古城址の最近の記事

金山城址

| コメント(0)
仙ノ倉山とエビス大黒


 学年末の成績処理と有志団体の会計処理という根詰め仕事が続いて、身体が硬直し始めたので、西上州・日野の谷へお茶を飲みに行った。
 子王山と平井金山城址のダブルヘッダー。
 金山城址からは、仙ノ倉山とエビス大黒が見えた。

 今夜また降雪予報なんだが、あまり降らないでほしい。

国峰城址

| コメント(0)
国峰城址


 自宅周辺の雪はほとんど溶けていないが、せっかく晴れたので甘楽城山へ。
 展望を期待したけど、山頂は雑木林の中だった。

 枝の中にあいた小(しょう)Windowから見える表妙義の岩壁に雪はほとんど付いていない。

大崩山

| コメント(0)
浅間山


 春の匂いのする風が吹くなか、西上州・下仁田の寂峰・大崩(おおぐい)山へ。
 稲含山・小沢岳・鹿岳・四ツ又山・浅間山・表妙義全山・大桁山などが一望できた。

日尾城址

| コメント(0)
日尾城址


 遠出から帰宅。

 過日、札所から観音山・日尾城址を回った。
 日尾城址は鉢形城の支城で、上州からの武田の侵入の抑えという位置づけで、諏訪部遠江守定勝が守備していた。
 武田軍は、山県昌景を将として攻めていたというから、それなりの布陣で臨んたはずだが、撃退されたという。

 その日、定勝はいい気分で飲んでいた。

(けらい1) 武田の軍勢が攻めてまいりました! 
(諏訪部遠江守定勝) あいわかった。ご苦労・・。
(奥方) 敵がせめて参ったのですよ。
(定勝) わかってるから、もう一杯。
(奥方) バカですか? あなたは。あなたの首を取ろうとしてこのすぐ下まで、押し寄せているんですよ。
(定勝) わかってるったらわかってるって・・。もう一杯・・。
(けらい2) 何十人もの敵が登ってきます!
(奥方) もう少し待ちなさい! ガケの中ほどまで登ってきたら、一気に石を落とすのよ! 一、二の三。それ! 落としなさい!

 武田の雑兵が叫びながら滑落していく。

(けらい3) 生き残った兵が登ってきますぞ。
(奥方) まだ撃っちゃダメよ。すぐ近くまで引きつけて、確実に殺さなければ。
(奥方) 今だ! みんな撃て!

 武田軍壊滅。
 諏訪部定勝はこの勝ちいくさで殿さまから褒められたが、たいへん気まずいので、以後酒を絶ったという。
 秩父の人が好きそうなエピソードだ。

村を守る城

| コメント(0)
堀切


登場人物
山田伊賀守直定:武蔵・腰越城主。上田朝直の家臣
上田朝直:武蔵・松山城主。領地を守るため、上杉朝定・北条氏康・長尾景虎などの家臣となり、主君を転々とする

(山田伊賀守直定) 皆の衆に頼みたい。裏の山を城にせよと上田さまの仰せじゃ。
(百姓A) いくさになりましょうか。
(直定) おそらくは。越後の上杉景虎さまが攻めてこよう。
(百姓B) なんと! 上田さまはつい先年、上杉を裏切ったばかりではありませんか。
(直定) そうよ。去る冬、上野(こうずけ)で景虎さまは、村々を襲って田畑を荒らしただけでなく、食べ物を奪い、衣服をはぎ取り、鍋や釜まで持ち去ったそうだ。
(百姓C) 恐ろしい! 
(直定) 上田さまとしてはもはや、北条氏康さまにお味方するほかないのじゃ。なんでも秩父へは、甲斐の武田信玄が入り込んで火を放ち、女子どもまで連れ去ったそうだ。
(百姓D) 恐ろしい! 
(直定) われらの村はわれらで守るほかないのよ。小さくとも、いざというときには年寄りも子どももみんなで避難できる、立派な城を作ろうではないか。
(百姓ABCD) 承知いたしました。

腰越城址

| コメント(0)
竪堀


 背中のスジを痛めたらしくチト痛むが、大したことはないので、小川町の腰越城址へ。
 ごく小規模な山城だが、登ってみると、防御性は非常に高く、精巧に作られていた。
 曲輪が数か所、腰曲輪と竪堀がいたるところにあり、木戸や矢来で固めれば、そう簡単に落とすことはできないだろう。

 松山城の支城で、上田氏の家臣・山田伊賀守の城だとされる。
 麓には根古屋という地名があるので、間違いないと思われる。

 一帯は鎌倉や小田原へ通じる鎌倉街道に近く、関東管領や北条氏にとって枢要の地だったから、夏に歩いた小倉城・割谷城を含め、山城のネットワークでこの地を面として守備・支配していたのだろう。

松尾山

| コメント(0)
キマダラヒカゲ


 松尾山山頂のテーブルにキマダラヒカゲが一頭。おれがベンチに座ると、こっちをじっと凝視している。

(おれ) ひであき !
(蝶) ・・・
(おれ) ・・・
(蝶) おぬしも、おれの悪口を言いに来たのか ? ここを訪れて、おれのことを裏切り者だとか、見下げ果てた男だとか言わないやつは一人もいない・・。
(おれ) ・・・
(蝶) 狂い死んでから、コチラの世界に来たおれは、大谷刑部どのにも、石田治部どのにも、手をついてあやまった。刑部どのも治部どのも、「是非もない」と申されて、お許しくだされた。
(おれ) ・・・
(蝶) ここ関ヶ原の、どの説明看板にも、おれの裏切りで西軍は総崩れになったと書いてある。おれはいつまで、人でなしの扱いを受けねばならんのか。教えてくれ。
(おれ) ・・・
(蝶) 苦しい。つらい。助けてくれ。
(おれ) ・・・

 小早川秀秋。1602年没。享年21歳。

小倉城址

| コメント(0)
小倉城址


 夕方、草むしり少々。
 午前中は涼しいので、力仕事ができそうなのだが、涼しいあいだしかのんびりできないので、始動は夕方前からになる。

 写真は、昨日歩いた、玉川村・小倉城址の石碑。
 檜原城あたりとは異なり、小倉城はかなり大規模な城郭で、地域住民の避難所とは思われない。
 おそらく松山城の支城だったのだろう。

女部田城址

| コメント(0)
堀切


 上吉田の女部田から女部田城址と向山を歩いた。
 女部田から大日の石仏があるところまで登り、女部田城址で大休止。
 向山から合角ダムへ下山した。

 基本的に道のないコースなのだが、合角ダムのコンクリート擁壁下りが最も困難だった。

 女部田城はこぢんまりとまとまった砦。
 日尾城は指呼の間にあり、土坂峠方面から上吉田への谷底道が丸見えで、いい場所に築かれている。
 尾根から二条の堀切を構えるが、防御性はさほど高くない。

 見張り場としては、たいへん好都合な要害だと思われた。

 畑に寄って帰宅後、薪棚作りの続き。

三増峠

| コメント(0)
相模灘


 今日も半日、山林作業。
 公園のロウバイが一気に咲き始めたような気がする。

 今朝は氷点下1.9度とずいぶん暖かかった。
 春はまだ先だが、風の香りが変わってくると、野良に出たくなってくる。

 写真は三増峠の馬頭尊。
 小田原攻めの際に撃退された信玄は、三増峠を越えて相模川沿いに出て、甲府へ逃げ戻った。
 北条氏にすれば、信玄の息の根を止める絶好のチャンスだったのだが、津久井城の内藤氏はなぜか・・・。

(氏照から津久井城主・内藤氏への伝令) 申し上げます。信玄めを三増峠へ追い上げたから挟み撃ちにする。直ちに出陣せよとの殿さまよりお言葉です。
(内藤) うん。大儀であった。氏照さまによろしくな。
(伝令) 直ちにご出陣を。
(内藤) うーん。考え中。
(伝令) 考え中って・・。信玄めは小田原に放火し、女や子どもをさらって逃げ帰るところですぞ。キャツの息の根を止めるチャンスは今しかござりません。
(内藤) だから考え中だって。
(伝令) そんなバカな。

(内藤) おれは動かん。守りを固めるのだ。城内には誰も入れるな。
(家来) あとで氏照さまに叱られますぞ。
(内藤) たわけ。氏照さまには謝っておけばよい。ここは信玄に貸しを作るのだ。我らの小さな国を守るには、あちこちの殿さまに貸しを作る以外にあるまいが。

2024年3月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

アーカイブ

カテゴリ

最近のコメント