甘楽町の天引城址へ。
天引城の由来については、明確でない。
ネットでは山内上杉氏の家臣・甘尾若狭守の居城という説が紹介されているが、根拠に乏しい。
数段にわたってていねいに削平された曲輪を見ると、地元の土豪の城かと思えるが、根小屋らしき一角や氏神・氏寺らしき寺社も見当たらないから、百姓の城だった可能性も否定できない。
永禄5年に、武田信玄が略奪した穀類をここに集積したという記録があるようだが、それだけではなんとも言えない。
明確な堀切は1ヶ所だけだが、山のあちこちに岩場を構え、防御性は高い。
ミツバツツジがちょうど満開で、美しいこと、この上なかった。
下山後、農作業。
こんにゃく予定地の草むしり。
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