8月中に播種した大根・野沢菜などはすべて虫害で全滅した。
酷いものだ。
この次からは、本格的に農薬を使わねばならないかも。
ごまの収穫。
収穫のタイミングが今ひとつ読めないのだが、登熟の早いものから、刈り取って乾燥させる。
写真は、安曇野の松尾寺。
室町時代に建てられた古いお寺で、国指定重文。
なんと美しい建物だろう。
8月中に播種した大根・野沢菜などはすべて虫害で全滅した。
酷いものだ。
この次からは、本格的に農薬を使わねばならないかも。
ごまの収穫。
収穫のタイミングが今ひとつ読めないのだが、登熟の早いものから、刈り取って乾燥させる。
写真は、安曇野の松尾寺。
室町時代に建てられた古いお寺で、国指定重文。
なんと美しい建物だろう。
安曇野の有明山へ。
地形図を見て「これは無理じゃね?」と思ったが、中房温泉から登り始めればどうにかなった。標高差930メートル。
晴れてたんだがガスが多く、常念さんがちらっと顔を出したくらい。
冬越し野菜予定地の耕うん。
にんにく予定地の土作り。
昨日、ツクツクボウシを聞いた。
今日は久々に夏のような日だったが、ツクツクボウシは聞かなかった。
今日はニンギョウタケのピクルス。
きのこの香りが強く、コリコリした歯ごたえもよい。
退勤後に、農作業少々。
こんにゃくの掘り上げ。
歴史的不作だが、原因は夏の日照りとわかっているので、やむなし。
来年の種芋はどうにか確保できそうだが、キゴがほとんどとれなかった。
落花生の掘り取り。三分の一だけ。
もう少し畑においたほうが収穫は確実に多いと思われるのだが、獣害によって収穫なしになるのは嫌なので、とりあえず一部は確保した。
ニンギョウタケを食べている。
今日は出勤日だったのだが、仕事の途中で中抜けして、ほうれん草の種まき(ちぢみ)。
朝はずいぶん寒くて、ファンヒータを焚いた。
とはいえ、週半ばには夏がカムバックする予報になってる。
中山から下山後、甲府の善光寺にお礼参り。
甲府善光寺は二度目。
信玄は、甲府を甲信越武田王国の中心都市にしたかったんだと思うが、それは実現しなかった。
やみ間に農作業。
大量の草むしり。
ほうれん草の種まき続き。今回も豊葉。
大根の苗は全て虫に食われた。これからまき直すが、どうせまた虫に食われるだろう。
写真は、中山登山口前の山梨銘醸。
絹の味を買って帰った。
変わらず、美酒である。
前線の影響で雨がちなため、畑に行って草むしりを始めたが、すぐに驟雨で終了。
不破哲三『スターリン秘史3』を追加。
このシリーズは全6巻だが、1930年代以降のスターリン時代のソ連について、詳しく分析した好著である。
マルクス主義は、精緻な理論構造を持つイデオロギーである。
錚々たる共産主義者たちが、理性で考えことを放棄し、スターリンの邪悪な言動に従って世界の民主主義運動・民族運動破壊に手を貸したのはなぜか。
それを解く鍵はおそらく、共産党の組織論にある。
ソ連共産党やコミンテルンの幹部は、自分たちを、世界のコミュニストのリーダーと自負していただろう。
しかし彼らは、スターリンの言説に疑問を持つ思考を持つことができなかった。
ソ連共産党は民主集中制の組織原則に基づき、全党の叡智を体現しているのがスターリンだという建前をとっていたから、スターリンの言説に公然と異を唱えることは反党・反革命行為なのだった。
当時のソ連において反革命は、組織的に排除されるだけでなく、処刑の対象であり、処刑された日本のコミュニストもいる。
スターリンは邪悪な人物だったが読書家ではあったらしく、レーニンの片言隻句を引用するのを得意としたらしい。
それもまた、彼に対し意見を述べにくくしていたのかもしれない。
現在の日本共産党は、スターリン時代のソ連共産党に酷似している。
志位委員長は、自分への批判は「党そのものに対する攻撃だ」と述べ、現在の方針に批判的な党員を次々に排除している。
共産党は、日本の現状を改革する上で大きな役割を果たしてきたし、今後もそうであることが期待される。
しかし今、その実態は、狂信的な宗教集団と変わらない。
議論は全くなく、党員の多くは中央の主張を丸呑みにするだけで、なにも考えようとしない(外部に見える限りでのことだが)。
カラスが黒いか白いかさえ、赤旗にどう書いてあるかを見なければわからないようだ。
埼玉や大阪のハラスメントに毅然と対応するには、小池晃氏を厳しく処分するしかないのだが、それができないのだから、他党・他団体のハラスメントを批判しても説得力がない。
福岡県でも新たな排除の動きがあるらしい。
県党幹部(党外でもそこそこ著名な理論家)を排除するために、党副委員長のIが福岡に乗り込んで引っかき回しているという。
101年の歴史は重いが、日本共産党の終焉は着々と近づいている。
写真は、中山で見た、ウラナミシジミ。
ハギの花咲く陽当たりで休んでいた。
甲斐・白州の中山へ。
天候不良。
見たこともないような巨大な展望ヤグラがあったのに、展望は皆無だった。
雑木林でニンギョウタケが群生していた。
のらぼうの植えつけ。苗がおしまいになったので、今日も途中まで。
で、のらぼう苗の鉢上げ。
大量の草むしり。
こんにゃく掘り始め。
猛暑と日照りのため、この夏はこんにゃくが枯れた。
期待していなかった収穫は、当然皆無。
来年の種芋の確保さえ、おぼつかない。
写真は、高鳥屋山ラーメンの具。
畑で作ったエンサイとニンニク。畑を荒らす悪いイノシシ。山道で拾ったチチタケ。コーヒーとラーメンは購入品。
のらぼうの植えつけ。途中まで。
草むしり。
写真は、蚕玉様参道におかれていた三十三観音の一体で、たぶん聖観音。
優れた作品だと思う。
参道は草に埋もれ、石仏の存在さえわからなくなりそうだった。
こんなことでいいのか。
飯田市と旧清内路村境界の高鳥屋山へ。
登山口には三十三観音と蚕玉(こだま)様。
秋になるまであと一週間ほどかかりそうだ。
西瓜を片づけて、耕うん。
今まで、西瓜を片づけるのはお盆明けだったのに、今年はついに彼岸前になった。
これを温暖化と言わずして、なんと言うべきか。
西瓜の跡はのらぼうを植えるつもり。
これは、南牧村・塩沢集落で見た如意輪観音。
戒名らしき名が彫り込んであるので、個人の供養塔を兼ねているのではないかと思われる。
して、石仏の表情だが、3Dプリンタで作ったのかと思えるほど無個性な石仏も多い中で、たいへん個性的なのである。
ひょっとするとこれらの石仏を彫りだしたのは、地域の、名もなき名工だったのではないかと思っている。
南牧村のゼンメイアタマを歩いた。
特段の特徴がある山ではないと思っていたら、四ツ又山との鞍部(大天狗峠)近くに普寛行者像と思しき石像があった。
四ツ又山は神像が賑々しい修験の山なのだが、修行エリアはかなり広い模様。
妙義山群にヤマヒルがいるのは知ってたが、ヒルが南牧村まで進出してるとは知らなかったため、貴重な血液を二匹のヒルに与えた。
のらぼうの鉢上げ(一部)。
ビオラの種まき。
パセリと野沢菜の種まき。
白菜苗植えつけ続き。
明日は台風直撃予想だが、果たしてどうなるか。
写真は、明星山のクサボタン。
雨のやみ間に農作業。
玉ねぎの種まき。
芽が出なかった大根の補播種。
かなり涼しくなって、ナスもピークを超えた。
午前中、鎮守の祭礼についての集まり。
午後は農作業。
大量の草むしり。
大根の種まき。神田大根が買えなかったので、今年のメインは森辛味。
蕪の種まき。いつもの味こがね。
宮ねぎの種まき。
これは明星山からの焼山と雨飾山。
先月、仙元山に行ったあと、寄居町の正樹院にお礼参りに行った。
本堂にお参りして御朱印をいただいたあと、飴売り具学栄さんの墓にも手を合わせた。
関東大震災のとき、在日朝鮮人に関するデマが流され、県内でも朝鮮人虐殺事件が続発する中、具さんは寄居警察署に保護を求めた。
ところが、地域自警団に署から引きずり出され、虐殺された。
なんの罪もない具さんを殺したのは、デマに踊らされた地域の人々だったが、具さんの遺体を葬り、墓を立てたのも、地域の人たちだった。