あまり時間がなかったので、滋賀県愛東町の百済寺(ひゃくさいじ)に、自動車で行ってきた。
広大な境内に、無数のヤマザクラやヤブツバキが自生しており、全山にミツマタが植栽されている。
カエデ類も多いから、花の季節のみならず、紅葉の季節にもみごとだろう。
かつては同じ天台宗の比叡山に似て、無数の塔頭が林立していたらしいが、堂宇・諸仏・経文の殆どを、信長の放火によって失ったらしい。
信長は、石垣の石まで抜いて、安土築城に再利用したという。
まさに、悪魔の所業である。
同時代の、例えば信玄や謙信の、神仏への信仰は、絶対的なものだった。
信玄などは、善光寺が欲しくて、長野から本尊ごと、甲府まで奪い来たったほどだ。
信長の冷酷無比な合理主義は、秀吉や家康とも次元が異なり、バーミヤンの大石仏を爆破した人々と通底する、ニヒリズムを感じる。
彼が天下を握り得なかったのは、幸運なことだった。
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