秩父事件

桜花堂

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桜花堂

 秩父事件研究顕彰協議会の方たちと、皆野町下日野沢・上日野沢の耕地をつなぐ道を歩いてきた。
 今日は、重木から小松・門平と歩いた。

 文字に書かれた言葉が残っているので、135年前の人びとを、あたかも親しい人々のように思っている。

 小松耕地の新井チヨは、秩父事件のとき、近所の家を訪ね歩いて、「刀や鉄砲を持って出ろ」とふれ歩いた。
 ときに彼女は17歳。
 兄の蒔蔵は、秩父困民党の下日野沢小隊長だった。

 事件後に捕まって縛り上げられ、厳しい取り調べを受けながら、「困民党は広くみんなが助かることなのて、よいことだと兄に言われた。悪いことをしたとは思っていない」と、警察官に言い返した。

 晩年のチヨが住まったのが、この桜花堂だった。

 「チヨお婆、いるか」と声をかけたが、返事はなかった。
 満開のシャガに囲まれて、今日のチヨはいい気分だったのだろう。

史跡めぐり

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落葉したダケカンバ


沼ノ平


山麓の紅葉

 ほぼ終日、史跡めぐり案内の資料作り。

 今回案内する予定の団体は、知人を介して、6月頃に案内の打診があり、8月下旬には希望コースの概要を携えて秩父に来られ、直接面談して問題点を洗い出し、その後メールで打ち合わせを重ねてきた。
 今のところ、当日は晴れ予報なので、このまま推移してほしい。

 1ヶ月ほど前にも、市役所の担当課を介して、史跡めぐり案内の依頼があった。
 こちらは依頼された日を終日、空けて待っていたのだが、当日に至るもなんの連絡もなく、どうやら一方的にキャンセルしたらしい。
 申し込まれたのがどこのどなただか知らないが、迷惑なことだ。

 安達太良山山行記を追加。

朝の夏沢峠

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朝の夏沢峠

 秩父神社で、権宮司の薗田建氏による「秩父夜祭と田代源左衛門」と題する講演会があったので、聴いてきた。
 なかなか面白く、秩父事件の位置づけについてちょっとしたパラダイム転換ができそうな気がしてきた。

 終わってから、農作業。

 留守の間に倒伏したつくね芋と黒ゴマのメンテナンス。
 思うに、突風を伴う夕立があったようだ。

 四角豆がようやく、でき始めた。

 写真は、23日朝の夏沢峠。
 四日間で、太陽らしきものを見たのはこの瞬間だけだった。

競進社模範蚕室

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競進社模範蚕室

 朝から田植え。

 自宅周辺は終日雨だったが、畑や田んぼのある小鹿野市街地周辺は、曇り案配ながら青空が見えていた。
 おかけで、さほど暑い思いをせずに田植えが終わった。

 少々疲れてはいたが、午後を回ってからプチお出かけ。
 児玉町の競進社模範蚕室を見学してきた。

 これは完成形なので、木村九蔵が明治前期に考えていたものと同一とは限らない。
 しかし、温度と湿度を制御することにより好結果を得るという基本ラインですでに完成していたので、おおむねこのような蚕室(高窓付きの家屋)が普及しつつあったのだろう。

 これだけの建物を建てようとすれば、現在なら数千万円の投資が必要になろう。
 ここから、秩父民衆の負債の内容が設備投資資金だったのであったという仮説が、現実的になる。
 同時に、「秩父暴動雑録」に記載されている高利貸の暴利が、じっさいのところ一般的だったのかについての疑念も生じる。

 とても有意義な見学だった。

積雪の里山

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トレース


雪庇


やせ尾根の下り

 朝から、雪降り。
 やがてみぞれに変わったので、道路は今のところ問題なし。
 友人たちが今朝、奥多摩に登山に行ったのだが、おそらく苦戦しているだろう。
 自分も明日朝から、御前山に登る予定。

 終日、秩父事件関係の集まり。
 大学時代の恩師のご講演を聴くことができて、感激した。

 写真は今日も、高山の風景。

加藤織平の墓

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加藤織平の墓


 梅雨の中休みで、いい天気だった。

 退勤後、農作業の前にふと思い立って、加藤織平の墓にお参りしてきた。
 知ってる人は知ってると思うが、秩父困民党の副総理である。

 困民党への参加にあたって、自分が貸していた貸金を棒引きにしたという、義侠の人物である。
 困民党=貧民というシェーマは、すでに30年以上以前に論破されているのだが、一般的には未だ否定されているとは言いがたい。

 加藤織平を動かしたのは、義侠心だったと思っている。
 人の道に反する不当な行為は、許されるべきでない。
 そんな義侠心から命を張って正義を実現しようという人間がいたことに、疑問を感じたり、経済的背景があったのではないかなどと勘ぐるほうがおかしい。
 誰にだって、人間の血が流れているのだ。

 ニンニク掘りの続き。
 ニンニクキゴの植えつけ。
 鞍掛大豆の種まき。 除草少々。

金沢から日野沢へ

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カタクリ


 秩父困民党の武装蜂起に際して、風布組先発隊が下田野村の押ん出し河原で捕まったあと、本隊は皆野から赤平川沿いに椋神社に向かうのを避け、末野-野上-出牛峠と歩いて、金沢村に入った。
 金沢村から下日野沢・上日野沢村のどこかを通過して下吉田村椋神社に入ったのだが、そのルートについては定説を見ていない。
 出牛から金沢村加増・更木耕地を経て風早峠に至るルートは、当時のメインルートの一つであろうから、風布組の進軍ルートとして有力であることは確かである。

 地形図に破線は記載されているものの、廃道の可能性は高いと思われたが、現状はどうなのか、歩いてみた。

 カタクリの里から浦山耕地上部の別荘地まで車道を行き,破線路を辿ろうとしたが、案の定、ほぼ廃道化していた。
 藤原への分岐まで行って少し休み、カタクリの里へ戻った。

 午後は畑仕事。
 里芋の植えつけ準備で、日が暮れた。

 写真は、カタクリの里のカタクリ。
 峠付近のカタクリは、まだ芽吹いたばかりだった。

秩父事件130周年集会にて

2014.11.9



 菅原文太さんの訃報に接した。

 俳優さんのことはほとんど知らないのだが、先月の9日にお話を伺ったばかりだったので、ショックであり、たいへん悲しい。

 1980年に放送されていた大河ドラマ・『獅子の時代』(テレビ受像機を持たない私は毎週日曜日の夜に職場に出かけてこのドラマを見ていた)のラストシーンは、とても格好よかった。

 ネットをしばしうろついて、菅原文太さんとはどのような人なのかを知った。

 日本国憲法の精神を大切にし、「農」を大切にしておられることがわかった。

 このような人を失うことはじつに残念であるが、ご冥福をお祈りしたい。

 読書ノートに『熊谷直実』を追加。

秩父事件130周年

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秩父事件130周年



 秩父事件130周年集会に行ってきた。

 コンテンツは、映画『草の乱』・秩父農工科学高校の生徒による秩父屋台囃子の演奏・菅原文太氏の講演だった。

 『草の乱』を観るのは何度目かわからないが、何度観ても、初めて観たような感動がある。

 菅原文太氏の話は、ややとりとめない感じでもあったが、ベテラン俳優さんらしくはっきりした口調で、秩父事件と現在の社会に対する思いを語られた。

 聴衆が集まるかどうか不安もあったが、まずまず盛況な会でほっとした。

 今日は、長野県東馬流で困民党軍と高崎鎮台兵との銃撃戦が行われ、多くの若者が散ってから130年目の日である。

水ノ戸から栂峠

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ハナイグチ1


ハナイグチ2



 十石街道の水ノ戸から栂峠を歩いてきた(ルート)。

 コースとしては、北相木から栂峠の続きになる。

 実踏してみた結果、北相木加和志集落から水ノ戸まで、実働4時間ほどである。

 水ノ戸から白井まで、3時間程度と思われるので、北相木から楢原まで実働7-8時間、健脚なら一日で秩父まで駆け抜けることも可能かと思われる(ハイキングでなく秩父困民党の話)。

 作業道が開削されたり、廃道化したあと、自転車乗りの人々によって再整備されたりしているので、かつてのルートを完全にトレースできたわけではないだろうが、まぁほぼ当時のルートだろうと思われる。

 栂峠からは来た道を戻るのでなく、途中から十石峠への尾根を行った。

 カラマツ林が多いので、ハナイグチが点々と出ていた。

 帰ってから、はと麦の脱穀と調製。

 畑に行って、宮ネギの種まき。

 日没になったので、終了。

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