神社仏閣

山行記など

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山入大楠

 朝から家にこもってサイトの手入れ。

 羽賀山 と 越生から都幾川の巨木めぐりの2本の山日記書き。

 写真は昨日見た、山入の大クス。

 家人のパソコンがまた壊れたので、新しいパソコンのセットアップ。
 Windows7は使いにくい。Vistaよりましという声が多いが、それならVistaがよほど使いにくいのだろう。
 マイクロソフトにお布施を積むのはとても馬鹿らしい。

 こちらで配布していただいているプログラムを使って山日記に「ルート地図」をつけているのだが、地図に「樹木」と「石造物」のアイコンを追加した。
 追加できたのは、上記2コンテンツだけ。
 地図にアイコンを追加するだけだが、かなり面倒な作業だった。

 午後から季節風が強まって、横殴りの風花が舞った。
 家のまわりも多少積もって、白くなった。

 今年は神社の役をしているので、今夜はこれから、地元の初詣の人たちの接待をしに行かなければならない。
 あまりに寒くて、気が進まないが、やむなし。

 どうにか年が越せそうだ。
 当ブログをごらんいただいている皆さんもどうか、よいお年をお迎え下さい。

石像墓石

 年の瀬も押し詰まってきたが、自由になる時間がとれるのは希有なことなので、また越生に出かけた。
 今月になって、越生に行くのは5度目なので、今日あたりは通勤気分だった。

 梅林でバスを降りて、まずは梅林神社を参拝。
 秩父で氷点下4度を下回る、非常に寒い朝だったが、スダジイやツバキなどが生い茂り、ちょっと南国ムードのある社叢だった。

 ここから歩き始めて、石仏など見ながらまずは、山入の大楠を見に行った。
 話にたがわず、巨大なクスで、紀州あたりの木にまさるとも劣らない凄い木だった。

 山入から山道で都幾川村に出て、まずは大附日吉神社に参詣。
 大津の日吉大社が延暦寺の守護神であるように、こちらが天台宗系の慈光寺の守護神の位置にあることは、容易に想像できる。
 ここの本殿裏の大ケヤキも凄かった。

 ここから西へ下って行く途中に、西平の大カヤがある。
 説明板には樹齢1000年と記されている。
 寺社の境内に植えられた大カヤはときどき見るが、山の中にこんな巨木があるとは驚きだ。

 さらに少し下って、今度は萩日吉神社。
 こちらも、慈光寺と対峙する位置にあり、ワンセットで考えられるべき神社だと思う。
 日吉神社としては当たり前なのかも知れないが、猿の狛犬は、とても珍しかった。
 ここには、杉の巨木が二本(児持杉)あり、境内の至るところに大きな杉が植えられていた。

 さらにしばらく歩いて町中に出て、関堀の大イチョウを見て、巨木めぐりは終了。
 直売所でみかんを買って、あとはのんびり、明覚駅まで歩くだけだった。

 帰宅前に畑に寄って、枯れ草燃しと早春野菜用のマルチかけ。
 日没にて終了。

 写真は、山入集落奥で見た石像墓石。
 万延元年という年号があるから、幕末である。
 戒名からして、童女か若い娘さんの墓石と思う。

 リアルな表情から、子を亡くした親の悲しみが感じとれる。

龍穏寺など

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龍穏寺山門


石像墓石


龍穏寺経蔵


馬頭尊の道標

 霧雨もようだったが、せっかく休みをとったので、また奥武蔵修験のお寺にお参りしてきた。
 今日は、越生町の龍穏寺を見学した後、大平尾根に登り、羽賀山を経て、飯盛峠の先のピークから町屋敷経由で西吾野駅に下山した。
 午後前から天気は回復したが、寒気が入ったと見えて、曇っていた午前中よりずいぶん寒くなった。

 龍穏寺は今は禅寺だが、かつては修験寺院だったようだ。
 室町時代から江戸時代にかけては武将や幕府の保護を得て繁栄したとのことだ。
 山門や経蔵などは、かつての栄華を偲ばせる、じつに立派なものだった。

 室町時代に、太田道灌によって再興された由緒を持ち、道灌の墓だという五輪塔がある。
 上は、道灌墓のわきに建っていた江戸時代の石像墓石だが、150年たってなお、とてもリアルだ。

 龍穏寺先から少々のヤブこぎで大平尾根に上がり、飯盛峠に至ったのだが、峠西の三角点ピーク(飯盛山という道標あり)から西吾野へ下るところに、馬頭尊の形をした道標があった。

 「此方 しかうじ ちゝぶ みち」と彫られているが、「しかうじ」とはもちろん、慈光寺のことである。
 このあたり一帯が、里山修験や武蔵・秩父札所めぐりでにぎわっていたことが知れる。

 下山後、畑で農作業。

 ヤーコンの片づけ。
 今年のヤーコンは完全に収穫遅れ。半分以上が凍ってダメになった。
 ヤーコンは遅くとも、霜の降りる前後には収穫しないと失敗する。

 冬の菜っぱ予定地の耕耘とうね立て。
 以上で日没。

四寸道

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高山不動

 早起きをして、越生から四寸道を通って高山不動にお参りしてきた。
 この道は、18年前に吾野側から歩いたことがあるのだが、その時は最後の詰めが甘く、ヤブこぎで下山したのだった。

 黒山の熊野神社前から歩き始めて、横吹峠が四寸道の入口だ。
 山腹のトラバースが多いので、歩くぶんにはらくなコースだ。

 越生と吾野を分ける稜線に上がれば、高山不動の奥の院(関八州見晴台)はすぐだった。
 高山不動の不動堂はとても立派な建物だ。

 この間、竹寺・子の権現・慈光寺・高山不動と、奥武蔵の山上寺院めぐりを続けてきた。
 わかったのはそのいずれもが、かつて修験寺院だったということだ。
 奥武蔵一帯は、両神山や三峰周辺とは異なり、さほど険しい山岳地帯ではない。
 このあたりは、関東平野とも遠くない穏やかな山里だ。
 奥山と比べれば農業の占める比重の重い、山地農村の暮らしと結びついた里山修験が存在したのかも知れない。

 今回は間野に下りるのではなく、三社峠を越えて三社に下りた。

 早く下山できたので、日没まで農作業。
 枯れ草燃しの続きと、冬まき菜っぱ予定地の耕耘。

慈光寺観音堂

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慈光寺観音堂

 せっかく晴れたので、懸案だった慈光寺から堂平山のコースを歩いてきた。

 まず、越生駅から、都幾川町代替バスで慈光寺へ。
 まずは、慈光寺境内と宝物館を見学した。

 慈光寺は本物の古刹で、平安時代ころから一大伽藍群を有していたらしい。
 ここは、武蔵における修験のセンター的位置にあったのではないかと思っていたが、役の行者がここを道場としたという口伝がある。
 宝物館には、小さいながらも迫力のある役の行者像や、蔵王権現像が飾られていた。

 慈光寺から七重集落を経て堂平山・白石峠・新定峰峠・旧定峰峠と歩いて定峰集落へ下山。
 バス便が悪かったので、大野原駅まで歩いた。

 写真は、慈光寺観音堂。

 下山後、畑に行って堆肥貯蔵箱作り。

アカガシ大木

 1時間ほどの超過勤務。
 まずまずの繁忙期だ。

 寒くはあるが、陽射しがあれば本格的な冬というほどでもない。

 写真は昨日、越上山近くの諏訪神社で見たアカガシの大木。
 このあたりまで来ると、雑木林にも常緑樹が多くなる。
 それにしても、こんなアカガシはあまり見ない。

 この樹のそばには、コナラかミズナラかと思われる大木が伐り倒されていた。
 たぶん枯れたから伐ったのだろうが、生きているときに見てみたかった。

 この神社の記念碑も東郷平八郎の題字で、すぐわきには、どこかの戦争で得られたものと思われる砲弾が祀られていた。
 これらの砲弾は、海軍省あたりから配布されたものと思われるが、どのような歴史的な流れがあるのか、興味をそそられた。

前鬼と後鬼

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前鬼
後鬼

 朝からまた、奥武蔵の低山を歩いてきた。

 今日の主目的は、黒山三滝から大平山の役の行者石像を見に行くことだった。
 石像は期待どおり、とても立派なものだった。

 その後、顔振峠から諏訪神社、越上山、スカリ山、ユガテと歩いて、東吾野駅へ下山した。

 帰宅前にミューズパークに寄って、落ち葉かき6袋。
 畑で、除草と菜っぱとり。

 帰宅後、煙突掃除。

 写真は、役の行者に従う前鬼と後鬼。
 役の行者像もよかったが、この二像もとても力強くて、印象的だ。
 後ろの行者像の、さらに後ろには、3種類くらいの樹木が合体した、これまた怪異な大木が生えている。

東郷公園

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第一次世界大戦間連の石碑

ロシア軍野砲

戦艦三笠の甲板

 年末の根つめ仕事の時期に入った。
 腰痛も小康状態なので、10日後に予定している山登りには間に合いそうだ。
 朝、畑に寄ってホウレンソウを少々収穫。

 吾野の御岳神社境内は、東郷平八郎を記念した公園として整備されている。
 これは、東郷を崇拝した地元の篤志家の尽力によるもので、東郷と吾野の直接の関係はないようだ。

 境内のあちこちには、日露戦争に関連する上のような品々が展示されていて、ちょっとした博物館のようだ。
 この公園自体は、軍国主義鼓吹の役割をおおいに果たしたであろうことが想像されるが、歴史的な品々に触れるには面白いところだ。
 ただ、御岳神社としての信仰と軍神東郷礼賛とが、教義的にどのように整合しているのか、気になるところだ。

 子の権現山行記を追加。

古鷹神社の大杉

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古鷹神社の大杉

 午前中は、鎮守の祭礼。

 午後は農作業と山仕事。

 引き抜くべき大豆がまだ、ずいぶん残っている。
 腰に無理な力をかけねばならないので、ひさびさの好天は有効に使いたいが、この仕事は一気にやると怪我をする。

 山のコナラを5本ほど伐倒。
 来年はまた、クリタケを打つつもり。
 クリタケ・シイタケを作るのであれば、来週以降に伐ったのでは、水が抜けないので、使えない。

 蓑山に行ったので、落ち葉かきを少々。今日はまず、4袋。

 帰宅後、大豆を手で脱穀。

 写真は、鎮守の境内。
 ご神木の大杉は、町の天然記念物である。

麦まき

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竹寺のコウヤマキ

石仏群

竹寺本堂

植林の道

道ばたの大樅

アキノキリンソウ

天竜寺鐘楼

天竜寺の庫裏

 朝早く起きて、小麦の種まき。
 秩父事件直前の密偵報告に、「いずれの村でも現在麦まきの最中であり、近日中に蜂起する景況にはない」とある。
 命をかけた武装蜂起を前にしても、麦をまいておかなければ、翌年夏の食糧に困る。
 どんな状況に置かれてもこの時期には、麦をまいておかねばならない。

 『インフラの源流はダム』の読書ノートを追加。

 写真は、竹寺から子の権現界隈。

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