雪が溶けないのだが、第二次落ち葉堆肥作りがタイムリミットなので、仕込んだ。
いつもは落ち葉を湿らすのにジョウロで水をかけるのだが、今日は、落ち葉の中に雪の塊を放り込んだ。
雪で堆肥ができるなら、それに越したことはない。
昨夏にネギをたくさん作ったので、毎日ネギを食べることができる。
このところ2週続けて降雪を見たのだが、2月上旬は平年並みで、金曜日以外は穏やかに推移しそうだ。
買った大豆で、納豆の仕込み。
写真は離山で見たアキノキリンソウ。
雪が溶けないのだが、第二次落ち葉堆肥作りがタイムリミットなので、仕込んだ。
いつもは落ち葉を湿らすのにジョウロで水をかけるのだが、今日は、落ち葉の中に雪の塊を放り込んだ。
雪で堆肥ができるなら、それに越したことはない。
昨夏にネギをたくさん作ったので、毎日ネギを食べることができる。
このところ2週続けて降雪を見たのだが、2月上旬は平年並みで、金曜日以外は穏やかに推移しそうだ。
買った大豆で、納豆の仕込み。
写真は離山で見たアキノキリンソウ。
今朝の気温は氷点下6.3度だったが、夜中から警戒して水を流したりしたので、水道は凍らなかった。
とはいえ、風呂桶のフタが凍りつき、トイレに薄氷が張るほどだった。
最高気温は4.7度と出ているが、自宅周辺はずっと1度くらいだった上、冬型に伴う強い季節風が吹いて、寒い一日だった。
ところが、気象庁のサイトを見ると、異常天候早期警戒情報に高温情報が出ている。
週半ばからの移動性高気圧と列島に上陸する南岸低気圧のせいだが、今の寒さはちぎれ飛んできた極渦のよるもので、基本的には暖冬傾向なんだと思う。
畑の雪は当分消えそうにないが、かなり薄くなってきた。
来週明けには土が見えてくるだろう。
写真は、お正月明けの大高取山で撮ったものだが、冬の低山に見られる赤いもの。
雪のあと冬型が続いているのだが、気温が低いため、積もった雪がなかなか溶けてくれず、溶けた雪はまたすぐ凍る。
今朝は氷点下6.2度だったが、水道管がまた凍結した。
ようやく週末になったので、自宅から道路までの通路で氷化した雪を除雪。
畑仕事もできないのだが、食べるものがなくなってしまうので、今日は雪の中からネギと大根を掘り出した。
今夜の雪はほとんど積もらずにすみそうだが、明日からの冬型でまた酷寒が訪れそうだ。
今朝の気温は、公式発表で氷点下9度を記録した。
ちなみに最高気温は、氷点下じゃない6.5度。
家の中の水道の蛇口がすべて凍結したのも、無理はない。
気温が低いので、積もった雪が溶けてくれない。
家のまわりを歩きにくいのも困るが、それ以上に、畑も雪で覆われてしまったため、食べるものを取り出すことができなくて困る。
週末には、次の降雪が予想されている。
多少なりとも雪が浅くなってきたところで、食べものを掘り出したほうがいいかもしれない。
品刕山行記を追加。
一番下の写真だが、文殊峠付近から望んだ両神山の右に送電鉄塔が見えている。
これは、安曇幹線の鉄塔である。
遠くから見ると、両手を上げているように見えるので、バンザイ鉄塔と呼ばれている。
北相木村や上野村界隈のヤブ山歩きではしばしば、安曇幹線の鉄塔巡視路のお世話になってきたのだが、この送電線が廃止され、取り外し工事が進んでいる。
今回の品刕でも、安曇幹線303号鉄塔の下を通ったのだが、送電線はすでになかった。
梓川・高瀬川という北アルプスの大渓流を潰して発電し、首都圏に電力を送ってきた送電ルートが、歴史を閉じようとしている。
雪のため、出勤不能。終日、雪掘り。
腰が痛いのだが、国道までの通路はご近所と除雪するしかない。
一昨年ほどの大雪ではなく、午後にはあがったので、明日は出られるだろう。
先週末に、ご近所から鹿の足一本いただいたあと、仕事が忙しく、じっくり処理してる暇がなかったのだが、昨日は明るいあいだに帰宅できたので、鹿肉を燻した。
あまり長く燻すとジャーキーのように硬くなってしまうので、ほどほどのところで切り上げた。
味はまずまず。
当地のハンターは、一日一頭以上のペースで鹿を獲ってくれているが、鹿が減ったという実感がない。
この時期、退勤後に暗い国道を走っていると、道の両側のヤブの中に鹿の目が光っているのがわかる。
鹿退治の決定打は、見つかってないそうだ。
多忙のせいか、腰痛になってしまった(軽度)のため、今日の農作業は軽く枯れ草燃しと除草のみ。
この時期の恒例となった、武州日野駅・・天宮尾根・・品刕山地・・大日峠・・小鹿野町への低山縦走に行ってきた。
「道迷い山行」と題する地図読み練習である。
いつものとおり、ルートは、こちら(マウスホイールで拡大・縮小可)。
昨夜降った風花が多少積もっていたが、気温はここ数日よりは暖かく、風もなかった。
さらに雲もほとんどないという好天で、多少のミスはあったものの、いい読図山行ができた。
写真は、下山地に祀られていた金精宮。
ふと思い立って、皆野町日野沢地区の廃道歩きに行ってきた。
秩父華厳の滝(下ノ空滝)から奈良尾集落への道路を行き、小松集落への旧道を入って、小松から風早峠に至り、旧風早峠から藤原集落へ下って、札所34番に寄り道して、もとのところへ戻った。
と言っても全くわからないと思うが、ルートはこんな感じ。
小松入口から旧風早峠までは、かつての峠道は消えて作業道化していた。
旧風早峠から藤原までは、完全に廃道で道型はほとんど残っていなかった。
山の民にとって日々の暮らしと切り離せなかった生活の道だが、その痕跡はほぼ消えてしまった感じだ。
下山後、畑で第一次落ち葉堆肥の三回目の切り返し。
第一次落ち葉堆肥はこれから熟成に入り、今後、第二次堆肥を仕込むことになる。
日野沢地区は、急傾斜の斜面の中腹に石垣を築いて集落が築かれている。
今は車道が通っているから、渓流は細々とした流れだが、見応えのある滝も多い。
秩父華厳の滝(下ノ空滝)はその代表だが、小松沢の上ノ空滝も、遊歩道が整備されていた。
立派な滝の近くに、こんな枯れ滝もあるのだった。
終日、秩父事件の研究会。
予定より少し早く終わったので、日没まで農作業。
トンネルに潅水。
らっきょう・玉ねぎ・三陸つぼみ菜に追肥。
除草少々。
写真は昨日、軽井沢で見たエナガ。
コメが少なくなり、小糠も必要になったので、精米山行。
山はライトに、軽井沢の離山を一廻りした。
関東平野は晴れていたが、軽井沢は低い雲が垂れ込めて、小雪が舞っていた。
薄ら寒くて展望もなく、今ひとつだなぁと思っていたが、山頂周辺では、雪の花がいたるところ満開なのだった。
コメも糠も手に入ったので、いい一日だった。
落ち葉堆肥の第二回切り返し。
前回から6日しかたっていないが、順調に発酵・発熱していた。
大豆あとや里芋あとにホトケノザが生え始めたので、耕耘。
こうやってときどき耕してやると、草も生えず作物の残滓が土にすき込まれて分解が進む。
枯れ草燃し。
全体的に遅れ気味の農作業だが、時間がとれればそれなりに捗る。
「北秩父」の山日記に、今年も釜ノ沢五峰周回を追加。
越生駅から大高取山-桂木観音-鼻曲山-一本杉峠-鎌北湖と歩いてきた。
ひょっとして業務上必要になるかと思ってトレースしてみたのだが、ほぼ全行程が植林で、若い人が喜びそうなコースではなかった。
この冬はここまで超暖冬なのだが、いくら低山とはいえ、この時期にヤマツツジが咲いているとは驚いた。
越生のJA直売所でタケノコ芋の種芋を買うことができたのは、幸運だった。
まこま菜・新芯菜・ホウレンソウ(次郎丸)の種まき。
種まきと言っても、畝を立て、マルチと防草シートを敷き、種をまいてふるった土をかけ、弓を刺してビニールをかけるから、そこそこ手間がかかる。
大根(たたら辛味)あとを片づけて耕耘。
除草少々。
ジャンボニンニクに追肥。
写真は、お船岩下の石窟と札所32番観音院裏のお堂。
いずれも砂岩の岩だが、風蝕によりえぐられて、石窟化している。
このあたりは太古に海岸だったところらしく、この岩は、海流により運ばれた砂が堆積してできたという。
すぐ近くで、パレオパラドキシアという海獣の化石も出土している。
そのような知識には無縁だった江戸時代の人々にとって、このような地形は神秘的に見えただろう。
人智で計り知れない、自然の不可思議に、思わず合掌したくなるのも、無理はない。
片付けものをしてから、農作業。
菜っ葉植えつけの準備。
アスパラガスの刈り取り。
自宅に吊るしておいたフリントコーンの取り込み。
フリントコーンはもっと早く取り込むべきだったのだが、延ばし延ばしにしておいたら、何ものかにほとんど食われてしまった。
カラスの仕業ではないので、ネズミかムササビだろう。
夜なべに、フリントコーンの処理。
カテゴリが適切でないが、「北山」の山日記に鷲峯山山行記を追加。
このところ、初登りは町内の釜ノ沢五峰周辺に出かけている。
というわけで、片付けものを少々してから、長若地区へ行った。
ここは、『山里の記憶』にも出てくる柴崎善治さんが開かれたコースで、短いが、好展望の露岩なども散りばめた、いいハイキングコースになっている。
近年、このコース近くに三角点が二基設置されたため、新たな踏みあともできていて、2時間程度で周回できるようになった。
昨日から、仕事らしい仕事をしていないので、この山歩きは、いい腹減らしになった。
下山後は、農作業。
ウドの畝に落ち葉と稲わらかけ。
この有機物が1年かかって分解されるから、ウドに施肥は不要だ。
大麦・小麦の畝を中耕・土寄せ。
麦のあとは豆を作るので、今年は麦に追肥しない。
トンネルの菜っ葉予定地の畝立て。
菜っ葉はまこま菜とホウレンソウを作る予定。
ことしはもう1本くらいトンネルを作る。
枯れたアスパラガスの一部を晦日に刈り取った。
それを畑で燃してもいいのだが、せっかくなので持ち帰って、ボイラの焚き付けにした。さすがに厳冬期とあって、風呂が沸くところまではいかなかったが、薪の節約程度には役に立った。
山ではコナラの実が発芽しようとしていた。
コナラは、発芽する前によほど力むと見え、殻斗が割れると真っ赤な子葉が顔を出す。
寒さに負けまいとするから、顔を真っ赤にして根を伸ばすのである。
朝から集落の新年会。
例年のことだが、またまた荷の重い役を仰せつかってしまった。
ホームページの手入れ。
大豆いじり終了。
思った通り、今年は3升くらいしかとれなかった。
大麦の跡地に肥料を入れずに種まきしたのだが、昨年2月、大麦に少々追肥したのがいけなかったのかもしれない。
農作業は、うまくいくこともあれば、いかないこともある。
そこから法則のようなものを導き出すことができないわけではないが、種々の要因が同一でなければ法則は妥当でなくなる。
だから、法則などほとんどないと考えたほうがよい。
あまりにも貧果だったので、品種を変えたい気持ちが起きている。
赤大豆を10年作ったので、そろそろ変えてもいいかもしれない。
写真は、鷲峰山金胎寺の周辺。
金胎寺の「行場」には役行者の石像が二体あり、いずれも二本歯の高下駄をはいておられる。
二本歯の下駄では山を歩きづらいように思うのだが、どうなのだろうか。