朝から午後まで農作業。
大根とほうれん草の種まきをすませた。
いずれも、黒マルチとビニールトンネルを使うので、種をまくだけの作業でない。
気温は氷点下4度ほどなので、さほど寒いとはいえないのだが、二つ玉が三陸沖で一つに合体した強い冬型のため、西からの強い風が冷たく感じる。
畑仕事をモズがこちらを、じっと見つめていた。
虫などが出てくるのを期待しているらしい。
朝から午後まで農作業。
大根とほうれん草の種まきをすませた。
いずれも、黒マルチとビニールトンネルを使うので、種をまくだけの作業でない。
気温は氷点下4度ほどなので、さほど寒いとはいえないのだが、二つ玉が三陸沖で一つに合体した強い冬型のため、西からの強い風が冷たく感じる。
畑仕事をモズがこちらを、じっと見つめていた。
虫などが出てくるのを期待しているらしい。
ほぼ終日、畑の作業。
まず、小枝や枯れ草燃し。
あと一回か二回、焚き火をしなくてはならなそうだ。
懸案だった農作業道具・資材置き場がとりあえず完成。
屋根のナマコ板以外はすべて、いただきものの、ヒノキの間伐材を使った。
床も壁もないが、どうしても必要であれば、これから継ぎ足すこともできる。
落ち葉堆肥の第二次仕込み。
これも重労働なのだが、一仕事終わってよかった。
春大根・ニンジンなどの予定地を耕耘・畝立て。
早春野菜の種まきはできれば、年内にすませたいが、できるだろうか。
関西方面への小旅行から帰宅。
今回はあまり移動できなかったので、出かけることができたのは、和泉市の松尾寺だけだった。
できれば、葛城山から金剛山にかけての一帯をもっと歩いてみればよいのだが、高野・大峰・飛鳥・熊野という一帯の地理的感覚が、少しつかめてきた。
記紀に基づいて語られる「日本」の古代史なるものが、じつはとても小さな「コップの中の嵐」に過ぎなかったという実感が得られたし、役の行者とは、複数の山岳修行・呪術者の行跡を集大成したキャラクターだったのではないかという感覚も得られた。
ちっとも歴史学的ではなく、歴史ファン的妄想ではあるが、山伏の正体について、おぼろげながら、つかめてきそうな気がする。
写真は松尾寺の山門。
クス材を使っているとあり、ここを守護するのは仁王でなく、持国天と増長天である。
ほぼ終日、身体休め。
肉体を使ったのは、夕方、薪割りをしただけ。
久しぶりに、動画編集に手を出した。
酉谷山行きの記録を、COOLPIX S8000でいくらか撮ったので、5分ほどのダイジェストにまとめようと思ったのだが、昔やっていた頃はSONYのビデオカメラで撮影して、ハードウェアに添付されていたオールインワンソフトで編集できたから、パソコンの非力さには泣かされたものの、編集作業に苦労はなかった。
今回は、基本的にフリーソフトだけで作業をやろうと考えているから、
1.ソフト探し
2.ソフトのインストール(と日本語化)
3.ソフトの使い方のトレーニング
4.実際の編集と変換作業
という段階を経なければならない。
デジカメで撮ったデータ(QuickTime Movie)を、汎用性のあるDVDに仕上げるには、
1.編集しやすいデータ(AVIなど)に変換
2.編集ソフトを使って各シーンに字幕を入れ、ファイルを一本にまとめるる
3.別の編集ソフトを使ってBGMを入れ、ファイルを再変換する。
4.ファイルをDVDデータに変換する。
5.DVDデータをイメージファイルに変換する。
6.DVDに焼き付ける
くらいの作業が必要で、それぞれの作業に別々のソフトを使う。
どこかに問題があると、うまくいかない。
今日のところはダメだったのだが、ダメなのは多分、4.の段階か3.の段階だと思われるが、なかなか検証のしようもない。
こういう作業は、特別深い知識か十分な暇がないとできないものだと思う。
知識はないから、時間が必要だ。
パソコンに終日向かっているのも辛気臭いので、夕方から、ストーブのそばで椎名誠さんの「赤マント」シリーズなど読みながら、「太白」をなめていた。
写真は、三ツドッケの朝。
屋内でデスクワークしているより、寒風に吹かれながらこんな景色を眺めている方が、ずっと楽しい。
仕事にキリがつかないのだが、山になっている仕事をやっていたら正月もなくなるので、とりあえず今年の仕事は終了とした。
この年末年始のうちに、やらなければならない農作業を、こなしておきたいものだ。
酉谷山山行記をアップ。
酉谷山に行ったのは、これで8回目だ。
以前は、展望皆無の静かなピークだったが、今はスズタケが枯れてしまった上、東京都側が伐開されて、富士山などが見えるようになった。
どちらが好きかといえば、ヤブの中にぽっかりあいた空間だったときのほうがよかった。
1999年の今ごろ、ネットの友人たちと山頂掃除などしたことが、なつかしい。
午前中、大量の薪作り。
午後、畑に行って掘っ立て小屋作りと落ち葉堆肥の最終切り返し。
掘っ立て小屋は、柱と梁を立てただけなので、そのうち、ネダを打って波板を張らねばならない。
この小屋は、肥料置き場や道具置き場にする予定。
写真は奥多摩・横スズ尾根のミズナラ林。
同じ地点の写真だが、左は先日のもので、右は2年前の晩秋に撮ったもの。
新パソコンにスキャナを接続するのに、かなり四苦八苦した。
1394接続なのだが、古いパソコンに刺さっていた1394ボードを使いまわしたのでは、ソフトが動作しない。
ドライバを再インストールしてもダメなので、USBで接続しなおしたら、ようやく使えるようになった。
年末は実際、多忙なのである。
2から3時間程度の超過勤務では、とても仕事が終わりにならない。
仕事の合間を縫って、虚空蔵山山行記をアップ。
あとで若干、手直しが必要かもしれない。
本日は、職場の忘年会のため沈没。54歳になった。
三ツドッケから酉谷山から熊倉山を歩いてきた。
ここは、2年前の秋に全く同じコースで歩いているのだが、同じグループながら、同行したメンバーは全員入れ替わっている。
変わらないメンバーは自分だけだが、年齢は2つ重ねた。
予報通り、弱い冬型と移動性高気圧でまずまずよく晴れて、寒くはあったものの、登山日和だった。
今回も、一杯水避難小屋にお世話になった。
夕方に、2パーティ5人のハイカーが到着して、13人が泊まった。収容人数的にはこれが限界だったので、夕方以降に、テントもツェルトを持たない人が来たらどうしようもない状態だった。(お昼過ぎに着いたわれわれが譲るほかない状態)
ともかく、小屋に泊まれたので、暖かく過ごせたのはありがたかった。
以前から煙突が詰まっていたストーブは撤去されて、土間が広くなっていた。
また、一杯水の水場が改修されて、細いながらも常時水が出ている状態だったのも、感謝に堪えないことだった。
一杯水から熊倉山経由で下山するのはハードなコースだが、今回の同行者たちも、2年前同様、元気に歩ききった。
写真は、ご来光を浴びた、今朝の富士山。
三ツドッケで撮影した。
連日、2から3時間の超過勤務が続く。
2日も休みをとったのだから、しわよせが来るのはやむを得ない。
今日のニュースにもあったのだが、このところ、「一票の格差」が「違憲」だという裁判所の判断が続いていることに、不満である。
国民の代表という理念はともかく、現実の国会議員は、地域利害の代表として機能している。
人口の集中する都市部に多くの議席が配分されれば、この国は、都市民の利害のみによって動くようになるのは必定である。
例えば中央防災会議は、一昨年、荒川の「200年に1度の発生確率の洪水」氾濫に伴う地下鉄への浸水被害予想を出した。この話は当時、マスコミでも大々的に報道され、「何とかしなければ大変なことになる」という不安を煽ったものだ。
被害予想の出た中でも、東京メトロ半蔵門線や南北線、都営地下鉄新宿線や大江戸線、つくばエクスプレスや埼玉高速鉄道などは、近年になって建設された路線である。
水浸しになるかもしれない位置に地下鉄を作るなど、なんと間抜けな話だろう。
地下鉄を通した位置が悪いのであれば、すべて埋め戻して、より安全なところに作りなおせばよいし、経費は間抜けな設計をした役人が負担すればよい。
この話の裏には、「だから荒川の治水が必要なのだ」という結論に持って行こうという、国土交通相の意図が見え見えだ。
「荒川の治水」とは、すなわち源流域におけるダム建設である。
都会民は、「地下鉄が危ない」ということしか考えない。
都会で暮らしているのだから、考えが狭いのも、無理はない。
建設官僚とゼネコンは、このようにして都会民をやすやすと瞞着し、源流域をダムだらけにする。
秩父源流域の「治水計画」は国土交通省のサイトからいつの間にか削除されてしまったが、ダム計画が消滅したという話は聞いていない。
かつてサイト上で公開されていた計画によれば、二瀬・浦山・合角・滝沢の4ダムが完成しても、荒川は、「計画の1/200に対し、1/30程度とまだまだ安全度の低い河川」だという。
「1/200」というのは、上記の話でいう「200年に1度の発生確率の洪水」のことである。(この話についてはかつて書きかけたがそのままになっている)
だが、ダムによって現在の6倍もの貯水量を確保しようとすれば、新ダムどころか、秩父をすべて水没させなければならない。
国土交通省の言う「200年に1度」云々とは、これほどにリアリティのない空理空論なのである。
国会の議席が都会民の代表によって占められるようなことになれば、列島がめちゃくちゃにされる。
国家など愛していないが、列島には深い愛着を持っている。
「一票の格差」を「是正」するような愚挙はすべきでない。
もしそうなったら、田舎と都会を別の国にしてもらいたい。
そして都会民には、都会の空気だけを呼吸し、都会の水だけ飲むようにしてもらいたい。ゴミももちろん、都会ですべて処理してもらうのがよい。
朝から雨だったので、午前中はパン焼き。
この冬も、消し炭でパンを焼く。
雨がやんだ午後は、農作業。
畑の周囲の樹木の枝下ろし。
畑に作物が少ない時にしかできない作業だが、それほど大きくない木とはいえ、素人には大仕事だ。
しばらく乾かせば、早春には燃やせるだろう。
ホトケノザが生え始めた畑を軽く耕耘。
この季節は、ときどき耕してやれば、雑草を抑えることができる。
そろそろ、トンネル菜っ葉の準備をはじめなければ。
帰宅後、暗くなるまで薪作り。
終日、雨だったので、薪割りもできず、身体休めの一日。
昨日の山行記をまとめようとしたが、ルート地図用のJSGIデータをうまく出力できないため、しばし考えあぐねていた。
原因は、iconlut.xmlというファイルの記述が間違っていたためだったが、それを見つけるのに、ずいぶん時間を食ってしまった。
新パソコンにプリンタを設定することはできたが、IEEE1394のコネクタがないため、スキャナが接続できないことが判明し、1394カードを探すのにも手間を食った。
パソコンは、設定に手間がかかるのが困りものだ。
木々の葉が落ち、鳥の写真が撮りやすくなった。
コメが少なくなってきたので、精米のために、信州の山に出かけた。
行き先は、上田市街地から登れる虚空蔵山。
座摩神社から兎峰経由で虚空蔵山に至り、陣馬鳥越山から虚空蔵神社経由で座摩神社に下山する周回コースだった。
よく晴れていたのだが、弱い冬型だったので、西風が吹いており、近くの山はよく見えたが、北アルプスや八ヶ岳など高い山はほとんど見えなかった。
積雪はほとんどなかったが、頂稜の木々は霧氷で化粧しており、きれいだった。
午前中ずっと、薪作り。
カシとスギを切ったり割ったりした。
小さな薪置き場も作ったので、仕事はずいぶん残っている。
午後は秩父事件研究顕彰協議会の集まりに市内まで、出かけた。
集まりが終わった後、畑まで戻ったら、管理機のオイル交換をしただけで、日が暮れた。
奈良倉山に行った日は、雁坂まわりで帰宅した。
大菩薩方面へ登るときに、裂石の雲峰寺の門前を通るのだが、立ち寄ったことがなかった。
よい機会なので、宝物殿の拝観を兼ねて、お参りしてきた。
茅葺きの本堂は、信玄の時代のものというし、宝物殿には、武田軍の陣頭に翻った風林火山の旗(孫子の旗)などが並べられていて、見ごたえがあった。
本堂前には、エドヒガンザクラの巨木もあった。
このところ朝は氷点下になっているのだが、まだまだ暖かい。
とはいえ、橋の上などは霜が降って凍結しており、今朝などもスリップ事故が起きていたから、要注意だ。
落ち葉堆肥の二回目の切り返し。
出来は、至極順調だ。
大仕事だが、切り返しあと一回で、あとは熟成期間に入り、次を仕込まねばならない。
並行して、畑の枯れ草・夏野菜の残骸燃し。
これも冬に必須の作業で、畑の整理とカリ肥料補給の一石二鳥になる。
一度では燃しきれないから、風の弱い日を選んで、何度か燃やす。
キクイモの掘りとり。
これで掘るものは終了。
夏の猛暑で、ニンジンもしくじったのだが、まき直した分はどうにか成長した。
しかし根の太りが不十分だから、ビニールを掛けて保温してやらねばなるまい。
8月中旬にまいた白ニンジンはほとんど枯れたが、生き残った分は見事に成長した。
朝の少しの時間の農作業でようやく、自然薯の収穫を終了。
今年は追肥をしなかったので、大きさは今ひとつだったが、自家消費分としては十分だ。
これから年内いっぱい、これを食べて過ごす。
来年の種芋も十分あるので、畑の隅に埋めて保存する。
自然薯の種芋はつくね芋とちがって耐寒性があるので、日なたに埋めておくだけで冬越しできる。
イモ類であと、残っているのは、キクイモ少々だから、腰の痛くなる芋掘りは、ほぼ終わったようなものだ。
今年の大根は、お盆明けにまいたものはほぼすべて芽が出ないか、枯れた。
収穫できたのは、9月中旬にまいたもののみ。
いいずな青大根も、ほとんど収穫できなかった。
土日と、自宅で瀬音・源流部会の忘年会。
うちで行うようになって2年目だが、収穫物を大いに消費しながら、よもやま話に更けるという会になっている。
毎年、とても愉快な集まりなので、楽しみにしていた。
昨日の午後、きのこの様子を見に行ってみたら、ナメコとシイタケが大発生していた。
これらは、鍋に入れたほか、醤油を垂らして七輪で焼いて食べた。
今日の午前中は、パンなど焼いてまったりと過ごし、午後は薪割りをしたのち、畑に行って落ち葉堆肥の第一回切り返し。
その後、自然薯を少し掘ったら、日が暮れた。
BTOで注文していたパソコンがようやく届き、環境を少しずつ整えつつある。
BTOはパーツを買うよりずいぶん時間がかかるということがわかった。
AMD製のCPUを使うのは初めてだが、インテル製と遜色なく動いてくれる。
OSはWinXPをそのまま使ったが、バージョンアップ版であるにもかかわらず、フロッピーディスクを使わずにフォーマットやセットアップができたのでありがたかった(当然かも)。
WinXPのインストールを始める時点で、PCI.sysエラーというブルー画面が出て困ったが、インストールディスクにSP3を統合してくれるソフトがあったので、どうにか切り抜けることができた。
これで、OutlookExpressなども、当分のあいだは、使い続けることができる。
しかしいずれ、サンダーバードなどに乗り換えなければならなくなるだろう。
一時的にWindow7のバソコンを使っていたのだが、愛用している画像処理ソフトのGixなどは、Win7ではインストールさえできなくなる。
先行き不安は否めない。
ともかく、快適に画像処理をこなせる環境になったので、奈良倉山山行記を仕上げることができた。