龍穏寺など

| コメント(0)
龍穏寺山門


石像墓石


龍穏寺経蔵


馬頭尊の道標

 霧雨もようだったが、せっかく休みをとったので、また奥武蔵修験のお寺にお参りしてきた。
 今日は、越生町の龍穏寺を見学した後、大平尾根に登り、羽賀山を経て、飯盛峠の先のピークから町屋敷経由で西吾野駅に下山した。
 午後前から天気は回復したが、寒気が入ったと見えて、曇っていた午前中よりずいぶん寒くなった。

 龍穏寺は今は禅寺だが、かつては修験寺院だったようだ。
 室町時代から江戸時代にかけては武将や幕府の保護を得て繁栄したとのことだ。
 山門や経蔵などは、かつての栄華を偲ばせる、じつに立派なものだった。

 室町時代に、太田道灌によって再興された由緒を持ち、道灌の墓だという五輪塔がある。
 上は、道灌墓のわきに建っていた江戸時代の石像墓石だが、150年たってなお、とてもリアルだ。

 龍穏寺先から少々のヤブこぎで大平尾根に上がり、飯盛峠に至ったのだが、峠西の三角点ピーク(飯盛山という道標あり)から西吾野へ下るところに、馬頭尊の形をした道標があった。

 「此方 しかうじ ちゝぶ みち」と彫られているが、「しかうじ」とはもちろん、慈光寺のことである。
 このあたり一帯が、里山修験や武蔵・秩父札所めぐりでにぎわっていたことが知れる。

 下山後、畑で農作業。

 ヤーコンの片づけ。
 今年のヤーコンは完全に収穫遅れ。半分以上が凍ってダメになった。
 ヤーコンは遅くとも、霜の降りる前後には収穫しないと失敗する。

 冬の菜っぱ予定地の耕耘とうね立て。
 以上で日没。

コメントする

2023年7月

            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

アーカイブ

カテゴリ