午前中、各種用足し。
午後は、農作業。
草むしり。
玉ねぎとにんにくに追肥。
えんどう豆に潅水して、竹ササ立て。
先日の雪で道路に倒伏した竹の枝をいただいたのだが、材料が足りないので途中まで。
写真は、甘楽町にある織田信雄の墓所。
織田信雄は信長の次男で、あと継ぎの信忠が本能寺の変で信長とともに死んだため、天下統一を目前にした信長政権のトップでありえた人物だ。
天王山で明智勢を叩き潰したあと、信長家臣団はその後の権力体制について協議した。清洲会議である。
長男が死んだのだから、次男の信雄が織田家の家督及び天下を継承する可能性もあったのだが、秀吉の主張により信忠の子である二歳の三法師が継ぐこととになり、信雄は清洲百万石の大名となった。
賤ヶ岳の戦いで柴田勝家が滅んだあと、豊臣秀吉の覇権が確立した。
織田信雄に対し秀吉は当初、主家の当主として敬意を持って接していたようだが、1590年に突如として改易となり、秋田へ放逐される。
関ヶ原では石田三成軍に属し、大坂の陣では家康に通じた。
その後、大和に三万石、上州小幡に二万石を与えられてのんびり暮らしたらしい。
父信長や兄信忠、いとこの淀殿やその子秀頼が凄惨な死を遂げたことを思えば、長く生きられていい人生だったかも。
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