要害城址

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古い石垣が残る

棚田ごしに見る

 今日も、落ち葉かき2袋。
 だいたい18袋くらい集まったら、堆肥を仕込むことができる。
 今月下旬には、第1回の堆肥仕込みになるだろう。
 その後は、切り返しという重労働になる。

 写真は、要害城址。
 独立峰然としたピークであるが、小さな沢が複雑に食い込んでおり、地形図を見て地形をイメージするのはそう簡単ではない。

 さらに曲輪や空堀や堀切が無数に築かれており、ここを力で攻め落とすのは容易でない。
 しかし、いかんせん、規模があまりにも小さいのである。
 1000人ほどに包囲されたら、水・食糧はあっという間に尽きてしまうだろうと思えるほどである。

 実際に利用されたのは、信玄の父信虎の時代で、信玄がこの山城で生まれたという説があり、山頂にはなぜか、東郷平八郎の揮毫による石碑が建てられていた。

 麓の積翠寺集落は、小さな扇状地に展開する美しい村だった。

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