ほぼ終日、農作業。
玉ねぎ苗の植えつけ。
たぶん120本ほど。チト少ないかな。
えんどう豆の種まき。
やや早まきと思うが、結果やいかに。
えごまの刈り取り。
前回刈ったのは早すぎた。
今回がジャストインタイム。
ヤーコンの掘り上げ。
これも早々に干さねばならないのだが、チト多忙につきしばらく自宅に放置せざるをえない。
写真は、鹿谷城址近くから望んだ鹿島槍。
爺ヶ岳から白馬岳まで、よく見えていた。
ほぼ終日、農作業。
玉ねぎ苗の植えつけ。
たぶん120本ほど。チト少ないかな。
えんどう豆の種まき。
やや早まきと思うが、結果やいかに。
えごまの刈り取り。
前回刈ったのは早すぎた。
今回がジャストインタイム。
ヤーコンの掘り上げ。
これも早々に干さねばならないのだが、チト多忙につきしばらく自宅に放置せざるをえない。
写真は、鹿谷城址近くから望んだ鹿島槍。
爺ヶ岳から白馬岳まで、よく見えていた。
午後、山里文化研究会の集まり。
昨日の疲れがまだとれていない。
自動車のタイヤ交換。
チト早すぎたか。
写真は、昨日見たムラサキシメジとその酢漬け。
(A助) よう。去年の秩父巡礼、ありゃあ行ってよかったな。あれ以来、日照りもないし、はやり病もなくなった・・。
(B兵衛) そだな。おかげでオラも嫁もらうことができただよ。
(C左衛門) どうだ。裏の山に34の観音様さ建てて、いつでも誰でも秩父巡礼できるようにするマイカ。
(D右衛門) そりゃいい考えだ。村じゅうみんなでやればできるズラ。
(E太郎) 石は、山の岩を切り出そう。仏師は、高遠さ行って頼んでくる。
(F之助) そのときに、観音様にご詠歌も彫り込んでもらうマイカ。子や孫に、オラたちの仕事を伝えるんだ。
という会話が交わされたのかと妄想する。廃屋の目立つ信濃の山里で出会った、秩父観音34ヶ所霊場。ここは信州新町・鹿谷城址近く。
朝の気温は、公式発表で2.8度。初冬の風情だ。
そら豆の種まき。
寒い冬だというのでやや早まき。
大豆は葉ばかり茂って、おそらく収穫は皆無かと思われる。
原因は八月ごろの夜の暑さだと思う。
来年は思い切って、七月以降にまいてみよう。
写真はコガネタケ。
これを食ってアタった友人がいるので、多少警戒しているのだが、山道に状態のいいのが出ていたので、いただいた。
終日、農作業。
そら豆・えんどう豆・大麦予定地の土作り。
豆類予定地はうね立てまで。
大麦は種まきまで。
この時期、天候が安定することが多い。
それ自体はけっこうなのだが、晴天があまり続くとまいた種の発芽に響く。
明日の夜に降雨予想があるので、麦を蒔くなら今日だと思った。
写真は、戸倉山から見上げた雨飾山。
昨日の続き。
つくね芋の収穫。
毎年、植えた種芋とあまり変わらない程度の収穫なんだが、今年は明らかに植えたよりたくさんの収穫があったと思われる。
写真は、戸倉山で食ったラーメン。ブナシメジはここで消費した。
鹿肉も少なくなってきた。
草をむしって、そら豆・えんどう豆・大麦予定地づくり。途中まで。
以前は11月の声を聞く前に種まきをすませたが、近年は11月中旬でも間に合う。
写真は、戸倉山で見たブナシメジ。
上越・根知谷の戸倉山へ。
険悪な海谷の岩壁と紅葉。
信州でナツメを売っていたので、買ってきて煮た。
もう一つは、沼田城址。
訪ねてみたら、こちらは近世になって徳川に臣従した真田信幸が整備したもので、たいそう立派な天守を構えていたらしい。
戦国時代の城郭は戦闘の道具だったから、仰々しくも美しい天守など必要なかったのだが、江戸時代の城は統治のツールだったから見た目が重視されたと思われる。
自分的には、今の東京都庁なども統治のツールに見えるから、建築物として感じるものなど、なにもない。
利根川右岸の名胡桃城と対峙する段丘上に築かれた沼田城は、武田・滝川・北条・真田など、錚々たる武将が覇を競った。そのころの遺跡がどうなってるのか、ハコモノの展示にもなかったし、今は単なる市民の憩いの場になってるように見えた。
そうだよ、それがどうした? と駐車場にいた猫が言ってた。
登山に行こうかと思っていたのだが、ふと気が変わって、北上州の城址を二つ見てきた。
一つは、どうしても見たかった名胡桃城址。
北条氏滅亡のきっかけとなった城だ。
北条氏の家臣がここを奪ったことに真田氏が激怒し、そのことが秀吉の小田原攻めに発展した。
真田氏が、東信濃から北上州にかけての覇権を維持する上で欠かせない城と考えていたことと、北条方がそのことへの想像力を欠いていたことが、その後の悲劇の原因だった。
ここが城として機能したのは短い間だったが、この事件をきっかけとして北条氏は滅亡し、その後関東は徳川氏の支配下に入った。
徳川氏がその後二百数十年ものあいだ、列島を支配したことを考えれば、名胡桃城事件は日本史の転換点だったと言えるだろう。
城は、沼田盆地から立ち上がる尾根の末端に位置し、盆地から見れば山城だが、山側から攻略するのは盆地側からほど困難ではない。
ただし、砦としての規模は大きく、谷をも利用した堀に囲まれている。
越後へ通じる三国峠や清水峠を扼する要衝という地政学的な価値は大きかったから、真田にとっては死活的な価値を持っていたのだろう。
帰秩後、畑で四角豆の片づけ続き。
写真は、名胡桃城・ささ曲輪にあった小祠。
こんにゃく掘り完了。
不作だが、食べるぶんには十分。
種芋はまずまず。キゴはやや不作。
草むしり。
四角豆片づけ始め。
ごまの唐箕かけ。
まだゴミが多いから、もう少し干す。
写真は、大姥山でみた馬頭観音。
よい作品だと思う。
こんにゃく掘り始め。
今年はどうも、不作のようだ。
もっとも、それなりには穫れているので、この冬のこんにゃくに不足することはない。
それより、赤大豆が凶作らしい。ことによると、収穫皆無かもしれない。
なんでこんなことになったのかわからないが、開花日の夜間に、よほど暑かったとしか、考えられない。
ナスやピーマンのコンパニオンプランツとして植えていたマリーゴールドの種取り。
四角豆の種取り。
きゅうりの種取り。
草むしり。
写真は、大姥山で摘んだナツハゼ。
信州八坂村の大姥山へ。
前半は鎖場の連続。
周回コースの最後は道が消滅。
ここは大姥神社の奥宮があった場所。
ちょっとした投入堂になっている。
退勤後、第二次ほうれん草の種まき。
白菜に追肥。
写真は処理したガマズミ。
キャベツに網掛け。
モンシロチョウがうろついていたので、すでにやられたかもしれない。
いちごの移植。
ガマズミと葡萄を処理した。
中通りの額取山へ。
登山口の標高が高く、標高差が少ないので、まずまず軽い山行きだった。
雨があがったので、落花生を掘った。
このところ獣害にやられて収穫できなかった落花生だが、今年は厳重に網で囲ったおかげで、まずまずの収穫。
午後はZoom会議。
数日前からボイラのバーナーが故障して困っていたのだが、設備屋さんに修理していただいた。
ほんとにありがたい。
終日雨降りのため、昨日、山で得たあれこれの処理。
写真は、山葡萄。
これをどうするかは、おおやけにしない。
小雨降るブナ林を周遊。
飯山市の仏ヶ峰。
鎮守の祭礼。
今まで、神輿を台車に乗せて引き歩いていたのだが、今年は神輿を軽トラに乗せて耕地をめぐるやり方に変わった。
今年はギョウジにあたっていないので、仕事は幟旗を立てることと収納することだけだった。
にんにくの植えつけ完了。
たぶん50から60程度は植えた。
ごまの収穫。
収穫のタイミングが今ひとつわかっていないので、蒴果が弾けていつも無駄にする。
できたごまの収納率を上げなゃダメだな。
草むしりと、こんにゃくの収穫準備。
ツクツクボウシがまだ鳴いてる。
ハナビラタケを食べきって、きのこがなくなったなあと思っていたら、風吹登山道でブナハリタケがけっこう出ていた。さすがブナ原生林。
ボイラのバーナーが故障。
販売店に見ていただいたが、今のところ治っていない。
ただ、薪を燃やすのに必ずしもバーナーを使う必要はないので、ボイラ自体は使えている。
にんにくの植えつけ。
途中まで。
写真は、風吹天狗原の草紅葉。