秩父事件

小海町へ

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秩父暴徒戦死者の墓

 ちょっくら人に会いに小海町へ。
 待ち合わせ時刻にいくらか余裕があったので、馬流駅近くの秩父暴徒戦死者の墓にお参り。

 明治17年11月9日早暁。
 秩父困民党は、陸軍高崎鎮台兵と銃撃戦を交わして壊滅した。
 引き取り手のなかった異郷の若者たちを、ここの人々は丁重に葬ってくださった。

 昭和9年。
 事件50年を経て、この地に建てられたのがこの墓石である。

 墓地はいつ来てもきれいに清められ、ここへ至る道標は秩父市内よりずっと多い。
 人の優しさとは、いつまでも忘れない心のことなのだ。

椋神社

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椋神社

 秩父事件史跡めぐりの打ち合わせ。
 天気がどうにかもってくれたので、終わってから夕方まで農作業。

 らっきょう植えつけの準備。
 草むしり。

 写真は、椋神社の狛犬。

石間谷

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石間谷

 石間谷の秩父事件史跡を終日、歩いた。
 落合寅市・新井悌次郎・加藤織平・加藤太次郎・柿崎義藤・高岸駅蔵など。
 沢戸や半納まで足を伸ばすことはできなかった。
 沢戸のトバ口で見た風景。
 おそらく重機など使わずに積まれたこの石垣を見ると、底知れぬ人間の知恵に感嘆する。

 午後から寒冷前線が通ったとみえて、雨が少し降って、恐ろしく寒くなった。
 明朝の遅霜に備えて、インゲン苗に網をかけた。

新井周三郎

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新井周三郎墓所

(おれ) 久しぶりだな。景色が変わっちまって、あんたのお墓を探してウロウロした。
(周三郎) ご老人はどちらかな。
(おれ) 通りすがりのものさ。今日は車山に登って、氏邦のことを考えていた。降りてきたら、ちょうどここだったんで、寄ってみた。
(周三郎) 暇な人だな。近ごろの民の暮らしむきはどうだい ?
(おれ) ひどいもんだ。とはいえ、政治家の陰口を垂れるやつは多いが、あんたみたいに「圧政を変じて良政に改め、人民を安楽にするべし」と言って武器をとる人はいない。
(周三郎) 寝ぼけたことを言うな。立憲政治といい、自由な世界といい、おれたちの命と引き換えにやっと実現したもんじゃねえか。
(おれ) おれに言われたって困るんだが。
(周三郎) 肝の小せえ人だな。田代さんなんかとはえらい違いだ。政治っつうのは、理に叶い、法に叶い、情に叶わなきゃいけねえんだ。
(おれ) そう言や、昭和の時代にもそんなこと言ってた人がいたな・・・。

風布村

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石垣

 秩父事件の史跡めぐりで終日長瀞町を歩く。
 この家の主だった若者は、日本陸軍の村田銃による弾幕の中を、「進め、進め」を仲間を叱咤しつつ、自らは倒れた。
 ここに今、住む人はいない。

桜花堂

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桜花堂

 秩父事件研究顕彰協議会の方たちと、皆野町下日野沢・上日野沢の耕地をつなぐ道を歩いてきた。
 今日は、重木から小松・門平と歩いた。

 文字に書かれた言葉が残っているので、135年前の人びとを、あたかも親しい人々のように思っている。

 小松耕地の新井チヨは、秩父事件のとき、近所の家を訪ね歩いて、「刀や鉄砲を持って出ろ」とふれ歩いた。
 ときに彼女は17歳。
 兄の蒔蔵は、秩父困民党の下日野沢小隊長だった。

 事件後に捕まって縛り上げられ、厳しい取り調べを受けながら、「困民党は広くみんなが助かることなのて、よいことだと兄に言われた。悪いことをしたとは思っていない」と、警察官に言い返した。

 晩年のチヨが住まったのが、この桜花堂だった。

 「チヨお婆、いるか」と声をかけたが、返事はなかった。
 満開のシャガに囲まれて、今日のチヨはいい気分だったのだろう。

史跡めぐり

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落葉したダケカンバ


沼ノ平


山麓の紅葉

 ほぼ終日、史跡めぐり案内の資料作り。

 今回案内する予定の団体は、知人を介して、6月頃に案内の打診があり、8月下旬には希望コースの概要を携えて秩父に来られ、直接面談して問題点を洗い出し、その後メールで打ち合わせを重ねてきた。
 今のところ、当日は晴れ予報なので、このまま推移してほしい。

 1ヶ月ほど前にも、市役所の担当課を介して、史跡めぐり案内の依頼があった。
 こちらは依頼された日を終日、空けて待っていたのだが、当日に至るもなんの連絡もなく、どうやら一方的にキャンセルしたらしい。
 申し込まれたのがどこのどなただか知らないが、迷惑なことだ。

 安達太良山山行記を追加。

朝の夏沢峠

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朝の夏沢峠

 秩父神社で、権宮司の薗田建氏による「秩父夜祭と田代源左衛門」と題する講演会があったので、聴いてきた。
 なかなか面白く、秩父事件の位置づけについてちょっとしたパラダイム転換ができそうな気がしてきた。

 終わってから、農作業。

 留守の間に倒伏したつくね芋と黒ゴマのメンテナンス。
 思うに、突風を伴う夕立があったようだ。

 四角豆がようやく、でき始めた。

 写真は、23日朝の夏沢峠。
 四日間で、太陽らしきものを見たのはこの瞬間だけだった。

競進社模範蚕室

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競進社模範蚕室

 朝から田植え。

 自宅周辺は終日雨だったが、畑や田んぼのある小鹿野市街地周辺は、曇り案配ながら青空が見えていた。
 おかけで、さほど暑い思いをせずに田植えが終わった。

 少々疲れてはいたが、午後を回ってからプチお出かけ。
 児玉町の競進社模範蚕室を見学してきた。

 これは完成形なので、木村九蔵が明治前期に考えていたものと同一とは限らない。
 しかし、温度と湿度を制御することにより好結果を得るという基本ラインですでに完成していたので、おおむねこのような蚕室(高窓付きの家屋)が普及しつつあったのだろう。

 これだけの建物を建てようとすれば、現在なら数千万円の投資が必要になろう。
 ここから、秩父民衆の負債の内容が設備投資資金だったのであったという仮説が、現実的になる。
 同時に、「秩父暴動雑録」に記載されている高利貸の暴利が、じっさいのところ一般的だったのかについての疑念も生じる。

 とても有意義な見学だった。

積雪の里山

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トレース


雪庇


やせ尾根の下り

 朝から、雪降り。
 やがてみぞれに変わったので、道路は今のところ問題なし。
 友人たちが今朝、奥多摩に登山に行ったのだが、おそらく苦戦しているだろう。
 自分も明日朝から、御前山に登る予定。

 終日、秩父事件関係の集まり。
 大学時代の恩師のご講演を聴くことができて、感激した。

 写真は今日も、高山の風景。

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