引き続き、出勤前と退勤後の時間を使って、大根の種まき。
本日、雨予報だったにもかかわらず、よく晴れたばかりか、久しぶりに36.1度まで気温が上昇したのは、誤算だった。
向こう一週間、お湿りが期待できないだけでなく、気温がいささか高すぎて、秋野菜の生育にはよろしくない。
北岳山行記を追加。
引き続き、出勤前と退勤後の時間を使って、大根の種まき。
本日、雨予報だったにもかかわらず、よく晴れたばかりか、久しぶりに36.1度まで気温が上昇したのは、誤算だった。
向こう一週間、お湿りが期待できないだけでなく、気温がいささか高すぎて、秋野菜の生育にはよろしくない。
北岳山行記を追加。
退勤後に、大崎菜と紅菜苔の小苗を植えつけ。
あやめ大根の種まき。
西瓜跡地を耕耘し始めたが、半月ほど前に埋めた雑草がまだ腐熟しておらず、次の作付準備はまだ無理。
日がだんだん短くなって、退勤後の農作業ができなくなるので、農作業の時間がもう少しほしい。
写真は、北岳からの展望。
北岳に行くのは3回目だったが、晴れたのは初めてだった。
それだけに、この展望は新鮮だった。
『させられる教育』の読書ノートを追加。
北岳を歩いてきた。
土曜日に、広河原から白根御池まで行って幕営。
今日は、軽装で八本歯コル経由で北岳に登り、草すべり経由で御池に下って、重荷を背負いなおして広河原に下山した。
幸い、夕立にも降られず、終始ほぼ好天の二日間だった。
写真は、今朝の北岳。バットレス側から見上げている。
なお、この写真は、ニコンCOOLPIX8000で撮影した。
引き続き、白菜苗の植えつけ。
今年は白菜苗の出来が、ことのほかよい。
虫害次第では、うまくいくかも。
写真の状態は、ちょっと密植し過ぎである。
夕方前にほうれん草の種まき。
この時期にほうれん草をまいたのは初めてだと思う。
朝は涼しいが、日中はかなり暑いので、芽が出るとは思えないが、種袋にはこの時期の播種も可能なように書いてある。
石灰を十分に施してまいた上に、稲わらをかけて防乾してやったので、ことによると発芽するかも知れない。
夕方には雷雨になったので、畑仕事は終了。
本日の農作業は、まず出勤前に白菜苗の植えつけ(一部)。
夕方に、玉レタス・大根・白菜など予定地にマルチ張り。
蕪(木曽紫)の種まき。
人参の種まき。
大根(あやめ)の種まき(一部)。
除草少々。
自宅で紙ポットに蕪(金町・あやめ雪の発芽期限切れ種)の種まき。
同じく、玉レタスの種まき。
土曜日から南アルプスに行かなければならないので、秋野菜の準備も追い込みだ。
写真は、今年のミニトマト、イエローアイコ。
作り易くて、大粒で、味が濃くて、たくさんできる。
これ以上、いいトマトがあり得るのだろうかと思うくらい、いいトマトである。
退勤後、春インゲン跡地を耕耘・うね立てして、秋野菜予定地作り。
秋野菜の準備も遅れ気味ではあるのだが、それ以前に、昼間の気温がちっとも下がってくれない。
朝は22〜23度くらいまで下がっているので快適なのだが、日中に34〜35度まで上がっては、ニンジンなどは発芽しないし、レタスなどはあっという間に干からびてしまうだろう。
高峰山の虫の最終回。
個体数でもっとも多いのはクジャクチョウだが、最も鮮やかで美しいのもクジャクチョウだった。
クジャクチョウは、日本の蝶の中でも、美しさで1.2を争うのではないかと思う。
富士山にも多いが、高峰山はクジャクチョウの天国だった。
出勤前に、カリフラワー小苗の植えつけ。
退勤後に、除草とインゲンの片づけ(途中で日没)。
アサマ2000スキー場のゲレンデで、たくさんのベニヒカゲを見た。
ひらひら飛びながら、なかなか止まらないのだが、路上や自分の足になど、止まったりした。
めったに見ない蝶だが、時期がよかったのかもしれない。
出勤前と退勤後に、農作業。
春インゲンの片付けと、肥料まき。
宵の口から、激しい雷雨になった。
お湿りがほしい状態だったので、たいへん助かった。
写真は引き続き、高峰山の蝶。
米がなくなったので、精米を兼ねて、小諸の奥の高峰山を散策してきた。
マツムシソウやヤナギランを始め、初秋の草花が花ざかりだった。
花もみごとだったが、お花畑に舞う蝶の数も多かった。
今日は、蝶を見に行ったようなものだった。
紙ポットに紅菜苔・宮内菜・大崎菜の種まき。大崎菜は発芽期限切れだが、試しまき。
カリフラワー小苗の一部を植えつけ。
残りのカリフラワー苗と白菜・宮内菜等を植えるための耕耘・畝立て・マルチ張り。
『千日回峰行』の読書ノートを追加。
写真は、今年の西瓜を切ったところ。
これは、大正期に伝来したという、嘉宝。
オレンジ色の果肉で、たいへん爽やかな、おいしい西瓜だ。
午前中は、本の移動。
午後、畑に行って農作業。
出穂した陸稲に、網かけ。
発芽したあと、かけておいた網をはずしたら、スズメにほとんど食われてしまったのだが、残った苗を植え替えて育てたら、どうにかここまで育った。
このままどうにかして、収穫までもっていきたい。
多分バテていると思われる夏野菜に追肥。
秋キュウリの支柱立て。
秋キャベツ苗の整理。
あとはいつものように大除草。
久しぶりに平常勤務。
エアコンの効いたオフィスでパソコンのモニターに向かっていたら、頭が痛くなった。
退勤後、田んぼの防鳥糸張り。
今年の稲は、昨年よりずっと好調だ。
家人がマメに世話をしているからだろう。
代かきをしないで植えた田んぼなのに、よそと比べて全く遜色ない状態になっている。
本日もほぼ終日、草むしり。
最高気温が35.7度を記録しただけあって、たいへん暑い日で、何もしていなくても汗が吹き出す状態だった。
これだけ暑いとさすがのヤブ蚊もおとなしかったのが、せめてもの救いだった。
本棚作りは、材料が切れたのとお盆休みが終わったので、とりあえずここまでで無期限休止。
ある程度は移動できる状態なので、これでよしとする。
ほぼ終日、草むしり。
草を抜いたあとを管理機で耕耘したので、見た目はずいぶんよくなった。
まだまだ焼け石に水状態だが、秋野菜を植える場所は整備できつつある。
朝はずいぶん涼しいのだが、冷涼な気候の好きな秋野菜を植えるにはまだまだ、気温が高すぎる。
本棚作りは佳境にさしかかっているというか、材料がなくなったので、納得のいくまで作るか、このへんでやめておくか、考えどころだ。
写真は、楊子ヶ宿から釈迦ヶ岳・前鬼にかけてのようす。
ほぼ終日、草むしり。
マクワウリを片付けて、草をとり、白菜予定地の準備に着手。
飛騨カボチャができているかどうか調べてみると、苗を5本ほど植えたのに、実は1個しかできていなかった。
夏インゲンの種実ができ始まったので、収穫しなければ。
本棚作りは遅々として進まず。
写真は、弥山〜楊子ヶ宿避難小屋までのようす。
おおむねガスに覆われていたのだが、雨にはならず、ときおり展望もひらけた。
ご多分にもれず、ここでも鹿による樹木・草類の食害が著しかった。
八経ヶ岳周辺のオオヤマレンゲ自生地だけは、網で囲ってあったので、いろんな植物が生育していたが、それ以外の場所は、太い樹木以外は食べつくされたかのようにすっきりしていた。
樹林帯で咲いていた花は、トリカブトとバイケイソウの毒草2種とオトギリソウくらいだった。
終日、農作業。
大除草。
赤大根と黄色人参・白人参の種まき。
紙ポットに白菜の種まき。
草原化した畑の除草は着々と進行しているが、今のところ焼け石に水状態。
こういう時期の草取りが、一番きつい。
帰宅後、本棚用の杉板切り。
写真は、前鬼で見た巨木群。
集落のすぐ上は杉並木になっているのだが、さらに上には、ツガとトチの原生林が展開する。
いずれも、無数の行者・ハイカーの姿を見続けてきた神のような樹ばかりだ。
こんなところでゆっくりしたいのが人情というものだが、ここでしばらく写真を撮っていただけで、2匹のヤマビルにとりつかれた。
今日も終日,本棚作り。
雨時々曇りの陽気だったが,台風が連れてきた熱気が入ったのか,午後から非常に蒸し暑くなった。
釈迦ヶ岳山行記をまとめているが,まだ完成しない。
大峰はいつもこんな写真だが,これが最も大峰らしい。
物置にいれる本棚を作るため、杉板を購入した。
製材屋さんで買ったので、ホームセンターなどで買うよりずっとよかった。
午後は買ってきた材を加工したり、寸法計算したりしていたので、農作業はできず。
明日から少しずつ、本棚の組み立てに入る。
白倉岳山行記を追加。
白倉岳では、数本のスギ巨木に出会うことができたのだが、基本的には、ブナ・ミズナラに天然杉が交じる林だと思う。
ブナは問題なかったが、ミズナラは7〜8割が枯死していた。
江若国境の分水嶺は、低いところで300メートル以下しかない。
カシナガはこれくらいなら、らくに越えていくだろう。
2年前に芦生で、枯死した巨ミズナラを見た。
数日前には、京都・東山でコナラの集団枯死を見た。
湖西線から見た比良連峰は、一部がまっ茶色に染まるほど、ナラ類の枯死が進んでいた。
白倉岳のミズナラが枯れたのは、今年でなく、去年以前だったらしく、山は茶色くなかったが、枯れたミズナラが至るところに立っていた。
午後から道普請の続き。
コンクリート打ちが終わったので、とりあえず今日で完成。
問題がなければ、明日から普通に通行できるようになるだろう。
北八ツ山行記を追加。
朝は身体休めを兼ねて、ホームページの手入れ。
今さらだが、ようやくアヤメ平山行記を完成。
午後は集落の道普請。
土留めの型枠にコンクリートを入れるのだが、こっちはそんなやり方をちっとも知らない。
大学にお金を払って数々の勉強をしてきたわけだが、生活の役に立つことは何も学んでこなかった。
その後、畑に行って農作業。
実質的に半月近く、放置していたのだから想像できたのだが、畑は草原と化しており、実もの野菜は熟して腐敗しかけていた。
ときおり驟雨も降ったが、日没までひたすら草をむしった。
先月まいたニンジンは、草に負けて消滅していたので、まき直し。
自宅で紙ポットにカリフラワーの種まき。
勉強の毎日が終わったので、ごちゃごちゃになった頭をフォーマットしに、大峰山脈を歩いてきた。
金曜日に、行者還トンネル西口から入山し、弥山を経て楊子ヶ宿避難小屋泊。
土曜日は、仏生ヶ岳・釈迦ヶ岳・大日岳を経て、前鬼・小仲坊泊。
今朝、小仲坊からゲートまで歩いて、15時間のドライブで帰宅した。
大峰山脈は、先日歩いた八ヶ岳と好対象の山だ。
山脈のスケールはほぼ同等か、大峰の方が大きいが、標高は八ヶ岳が勝る。
標高が低く、南に位置している故に、大峰には森林限界を越えるピークはなく、ほぼ全山が樹林に覆われている。
岩場などのスケールはほぼ同等だが、樹林に覆われているぶん、大峰の方がはるかに見ごたえがある。
大峰も、苔むした樹林帯は八ヶ岳と似ており、八経ヶ岳あたりは縞枯現象も見ることができる。
登山者数は圧倒的に八ヶ岳が多く、大峰を歩いていて、一日に出会う登山者は数人に満たないことも多い。
できれば、なんども大峰を歩きたいものだが、いかんせん遠くて、ちょくちょく出かけることはむずかしい。
写真は、今朝の前鬼川・不動七重滝。
滝そのものも立派だが、屹立する岩壁と岩を割ってそびえる針葉樹のおりなす光景は、これぞ日本の渓流という感じがする。
今日は学校だった。
ここ数日の校舎とは別のところだったので、ちょっと迷ったが、遅刻するほどでなかったので助かった。
明治初年に建築された重要文化財の校舎で勉強できるのは、幸運だと思う。
昔の建物というのは、じつに美しくできている。
木造校舎だが、エアコンが効いていて、快適に勉強することができたし、授業もまずまず興味深く拝聴することができた。
学校が休みだったので、朽木村の白倉岳を歩いてきた。
江若交通バスの時刻表がインターネットに出ているのと異なっていたので、安曇川駅でひどく待たされた。
そのため、山に入ることができたのは、9時半を回っていた。
ここ数日同様、蒸し暑かったが、山の上は風も多少吹いていて、さほど暑くもなかった。
このあたりの山は皆そうなのかもしれないが、やけにマムシが多く、都合3匹見かけた。
大スギを何本か見たが、中岳山頂のだけは、芦生で見たのに匹敵するほどの巨杉だった。
これで1本の木なのだから、たまげてしまう。
栃生に下山したが、バスの便が悪く、朽木学校前まで国道を1時間半以上も歩いた。
本日も学校。
この校舎に登校するのも3日目だ。
さすが関西の大学らしく、キャンパスにクスの植え込みがある。
今日の講義はほとんど惰性で受講した感じだった。
試験の際の答案の書き方のコツが掴めてきたので、あまり苦労しなくなってきた。
試験が終わってから、墨染駅に移動して、墨染寺と藤ノ森神社にお参りした。
墨染寺は日蓮宗の小さなお寺だったが、もとは由緒ある寺院らしい。
藤ノ森神社は、電車の窓からもすぐにわかる、立派な森に囲まれた大きな神社である。
鳥居をくぐるとすぐに、クスの大木。
説明看板など何もないが、樹齢数百年と思われる、巨大な木だ。
参道と本殿前に、クスの巨木がもう2本。
本殿前のは、それほど大きくはない。
参集澱前にケヤキの大木が1本。
それ以外にもカシ類やクスなどの壮年木がいっぱいだった。
学校の庭と神社で、クスの森を見た一日だった。
今日は学校に行く日だった。
都会では、電車の時刻に気を使う必要が全くないのはありがたい。
一本あとの電車がすぐに来るからだ。
また移動距離がさほど長くないから、電車に長時間乗る必要が全くなく、いつも鈍行で十分である。
いつもすいているから、この生活記や山行記などのラフ原稿程度なら、電車の中で十分書くことができる。
仕事上の能力向上のためというふれこみの講習会だが、今日の講習は、実質的には、「改正教育基本法」や「新学習指導要領」の解説だった。
普通なら、教育委員会が講習会を開き、「出張」扱いで参加しているものと、内容的に相違はほとんどない。
違うところの一つは、話をするのが大学教員だという点である。
埼玉県教育委員会の人は、慇懃無礼な態度で肝心なことは何も言わないし、相手がそれを理解しようがしまいがどうでもよいという態度である。
昨年、学習絵指導要領の講習会で「日本人としての自覚を深めさせるよう指導せよ」という話を2時間ほども聞かせた上、「日本人とは何ですか」と質問したら、「当方はお答えする立場にございません」とのたまったくらいである。
大学の先生は、受講生に理解させようと思っているから、ていねいに説明するし、それなりの教材も用意してくれる。
感心するほど説明の仕方の巧い先生もいる。
ただ、ここでは、授業のあとに試験がある。
今日の授業は、それなりに勉強になったのだが、自分としては納得しかねる部分も多かった。
そこで、試験の前に「答案は文科省の意向に沿う答えでないといけないのか」と尋ねたところ、先生は、「皆さんが私の講義に基づき、ご自分でお考えになったことが正解です」とキッパリ言ってくださった。
疑問をもつことも許さないし、疑問に答える必要もないというような埼玉県教育委員会の役人(教頭予備軍である)と比べて、なんとまともなんだろうと、感動した。
おかげで、今日は4科目の試験があったのだが、みんなよく書けた。
試験が終わってから、ダメもとで、大学近くの宝塔寺と石峰寺にお参りに行った。
宝塔寺は、さほど大きいお寺ではないものの、境内にいくつもの塔頭を持つ、日蓮宗の立派なお寺だった。
こんなお寺に、5時を過ぎて入れることができて、ラッキーだった。
山門も、本堂も、多宝塔も、たいへん立派なものだった。
源氏物語にも登場するという話だが、どういう場面なのだろう。
宝塔寺の裏山は「七面山」と呼ばれており、山頂直下に七面大明神の社がある。
七面山といえば、日蓮宗の聖地である身延山近くの行場であり、一昨年、登ったばかりである。
道がついていたので、山頂に行ってみたら、一帯の至るところで、コナラが枯死していた。
状況から見て、カシナガの害に間違いないと思われた。
カシナガによる被害はまだ、日本海側に限られていると思っていたが、すでに京都の市街地にまで、広がっている。
山頂から石峰寺に降りる道があったので、下りて行ったら門が閉じられていて、降りることができず、結局また登り返して、宝塔寺から街に出た。
石峰寺を拝観することはできなかった。
『日本海繁盛記』の読書ノートを追加。
学校が休みだったので、一日、嵯峨野を歩いた。
バスで愛宕(おたぎ)寺まで行って、まず愛宕寺にお参り。
新しいものだが、無数の羅漢像がところ狭しとおかれていた。
鳥井本集落まで下って、次は化野(あだしの)念仏寺。
無数の無縁仏がひしめき合っているという感じの、西院の河原が印象的だった。
しばし南下して、祇王寺。
平清盛の寵を得たのち捨てられた白拍子・祇王ゆかりの寺だが、さほど広くはない庭が、とても美しかった。
その手前の檀林寺門跡は、本堂が宝物館を兼ねており、飛鳥時代の夢違観音など、錚々たる仏像・美術品を見ることができた。
ただ、説明してくださった方が、「菊の御紋」を、これでもかとばかりに誇られるのには、少々閉口した。
二尊院は、小倉山の斜面にあり、藤原定家が百人一首をここで選定したという口伝がある。
天台宗のお寺だが、法然と深いつながりがあり、阿弥陀と釈迦の二体の仏像が本尊である。
お寺としては、その次に訪れた常寂光寺が庭も美しく、最も印象深かった。
日蓮宗のお寺で、開山の日しん(ネへんに真)上人という人は、豊臣秀吉が方広寺大仏殿で大々的な供養のイベントを催したとき、その招きに応じなかった気骨の人らしい。
当時の秀吉は、朝鮮侵略で舞い上がっていただろうから、その行為は、かなりの勇気を必要としただろう。
定家の山荘はこちらだという説もあるらしい。
南北朝期の山門や江戸初期の多宝塔も、みごとだった。
御髪神社にちょいとお参りして、次は天竜寺。
孟宗竹林を抜ける道は、よく写真に撮られている。
世界遺産にも登録されているとあって、ここにだけ、アジア系・ヨーロッパ系の外国人が、うろうろしていた。
ここでは、庭園と本堂と法堂の拝観料とがそれぞれ別に徴収される。
足利尊氏をパトロン、夢窓国師を開山とするという、豪華キャストで作られた大寺院なだけに、規模は豪壮なものだった。
最後は、線路を渡って、清涼寺。
ここの釈迦如来像はインドから中国を経て日本にもたらされたというが、本当だろうか。
ちょうど開帳されていた釈迦如来を見ることもできたし、本堂内の諸仏や多宝塔もみごとだった。
ひどい猛暑日で、なるべく日陰を選んで歩いたが、たいへん疲れた。