場のイベント準備で2時間ほどの超過勤務。
 たいへん忙しい。
 できれば玉ねぎ苗を早く植えたいのだが、なかなか時間がとれない。

 写真は過日、赤沢谷の帰りに会ってきた信玄ブナ。
 「信玄ブナ」とは、私が勝手に名づけた名前なのだが、なぜそう呼んでいるかについては、ずいぶん以前に書いたりした。

 その頃、このブナの生えている一帯は、スズタケの密生したヤブだったのだが、今はすっかりササが枯れて、気持ちのよいブナ・イヌブナ林になっている。

 この巨ブナは、ブナハリタケやヌメリツバタケモドキがびっしり生えるほどなので、まもなく枯れてしまうのではないかと心配したが、ずいぶん年老いた感じはするが、未だ元気だ。
 この調子で行けば、私よりは確実に長生きすると思われる。
 けっこうなことである。

赤沢谷

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やや増水気味


カツラのある河原


秋色の渓

 久しぶりによく晴れた一日、瀬音・源流部会の皆さんと、入川支流・赤沢谷の清掃に行ってきた。

 この清掃山行も、大洞川支流の荒沢谷・市ノ沢・和名倉沢、大除沢、入川本流ときて、今年で6回目になる。
 10数年前と比べて、釣り人によるものと思われる目立つゴミは、ほとんど皆無となった。
 釣りに行くたびに大量のゴミを持ち帰っていた時代を思い起こすと、まさに隔世の感がある。

 台風後のためやや増水した赤沢谷は、モミ谷出合付近の軌道あとで二ヶ所の大崩壊ができていて荒れた印象だったが、沢そのものは、相変わらず小奇麗にまとまった明るい沢だった。

 この時期はきのこも期待できるのだが、ヒラタケ・ムキタケ・ブナシメジなどをいくらかいただいてくることができた。

 夕方から日没まで、農作業。
 玉ねぎ苗予定地の耕耘・畝立て・マルチ張り。
 陸稲の刈り取り。陸稲は種まきが遅すぎたため、じゅうぶん熟さないうちに晩秋となってしまった。

蕎麦粒山山行記

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このあたりの紅葉はまだ早い

ハウチワカエデ紅葉

ミズナラ

落ち葉を踏む

 相変わらず、多忙中。
 今週末に予定されている職場のイベントが終わるまで、当分の間、パニック状態が続く。
 明日は休みなのだが、仕事が進まないから、明後日以降が厳しくなる。

 蕎麦粒山山行記を追加。

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