光明院

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光明院


 雨がやんだ午後から、各種用足し。

 新しい書棚を作る必要がでてきたので、木材の購入。
 近所にある製材所で、小売もしてくれるので、とても助かる。

 自動車のタイヤ交換。
 これはディーラーさんにやってもらう。

 畑のそら豆の剪定続き。
 そら豆の剪定は終わったので、里芋に取りかかりたい。

 チェンソーの刃研ぎ。

 写真は、富岡一ノ宮の光明院。

 明治17年当時、光明院の住職は小林安兵衛という人物だった。
 小林は茨城県人で自由党員。
 弾圧に次ぐ弾圧を受けたこの時期の自由党の中には、実力行使による専制政府打倒以外に道はないと考える人々が生まれていた。
 そのような路線を代表していたのが、茨城と群馬の自由党員たちだった。

 明治17年3月13日に自由党の春季大会が開かれた。
 落合寅市によれば、この大会期間中に党員有志会議が開かれ、武力行使を伴う行動を起こすことが確認されたという。
 3月22日に光明院で行われた自由党の集会は、その方針を受けて開催されたはずである。
 参加者は北甘楽郡だけでなく西上州一帯から集まったと思われ、この集会は、5月におきた群馬事件の伏線となった。

 境内は静かで、きれいに掃き清められていた。

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