例年より早い初雪が降った。
寒いことは寒いが、冷えても氷点下1.8度程度なので、雪はほとんど溶けてしまった。
ただ、悲しいことに、ピーマンたちが霜げてしまった。
横瀬町のYさんからいただいた鹿肉の下処理。
半分はゆで肉に、半分は燻そうと思った。
Yさんは、燻す前に漬け込むソミュール液(ピックル液)に、フェンネルを使うと美味いと言っておられたので、隣町のスーパーまでフェンネルを探しに行ったが、どこにも売っていなかった。
来年は、久しぶりにフェンネルを育ててみよう。
例年より早い初雪が降った。
寒いことは寒いが、冷えても氷点下1.8度程度なので、雪はほとんど溶けてしまった。
ただ、悲しいことに、ピーマンたちが霜げてしまった。
横瀬町のYさんからいただいた鹿肉の下処理。
半分はゆで肉に、半分は燻そうと思った。
Yさんは、燻す前に漬け込むソミュール液(ピックル液)に、フェンネルを使うと美味いと言っておられたので、隣町のスーパーまでフェンネルを探しに行ったが、どこにも売っていなかった。
来年は、久しぶりにフェンネルを育ててみよう。
センブリ
午前中は農作業。
タマネギ苗の植えつけ(一部のみ)。
イチゴ苗植えつけ準備。
農作業はほどほどに切り上げて、秩父市内で行われた、黒沢和義さんと山中豊彦さんの講演会に出かけた。
黒沢さんは、『秩父鉱山』に書かれた内容を、よりわかりやすく話された。
彼が語る秩父鉱山は基本的に、聞き取りをメインに構成されている。
体験者の語りが秩父鉱山がかつて持っていた「輝き」の部分が中心になるのは、やむを得ない。
しかしおそらく、秩父鉱山にも「陰」の部分があっただろう。
例えば足尾銅山には、朝鮮人労働者が酷使されていた史跡が残っている(と記憶する)。
秩父鉱山にも朝鮮人労働者が使われていたという記録も、ずいぶん前に見た記憶がある。
自分は歴史屋だから、光と影の両方を見たくなる。
山中さんは、白井差という集落(ここに暮らしているのは山中さん一軒のみである)について、いろいろと話された。
一つ一つの話がとても興味深く、もっと詳しく聞きたいポイントばかりだった。
白井差の歴史・自然・暮らしについて、いつかじっくり語っていただきたいものだ。
写真は先月、子ノ権現近くで見たセンブリの花。
以前は日当たりのよい秋の山道でしばしば見かけたものだが、最近ほとんど見なくなった。
廃村白岩
奥武蔵方面への業務山行から帰宅。
土曜日に吾野駅から子ノ権現へ至り、ナローノ高畑山先から名郷へ下降。
その日は白岩集落跡手前のキャンプ場で幕営し、今朝、鳥首峠から大持山・小持山・武甲山と峰を巡って、橋立川経由で浦山口駅へ下山した。
白岩集落は、地形図に家屋記号があるものの、住んでいる人はいないようだった。
自動車が入らないところなので、住むにはきびしいところだ。
下山後、農作業。
コンニャク掘りの続き。
小豆の収穫。
ビニールポットに、バックアップ用のそら豆種まき。
茶の花
終日、近所の運動会。今年は役員なので、参加。
準備・競技・片付け・直会で夕方になった。
奥武蔵の植林帯では今、お茶の木が花盛りだ。
今はスギ・ヒノキの森になっている尾根は、かつて、お茶畑だったのだろう。
刈られずに残ったお茶の木は、スギ・ヒノキが成長したあとも枯れずに、ささやかながら花を咲かせ続けている。
一帯は、西川材の生産地だが、人々は木材生産でのみ、生計を立てていたわけではない。
職業といえば、その人がもっぱらその仕事にだけ従事していると考えるのは、現代人の偏見である。
かつて人々は、生きて暮らすために、手仕事・山仕事・農作業・自然物採取など、あらゆる仕事に従事した。
自分は大学で江戸時代史を専攻したが、この時代に「農民」という身分が存在したということは、聞いたことがない。
この時代の主たる被支配者は、「百姓」すなわち、さまざまな仕事をする人と呼ばれた。
お茶の花は、ここが茶葉生産地でもあったことを物語っている。
ちなみに当地も同様だが、お茶を摘む人はもう、いない。
山間道路
日が少しずつ伸びてきて、定時退勤時にはまだ明るいくらいになった。
とはいえ、山間部の自宅近くまで帰る頃にはもう暗い。
今日も最高気温が4.7度と、低温が続いているので、道路は普通に走れる状態だが、道ばたの雪はまだちっとも溶けていない。
納豆完成。
次の週末には安達太良連峰に行く予定なのだが、土曜日から日曜日にかけて春一番となりそうだ。
まだ厳冬期のはずだが、雪崩の心配をする必要があるかも。
つらら
雪のあと冬型が続いているのだが、気温が低いため、積もった雪がなかなか溶けてくれず、溶けた雪はまたすぐ凍る。
今朝は氷点下6.2度だったが、水道管がまた凍結した。
ようやく週末になったので、自宅から道路までの通路で氷化した雪を除雪。
畑仕事もできないのだが、食べるものがなくなってしまうので、今日は雪の中からネギと大根を掘り出した。
今夜の雪はほとんど積もらずにすみそうだが、明日からの冬型でまた酷寒が訪れそうだ。
朝の武甲山
和名倉山遠望
両神山とバンザイ鉄塔
今朝の気温は、公式発表で氷点下9度を記録した。
ちなみに最高気温は、氷点下じゃない6.5度。
家の中の水道の蛇口がすべて凍結したのも、無理はない。
気温が低いので、積もった雪が溶けてくれない。
家のまわりを歩きにくいのも困るが、それ以上に、畑も雪で覆われてしまったため、食べるものを取り出すことができなくて困る。
週末には、次の降雪が予想されている。
多少なりとも雪が浅くなってきたところで、食べものを掘り出したほうがいいかもしれない。
品刕山行記を追加。
一番下の写真だが、文殊峠付近から望んだ両神山の右に送電鉄塔が見えている。
これは、安曇幹線の鉄塔である。
遠くから見ると、両手を上げているように見えるので、バンザイ鉄塔と呼ばれている。
北相木村や上野村界隈のヤブ山歩きではしばしば、安曇幹線の鉄塔巡視路のお世話になってきたのだが、この送電線が廃止され、取り外し工事が進んでいる。
今回の品刕でも、安曇幹線303号鉄塔の下を通ったのだが、送電線はすでになかった。
梓川・高瀬川という北アルプスの大渓流を潰して発電し、首都圏に電力を送ってきた送電ルートが、歴史を閉じようとしている。
雪降り
雪のため、出勤不能。終日、雪掘り。
腰が痛いのだが、国道までの通路はご近所と除雪するしかない。
一昨年ほどの大雪ではなく、午後にはあがったので、明日は出られるだろう。
いつもの大ブナ
霜と落ち葉
酉谷山直下
鎮守の祭礼のため、仕事を休んだ。
祭礼は滞りなく進み、いつものように宮司の祝詞はよい内容だと感じた。
だが、神事終了後に宮司が安保法案について語りだし、「祭政一致が必要だ」とか「憲法学者は現実がわかってない」とか「憲法改正が必要だ」とか「そのための署名をお願いしたい」などと述べた。
宮司がいかなる考えを持とうが勝手だが、鎮守の氏子の思想・信条も自由である。
神社本庁あたりから神職たち一般に思想的な圧力がかかってるのではないかと勘ぐりたくなる。
鎮守には今まで、できる範囲で協力を惜しまなかったつもりだが、氏子ぐるみでおかしな署名に取り組むということになるんなら、決別するつもり。
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