2024年2月アーカイブ

バンバガヤ

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バンバガヤ


 西上州・藤岡の温石峠からバンバガヤを周回。登山道なし。
 展望の開けるところはまったくないのだが、雑木林の小(ショウ)Window越しに遠くが見える。

 天気はあまりよくなかったんだが、谷川連峰とか武尊山が見えていた。
 中央のピークはトマの耳。その左はたぶん、一ノ倉岳。

 下山後、畑で農作業。
 春野菜予定地とアスパラ予定地を耕していたら、管理機が止まった。
 もしお陀仏なら大ショック。

御岳山

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稲含山


 西上州・下仁田には富士山・浅間山・御岳山が揃っている。
 今日登ったのは御岳山。榛名山や表妙義がよく見えた。
 振り返れば、雪をかぶった稲含山が意外な鋭鋒に見えた。

菊が池

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道標


 朝から雪とみぞれなのだが、気温がさほど低くないらしく、今のところほどんど積もっていない。
 しかし気温は火を燃さないと室内でも5時以下くらいなので、体感的にはひどく寒い。

 ここ数日、ブロッコリとケールをビニールポットにまいたのだが、これではとても芽が出る状況でない。
 来週には、氷点下5度の予想も出ている。
 暖かくなる希望はあるが、現実は寒くて厳しい。

 午後にかけて鎮守の役員会。
 午後から夕方まで、ずっと書き物。
 そこそこ捗った。

 写真は、甘楽町で見た菊が池の道標。
 お菊さんは殿さま(小幡氏時代)から酷い虐待を受け、池に埋められたというひどく悲しい伝説があるんだが、悲しすぎて救いようがない。
 これでは、観光客を呼べないと思う。

小柏峠

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牛頭尊

 北甘楽郡白倉村から上日野村小柏耕地へ越える峠は、小柏峠と呼ばれている。
 小柏峠は現状廃道で、通る人はほとんどいないが、風化の進んだ馬頭尊と牛頭尊が立っており、荷を負った牛馬が通行した名残をとどめている。
 牛頭尊には「明治九年子三月」「新井定吉」という銘が彫られている。

萩原勘次郎

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萩原勘次郎


 萩原勘次郎は秩父郡三沢村の人で、秩父事件当時22歳で自由党員。三沢村小隊長。身長は五尺二寸四分とあるから、今なら小柄な方になる。「物色票」には顔は長く立派で、人品がよい、と記されている。
 裁判言渡書に記されていることが全て真実かはわからないが、それによれば、女部田梅吉に誘われて、明治17年10月に自由党に入党した。武装蜂起後には、八面六臂の活躍を見せる。石間村戸長役場で武器の徴発、捕虜(青木巡査・千葉技師)の監督などを担当したあと、旗揚げの際には小隊長として指揮旗を携えて進軍。その後望遠鏡を預かって、蓑山で警官・軍の見張りにあたった。軽懲役8年に処せられ、判決から約1年後に獄死。
 言渡書に記載されているのはおおむね以上だが、実は勘次郎はもっと重要な役割を果たしていた。信州北相木村・菊池恒之助の言渡書には、明治17年9月に萩原勘次郎が「剣道指南」のために北相木に招待され秩父困民党の状況を信州に伝えている。勘次郎はさらに同年10月20日、再び北相木村に赴いて、同村の自由党員たちに困民党への協力を要請している。
 秩父から北相木へは、わき目もふらずに歩いてまる二日かかる。勘次郎はよほどの足達者だったのだろう。人品よく立派な顔立ちで、剣道を教えるほどの腕前ですばしこい若者とあって、困民党幹部からも重宝されたのだろう。
 まだ若いのに父母はなく、妻子もおらず、獄死したから子孫もいない。同じ地番から萩原縫次郎という人が事件に参加して罰金刑ですんでいるから、縫次郎がこのお墓を建ててくれたのだろうか。

白倉神社

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白倉神社の彫刻


 午前中、森林作業。
 仕事が終わってから旧三沢村へ。

 秩父事件・三沢村小隊長だった萩原勘次郎の墓石を見に行ったのだが、なかなか見つからず、ウロウロ歩いた。
 ここは恐ろしく急な斜面に成立した耕地で、スタスタ登るのはけっこうきつい。

 地元の方に教えてもらってようやく見つけて、写真を撮ることができた。
 疲労困憊したので、夕方の農作業はなし。

 写真は、お天狗山直下・白倉神社拝殿の彫刻。
 この龍に睨まれたら、邪悪な鬼といえど、とても近づけまい。

アナロジー

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 歴史屋はほんとにアナロジーが好き。
 日本共産党はいま、文化大革命とよく似た状態になっている。

 支持が広がらない原因を客観的に全面的に分析するのが怖いから、すべて他人のせいにする。反共とは社会主義思想を敵視する思想のことだが、「もうちょっといいやり方を考えれば?」というようなごく普通の意見を敵視して、「敵と戦え!」「敵と戦わないものも敵だ!」と逆上している。現状、自分たちを支持しないものは敵か、教化対象と考えている。党幹部の山下という人は埼玉県で、「真理は必ず多数派になる!!」などと絶叫している。山下氏はゲッペルスの弟子をめざしているのだろうか。

 理性を持つ人ならば、このようなカルト教義を相手にするはずもない。次に行われるのは、疑問を持つ党員へのつるし上げと排除である。これは組織の中ですでに開始され、良識ある党員が今も各地で糾弾されている。

 大躍進の失敗を指摘され、一度は凹んだ毛沢東が企画したのが文化大革命だった。
 文革前の中国共産党には、有能な幹部が少なからず存在した。なにも完全無欠な人々がいたというわけではない。誤りは誤りとして認め、よりよい方向へと進んでいこうという誠実さを持った人々だ。毛沢東は、このような人々をターゲットに、配下の幹部や青少年を使って迫害を始めた。文化大革命について、日本では当時、驚天動地のパラダイム転換であるかのように評価する人もいたが、実際には毛沢東による低劣な権力闘争でしかなかった。この点については、今なお文革は正しかったと述べるこの本あたりを読むとよくわかる。

 日本共産党の文化大革命はすでに始まっている。国政候補者のこの人や現職都議のこの人あたりは、最もたちの悪い紅衛兵である。一般党員の中には、さらに質の悪い紅衛兵がウヨウヨいる。

 文革のオモテの指導者は林彪だった。日本の林彪は田村智子さんであり、志位和夫さんは毛沢東の立ち位置にいる。中国では「四人組」が彼らに次ぐ地位につき、林彪や毛沢東を持ち上げ、良心的な幹部・党員を摘発する実働部隊である紅衛兵たちを指揮した。何人組だかわからないが、日本共産党にも、上記の山下さんを始め、その手のコバンザメがたくさんいる。中国の文革とやや異なるのは、ソ連のスースロフに似た立ち位置の黒幕が日本にもいることくらいか。

 文革時代の中国と現代日本とでは、民主主義の成熟度やコミュニケーション手段がまったく異なるのだが、日本の四人組やスースロフの現状認識は、1970年代ごろと変わっていない。
 日本のスースロフ2号あたりはネットリテラシーがないから、市民目線から見れば異常で党規約にも抵触しかねない暴言をツイートしては炎上し、コッソリ削除を常としている。
 コッソリ削除すれば言わなかったことになると思っているらしいのが、いかにも1970年代人らしいのだが、これが最高幹部なのだから、恐ろしい。

 「雨ニモマケズ」に出てくるような、自分のことは後回しにしてもまずは人に同情し、問題解決のために親身になってあげられる人は、何党員であれ何主義者であれ、尊敬すべき人である。
 かつて共産党には、そんな人がたくさんいた。
 もちろん今でも。

 しかし、田村さん・志位さん・四人組・スースロフらがのさばったままでは、市民から見放され、嫌悪されるしかなく、この党の未来はない。いずれ今よりさらに弱小政党化するだろう。
 文化大革命は、中国でも、誤りだったと評価されている。習仲勲が受けた仕打ちを思えば、習近平とて文革は悪夢以外の何ものでもあるまい。

 多くの共産党員がどのように考えているかはわからない。
 しかし今、この党が歩みつつある道は引き返すことの困難な、滅びの道である。

秩父紅

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秩父紅


 午前中、旧ムクゲ公園で森林作業。
 厳寒期を過ぎ気温も上がり気味なので、山仕事には暑いくらいだ。

 午後は畑で農作業。
 大量の草むしり。

 帰宅後、薪運び。ソーチェンの刃研ぎなど。
 今日もよく働いた。

 山仕事が終わったあと、ムクゲ公園の福寿草を見に行った。
 通常株はよく咲いていたが、秩父紅は花数が減ったような気がする。

楽山園

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楽山園


甘楽町・楽山園の池の鯉がこっちを見ていた。

(おれ) 信雄さん ?
(信雄) 霊感の強い男だな。
(信雄) いい庭だろう ? おれが作庭した。「知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ」と言うてな、楽山園と名づけた。
(おれ) すてきな庭です。
(信雄) 水を引き込んで緩やかに流れる池を作り、里山を借景にして小さな浄土世界を作ってみたんだよ。
(信雄) 近所の百姓どもを呼んでな、ご馳走をふるまって、ここで能を見せてやるのよ。みんなえらく喜んでなぁ。酒飲むやつは好かんから、入れてやらん。
(おれ) 楽しそうですね。
(信雄) ああ、楽しい。
(おれ) 殿さまは100万石の大名だったんですよね。
(信雄) 東国はいらんから故郷の尾張をよこせと言ったのよ。そしたら猿めが、いきなりブチ切れおった。
(信雄) 領地は失ったけど、田舎で正直な百姓どもとバカ話するのは楽しいぞ。おれの前半生はいくさに明け暮れたが、苦しいことばかりだった。
(信雄) 父上(信長)も兄上(信忠)も猿めも従妹の茶々も秀頼も、家康どのも秀忠どのもみんな死んだ。おれはまだ、楽しく生きておる。彼らとおれと、どっちが幸せか、考えるまでもあるまいて。
(おれ) ごもっともです。
(信雄) 桜が咲くと一段ときれいだぞ。また来いよ。
(おれ) はい。ぜひ !

志賀原発ノート7

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 東京新聞によると、原子力規制委員会は「家屋倒壊や避難ルートの寸断などは自治体側の検討課題」であり「自然災害への対応はわれわれの範疇外」だと考えている。「屋内退避ができる前提で今後の議論をする」とのこと。安全審査において、今回のように避難路が崩壊して逃げることができなくなる事態は想定しないということだ。
 事故が起きるまでを規制委員会が対応し、もし事故が起きたら自治体が対応すると考えているようだが、先にも書いたように、自治体はなにも考えてないっぽい。
 だから万一のときには、被災者は放射能が満ち溢れる中、放置される。

織田信雄

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織田信雄墓


 午前中、各種用足し。
 午後は、農作業。

 草むしり。
 玉ねぎとにんにくに追肥。

 えんどう豆に潅水して、竹ササ立て。
 先日の雪で道路に倒伏した竹の枝をいただいたのだが、材料が足りないので途中まで。

 写真は、甘楽町にある織田信雄の墓所。
 織田信雄は信長の次男で、あと継ぎの信忠が本能寺の変で信長とともに死んだため、天下統一を目前にした信長政権のトップでありえた人物だ。

 天王山で明智勢を叩き潰したあと、信長家臣団はその後の権力体制について協議した。清洲会議である。
 長男が死んだのだから、次男の信雄が織田家の家督及び天下を継承する可能性もあったのだが、秀吉の主張により信忠の子である二歳の三法師が継ぐこととになり、信雄は清洲百万石の大名となった。

 賤ヶ岳の戦いで柴田勝家が滅んだあと、豊臣秀吉の覇権が確立した。
 織田信雄に対し秀吉は当初、主家の当主として敬意を持って接していたようだが、1590年に突如として改易となり、秋田へ放逐される。

 関ヶ原では石田三成軍に属し、大坂の陣では家康に通じた。
 その後、大和に三万石、上州小幡に二万石を与えられてのんびり暮らしたらしい。

 父信長や兄信忠、いとこの淀殿やその子秀頼が凄惨な死を遂げたことを思えば、長く生きられていい人生だったかも。

連石山

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聖観音


 また甘楽町へ。

 城山の尾根の末端に位置する連石山は砂岩の岩塊なのだが、その石を彫った三十三観音がおかれている。
 石仏を鑑賞したのち、富士山(小幡富士)を回って下山した。

 心洗われる石仏をたくさん見ることができた。

福巌寺

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福巌寺


 午前中の森林作業のあと、久々に畑仕事。
 日陰はまだ積もっているが、雪はおおむね溶けた。

 今年は暖冬のため、冬越し野菜が順調なのだが、えんどう豆が枯れ始めた。
 潅水不足かと思えるので、潅水少々。
 やや早いが、支柱のための杭打ち。

 薪割り少々。

 国峰城址に行く前、恩田集落の福巌寺にお参りした。

武家屋敷

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松浦屋敷


 朝から旧ムクゲ公園で森林作業。
 雪はまだ残っているが、まったく問題なし。

 午後はオンライン会議。
 終わるころには暗くなってしまったので、なにもできず。

 これは甘楽町小幡の武家屋敷(復元)。
 家自体は大きくないが瀟洒で、庭も小さいが凝っている。
 経済的に苦しくなければ、まずまずいい暮らしだったのかなと思う。

聖徳

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聖徳


 自動車不調。
 かなりまずい感じ。

 甘楽町の聖徳・特純生原酒。
 群馬県の酒も期待値は低かった。

 まぁでもせっかく甘楽町の低山歩きをしたのだからと買ってきたのだが、風味・香りともいい感じの美酒だった。
 また歩きに行こう。

国峰城址

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国峰城址


 自宅周辺の雪はほとんど溶けていないが、せっかく晴れたので甘楽城山へ。
 展望を期待したけど、山頂は雑木林の中だった。

 枝の中にあいた小(しょう)Windowから見える表妙義の岩壁に雪はほとんど付いていない。

積雪

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積雪


 けっこう積もったので、隣家と一緒に雪掃きで、朝からひと汗かいた。
 10年前ほどの降りでなく、一般の道路の通行にはほぼ支障なし。
 通勤にも問題なかった。

雪降り

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降雪


 昼前から降り始めた雪はいかにも積もりそうな牡丹雪で、実際どんどん積もっている。
 本日は早めに退勤したのだが、すでに路面は圧雪状態で、明日の出勤はかなり憂鬱だ。

 自動車の調子がよくないのも、頭が痛い。

夏野菜跡地片付け

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 朝から旧ムクゲ公園で森林作業。

 午後は畑で、昨年の夏野菜跡地の片付けと耕うん。ここは今年、豆類・ウリ類・山の芋類予定地になる。
 耕うんは中途半端だが、今夜以降、南岸低気圧がお湿り(雪)を持ってきてくれることを期待。

表妙義

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表妙義


 自動車(XV)の調子が悪いので退勤後見てもらったが、どこが悪いのかわからない上、とりあえず走ることはできるので様子見。
 遠出の際に、一抹の不安がある。

 薪作り少々。

 写真は、大崩山から望む表妙義。
 表妙義に行ったことはないのだが、こんな凄絶なところが他にあるだろうか。

大崩山

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浅間山


 春の匂いのする風が吹くなか、西上州・下仁田の寂峰・大崩(おおぐい)山へ。
 稲含山・小沢岳・鹿岳・四ツ又山・浅間山・表妙義全山・大桁山などが一望できた。

2024年5月

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