2016年12月アーカイブ

うまいずら

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白菜浅漬け


うまいずら

 朝の寒さに気合が入ってきて、今朝は氷点下5.3度と出た。
 水道管が凍結したのは、この冬初めてだった。
 今日も終日、野良仕事。

 枯れたアスパラガスの支柱外しと刈り取り。

 ウドの畝に枯れ葉撒き。
 枯葉の上にアスパラを敷いて、風邪が吹いても飛ばないように重しにした。

 ヤーコンの収穫。
 イチゴの片づけ。

 ランナーを四方八方に伸ばしたイチゴを片づけるのは、じつに骨が折れる。
 イチゴの片づけだけは、正直言ってやりたくない仕事だ。
 ランナーを30本ほど、植えつけてみたが、活着するかどうか。

 イチゴあとを耕して終了。

 秋野菜で唯一無事だった白菜は、今現在、貴重な食糧だ。
 これからしばらく、塩分の多い毎日を送る。
 これは浅漬けだが、なかなか美味しい。
 軽く塩で漬けて、いったん塩出しして、商品名「うまいずら」で漬け直した。

油日岳山行記

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樫の実


那須ヶ原山


岳明神社


阿星山あたりか


 落ち葉堆肥の仕込み。
 例年の作業だが、今年はずいぶん遅れてしまった。
 回収袋26袋分を使った。

 夕方近くに冬型が緩んで、季節風が弱まったので、枯れ草燃し。
 本日もまた、日没まで。

 大峰・鈴鹿の山日記に、油日岳山行記を追加。

 夜なべに豆仕事。

田村神社

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田村神社


 落ち葉堆肥枠の組み立て。
 秋インゲンとゴーヤの支柱ヤグラの解体。
 久しぶりに日没まで、野良仕事だった。
 日がずいぶん伸びて、17時頃まで明るくなった。

 今朝の気温は氷点下4度だったのだが、温暖地から帰ったばかりなので、ずいぶん寒く感じた。

 写真は、滋賀県土山町の田村神社の標柱。
 あらゆる手段を使って東北地方を征服しようとした坂上田村麻呂が祭神である。
 天皇の国家にまつろわぬ者を相手に戦った男(の象徴)を祀ってあるだけに、元帥東郷平八郎が揮毫している。

大坂城

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大楠


 大坂城の観光。
 多分これで三回目。

 まわりを歩いている人のうち8割は、中国からおいでになったお客様と見た。
 日本人は約1割くらい。

 有馬温泉もそうだったが、日本の観光を支えているのは中国の人たちだ。
 子ども連れの若いご夫婦も多い。

 大阪城公園に植栽されている樹木のほとんどは照葉樹で、年季の入ったような木は見なかったが、よく手入れされていて、いい感じだった。

 今日見た中でもっとも印象的だったのは、大手前・舎密局あとの大楠。
 鬼畜大阪府警とNHKに挟まれ、土もほとんどないような一画に、由緒ありげな石垣あととともに、立派な枝を広げていた。

 『戦国のゲルニカ』の読書ノートを追加。

てっぽう水

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てっぽう水

 有馬温泉で、湯治。

油日岳

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伊勢湾


油日神社のコウヤマキ

 久しぶりに、鈴鹿を歩いた。
 時間があまりないので、油日岳のみ。
 奥余野森林公園駐車場から、ゾロ峠に登り、三国岳から油日岳に至って、元の駐車場に戻った。

 甲賀周辺の油日神社・櫟野寺・田村神社をお参りしたが、櫟野寺の本尊は、大量の仏像とともに東京へ出張中だし、本堂も工事中で拝観はできなかった。

 写真は、稜線から望んだ伊勢湾と、油日神社のコウヤマキ。

タカノツメ

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タカノツメ

 伐りとってきたのち放置してあったタカノツメを整理。
 今年はなぜか、豊作だった。
 これだけあれば、作る必要は当分ない。

 今後徹底的に乾燥させたのち、しまい込む。

ひと休み

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奥の院から望む富士山


西吾野へ下る

 早々と、年末の仕事を終わりにした。
 疲れがピークだったので、休めるだけでもありがたかった。

 午後から野良に出て、畑仕事。
 風でぼろぼろになったマルチの手直し。
 コンニャクあとや大豆あとの耕耘。

 奥武蔵の山日記に、17日の姥樫行きを追加。

豆仕事

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鞍掛大豆と赤大豆

 昨日、業務登山でまたまた、姥樫から高山不動を歩いた。
 その後、源流部会の忘年会。
 昨夜は、道の駅で車中泊。

 疲れてしまったので、今日は在宅。
 柚子とり。キウイとり。
 豆仕事。

将軍杉

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将軍杉

 川内村上川内の将軍杉。
 坂上田村麻呂が東北征伐の際に植えたと伝えられているので、それを事実と考えれば、計算上、樹齢は1200年をやや超えたくらいとなる。
 とても立派な杉だが、樹齢1200年はいかがなものだろうか。

 阿武隈にも、田村麻呂伝説は多い。

 坂上田村麻呂は、京都政権の尖兵として、自分たちに従おうとしない東北を武力と奸計によって切り崩そうとした人物だ。
 田村麻呂らによって捕虜にされた人々は、関東地方などへ連行され、そこで暮らすことを強いられた。

 田村麻呂らに対し、頑強に抵抗した伝説上のリーダーが「悪路王」である。
 川内村の伝説では、悪路王が拠点とした場所は、川内村最高峰の大滝根山になっている。
 以上の伝説から考えても、悪路王は、東北住民の抵抗のシンボルであり、彼は暴虐な侵略者と戦うために、故郷の山に立てこもったヒーローであるはずなのだ。

 建国神話にも、西国から大和へ襲来した「神武天皇」軍に抵抗した「ナガスネヒコ」とか「土蜘蛛」などの「悪者」が登場する。
 彼らもまた、侵略者から故郷を守るために戦った勇敢な人々だった。

 歴史は、勝者のために書かれる。
 勝者が書きたくなかった歴史が知りたければ、理性を働かせなければならない。

 蛇足かもしれないが、田村麻呂以前の大和(京都)政権軍の敗北の事実を記録した歴史記者や、抵抗者たちが存在したことを建国神話に記録した歴史記者たちには、史家としての学問的良心を感じている。

精九郎壇

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精九郎壇

 川内村と滝根町の境界稜線に「精九郎壇」という史跡がある。
 江戸時代の水論か山論の際に、精九郎が生き埋めの刑に処せられた場所だという。
 どんな山論もしくは水論が発生し、その際、精九郎がどんな役割を果たしたのか等については不明。
 精九郎が生き埋めにされた場所に、なんでこんな立派なブナが生えているのかも、不明。

沼ノ平

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沼ノ平

 9日以来、風邪を発症して、10日は体調最悪だったが、いくらか持ち直してきた。
 風邪は ?と感じたときに手当てしないと、本格的に発症してしまうようだ。
 風邪ひきは約2年ぶり。

 写真は、滝根町羽山の沼ノ平。

阿武隈へ

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人が暮らしている風景


 久しぶりに阿武隈の低山を歩いてきた。
 木曜日に川内村の鬼太郎山。
 今日は滝根町の羽山。

 川内村へは常磐道常磐富岡インターからアプローチしたが、富岡町には、人の気配が殆どなかった。
 人の気配がないとは、人の姿を全く見ないと同時に、人家周辺にマイカーが全く停まっていないということだ。
 除染作業のトラックや、何かの建設作業用のトラックはたくさん行き交っていた。
 帰宅してから調べたら、富岡町は、町域の殆どが帰還困難区域・居住制限区域で、一部が避難指示解除準備区域になっており、現状では誰も住んでいないことになっているようだ。

 田んぼも畑も荒れ放題で、虚しいことだ。

 川内村は2年前に避難指示解除準備区域の指定が解除されており、田んぼは稲刈りが終わった状態で、人々の暮らしは通常に戻っているようだった。

 写真は、川内村点景。

高山不動

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不動堂


大イチョウ

 先日、空振りに終わった運転免許の書き換え。

 前回の書き換えのとき、講習受講者は1人だけだったが、今日は3人もいて、盛況だった。
 とはいえ、座席は3人分しかないのだが。

 鞍掛豆の収穫終わり。
 夜なべに豆仕事。

 写真は、高山不動の不動堂と大イチョウ。
 不動堂は江戸時代の建立で、たいへん立派な建物である。

姥樫

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姥樫

 昨日は早起きをして、 都幾川村の日向根から高山不動、西吾野と歩いてきた。
 妖木・姥樫に再会し、高山不動の大イチョウなども見ることができた。
 紅葉は、意外に今ひとつだった。

 帰宅後、まだ明るかったので、軽トラのタイヤ交換。
 これで、自動車の冬の準備ができた。

 夜なべに、赤大豆の処理。

鹿燻

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鹿燻

 ヒノキの木っ端をいただいたので、風呂用の薪作り。
 まずまず捗った。

 自動車の車検が終わって、タイヤを冬用に交換してもらった。
 これで通勤にもひと安心だ。

 鹿を燻した。
 とても美味い。

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