古城址の最近の記事

光城山

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蝶ヶ岳


 中信・豊科の光城山へ。快晴・大展望ですばらしい。ドリップコーヒーをすすりながら北アルプスを眺める。

 常念さんの左に蝶ヶ岳が見える。年少の友人たちとあそこに行ったのは2006年だった。
 お金がなくて鈍行で行くから朝5時に出ても中房温泉に着くのは午後を回った。
 合戦尾根の急登を見ただけで心の折れた何人かは登らないで帰った。残りのメンバーは翌朝から元気に登り、10時間かけて大天井岳のテント場へ。

 次の日、お花畑の道を常念小屋までは順調だったが、常念さんへの2時間弱の急登で体力をひどく奪われた。
 蝶槍あたりで最年少の仲間が弱音を吐き始めた。
 やや年上の少年が「苦しいのはお前だけじゃないんだ。みんな苦しいんだ。でも頑張って登るんだ」と叱咤した。
 それに励まされてしばし頑張ったが、それまで黙々と歩いていた別の少年が「もう無理だ。もう歩けない」と言ってへたり込んだ。夕方が近づいていたが、蝶ヶ岳まではまだ登らねばならない。

 小田原評定している余裕はなかった。おれはその少年に「お前のザックをよこせ」と言って、70リットルザックを2つ背負い、蝶ヶ岳までなんとか歩いた。
 この日の行動時間は11時間を越えた。予定では翌日、徳本峠まで行って幕営するはずだったが、その時点でみんなにそれだけの体力・気力は残っておらず、長塀山から徳沢へ下ったのだった。

 ドラマに満ちた5日間が終わり、上高地からバスに乗ればもう、携帯とゲーム大好きないつもの若者たちに戻っていた。

天引城址

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ミツバツツジ


 甘楽町の天引城址へ。

 天引城の由来については、明確でない。
 ネットでは山内上杉氏の家臣・甘尾若狭守の居城という説が紹介されているが、根拠に乏しい。

 数段にわたってていねいに削平された曲輪を見ると、地元の土豪の城かと思えるが、根小屋らしき一角や氏神・氏寺らしき寺社も見当たらないから、百姓の城だった可能性も否定できない。
 永禄5年に、武田信玄が略奪した穀類をここに集積したという記録があるようだが、それだけではなんとも言えない。

 明確な堀切は1ヶ所だけだが、山のあちこちに岩場を構え、防御性は高い。
 ミツバツツジがちょうど満開で、美しいこと、この上なかった。

 下山後、農作業。
 こんにゃく予定地の草むしり。

神成城址

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オキナグサ


 富岡の吾妻山から龍王山へ。

 丹生川と鏑川に挟まれたヤセ尾根で、小幡氏の神成城址でもある。
 お菊さんをいじめ殺した小幡氏のことを、おれは大嫌いだ。

 登山口近くでは、オキナグサがちょうど花盛りだった。

 下山後、畑に行って、ビーツの種まき。
 そら豆のメンテ。

金山城址

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仙ノ倉山とエビス大黒


 学年末の成績処理と有志団体の会計処理という根詰め仕事が続いて、身体が硬直し始めたので、西上州・日野の谷へお茶を飲みに行った。
 子王山と平井金山城址のダブルヘッダー。
 金山城址からは、仙ノ倉山とエビス大黒が見えた。

 今夜また降雪予報なんだが、あまり降らないでほしい。

国峰城址

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国峰城址


 自宅周辺の雪はほとんど溶けていないが、せっかく晴れたので甘楽城山へ。
 展望を期待したけど、山頂は雑木林の中だった。

 枝の中にあいた小(しょう)Windowから見える表妙義の岩壁に雪はほとんど付いていない。

大崩山

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浅間山


 春の匂いのする風が吹くなか、西上州・下仁田の寂峰・大崩(おおぐい)山へ。
 稲含山・小沢岳・鹿岳・四ツ又山・浅間山・表妙義全山・大桁山などが一望できた。

日尾城址

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日尾城址


 遠出から帰宅。

 過日、札所から観音山・日尾城址を回った。
 日尾城址は鉢形城の支城で、上州からの武田の侵入の抑えという位置づけで、諏訪部遠江守定勝が守備していた。
 武田軍は、山県昌景を将として攻めていたというから、それなりの布陣で臨んたはずだが、撃退されたという。

 その日、定勝はいい気分で飲んでいた。

(けらい1) 武田の軍勢が攻めてまいりました! 
(諏訪部遠江守定勝) あいわかった。ご苦労・・。
(奥方) 敵がせめて参ったのですよ。
(定勝) わかってるから、もう一杯。
(奥方) バカですか? あなたは。あなたの首を取ろうとしてこのすぐ下まで、押し寄せているんですよ。
(定勝) わかってるったらわかってるって・・。もう一杯・・。
(けらい2) 何十人もの敵が登ってきます!
(奥方) もう少し待ちなさい! ガケの中ほどまで登ってきたら、一気に石を落とすのよ! 一、二の三。それ! 落としなさい!

 武田の雑兵が叫びながら滑落していく。

(けらい3) 生き残った兵が登ってきますぞ。
(奥方) まだ撃っちゃダメよ。すぐ近くまで引きつけて、確実に殺さなければ。
(奥方) 今だ! みんな撃て!

 武田軍壊滅。
 諏訪部定勝はこの勝ちいくさで殿さまから褒められたが、たいへん気まずいので、以後酒を絶ったという。
 秩父の人が好きそうなエピソードだ。

村を守る城

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堀切


登場人物
山田伊賀守直定:武蔵・腰越城主。上田朝直の家臣
上田朝直:武蔵・松山城主。領地を守るため、上杉朝定・北条氏康・長尾景虎などの家臣となり、主君を転々とする

(山田伊賀守直定) 皆の衆に頼みたい。裏の山を城にせよと上田さまの仰せじゃ。
(百姓A) いくさになりましょうか。
(直定) おそらくは。越後の上杉景虎さまが攻めてこよう。
(百姓B) なんと! 上田さまはつい先年、上杉を裏切ったばかりではありませんか。
(直定) そうよ。去る冬、上野(こうずけ)で景虎さまは、村々を襲って田畑を荒らしただけでなく、食べ物を奪い、衣服をはぎ取り、鍋や釜まで持ち去ったそうだ。
(百姓C) 恐ろしい! 
(直定) 上田さまとしてはもはや、北条氏康さまにお味方するほかないのじゃ。なんでも秩父へは、甲斐の武田信玄が入り込んで火を放ち、女子どもまで連れ去ったそうだ。
(百姓D) 恐ろしい! 
(直定) われらの村はわれらで守るほかないのよ。小さくとも、いざというときには年寄りも子どももみんなで避難できる、立派な城を作ろうではないか。
(百姓ABCD) 承知いたしました。

腰越城址

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竪堀


 背中のスジを痛めたらしくチト痛むが、大したことはないので、小川町の腰越城址へ。
 ごく小規模な山城だが、登ってみると、防御性は非常に高く、精巧に作られていた。
 曲輪が数か所、腰曲輪と竪堀がいたるところにあり、木戸や矢来で固めれば、そう簡単に落とすことはできないだろう。

 松山城の支城で、上田氏の家臣・山田伊賀守の城だとされる。
 麓には根古屋という地名があるので、間違いないと思われる。

 一帯は鎌倉や小田原へ通じる鎌倉街道に近く、関東管領や北条氏にとって枢要の地だったから、夏に歩いた小倉城・割谷城を含め、山城のネットワークでこの地を面として守備・支配していたのだろう。

松尾山

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キマダラヒカゲ


 松尾山山頂のテーブルにキマダラヒカゲが一頭。おれがベンチに座ると、こっちをじっと凝視している。

(おれ) ひであき !
(蝶) ・・・
(おれ) ・・・
(蝶) おぬしも、おれの悪口を言いに来たのか ? ここを訪れて、おれのことを裏切り者だとか、見下げ果てた男だとか言わないやつは一人もいない・・。
(おれ) ・・・
(蝶) 狂い死んでから、コチラの世界に来たおれは、大谷刑部どのにも、石田治部どのにも、手をついてあやまった。刑部どのも治部どのも、「是非もない」と申されて、お許しくだされた。
(おれ) ・・・
(蝶) ここ関ヶ原の、どの説明看板にも、おれの裏切りで西軍は総崩れになったと書いてある。おれはいつまで、人でなしの扱いを受けねばならんのか。教えてくれ。
(おれ) ・・・
(蝶) 苦しい。つらい。助けてくれ。
(おれ) ・・・

 小早川秀秋。1602年没。享年21歳。

2024年4月

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