大雪が降り始めたのは、14日だった。
今日ですでに11日目になる。
一般の新聞の埼玉地域版も、大雪のニュースはトップから(あるいは紙面から)消えた。
新聞にとって、豪雪被害は、報道する価値が小さくなっているということなのだろう。
社会から11日も隔絶されているというのは、大きな問題だと思うのだが。
埼玉新聞だけが、孤立している人々の消息を伝え続けている。
大雪が降り始めたのは、14日だった。
今日ですでに11日目になる。
一般の新聞の埼玉地域版も、大雪のニュースはトップから(あるいは紙面から)消えた。
新聞にとって、豪雪被害は、報道する価値が小さくなっているということなのだろう。
社会から11日も隔絶されているというのは、大きな問題だと思うのだが。
埼玉新聞だけが、孤立している人々の消息を伝え続けている。
朝の気温が氷点下8.1度と、また冷え込んだ。
この数字は、秩父市内の観測点のものなので、当地ではもっと寒かったはずである。
ここ5年間の、最低気温が氷点下7度以下の日数は以下のとおりである。
2014.2月 5日
2013.2月 0日
2012.2月 5日
2011.2月 1日
2010.2月 0日
今年は、一昨年以来の寒い2月だったことがわかる。
寒いことと雪が多いこととは、まったく連動しない。
一昨年の降雪はトータル12センチなのに対し、今年は152センチである。
先週の豪雪は、天気図からみれば、大雨であってもおかしくなかった。
それが雪になったのは、天気図には表現されない上空の寒気のせいだった。
この冬は、早くから冬型が腰折れで、春の兆しである南岸低気圧が定期的に訪れていた。
大陸の冷たい高気圧がしっかり張り出してれば、寒く乾いた(正しい)冬になったはずだ。
家の近くでは、おそらく新潟県から借用したと思われる、立派な除雪機が動いていた。
しかし近所には、今もまだ孤立している人がいる。
孤立状態 秩父、小鹿野で46世帯73人。
これもすぐ近所だが、どこのビニルハウスもことごとく崩壊していて、気の毒な限りだ。、
新規営農、ハウス倒壊/小鹿野のキュウリ。
季節風は強かったが、晴れた一日に終日、雪かき。
隣家と力を合わせて国道までの道を除雪しようとしたが、日没前まで頑張っても、力及ばなかった。
陸の孤島状態は解消されておらず、除雪車は動いているらしい(噂)が、国道は相変わらず数十センチの雪におおわれたままである。
救急車も消防車も走れない状態が続いており、役場の防災放送は、「雪崩に注意」とか、「屋外に出ないように」などと言っている。
ここよりさらに奥の集落では、ヘリコプターによる救援物資が送られているという噂で、頭上をヘリが往復しているのは確かだ。
写真は国道の現況だが、雪面に不思議なラインが数本、走っている。
これが何なんだか、不明。
電線からの落雪ではない。
時に大雪に見舞われることもあるとはいえ、当地は豪雪地帯ではないから、これはこれで、レアな光景だ。
大雪
昨日から降り始めた雪は、今日の午前一杯降ってやんだ。
自宅周辺の積雪は、120-130センチ程度と思われる。
国道も似たような状態のため、除雪車は来ていない。
いわゆる陸の孤島になっている。
胸ほどの積雪のため、国道まで出る道の雪かきも不可能だし、国道が閉鎖状態なのだから、雪をかいてもあまり意味ないとも言える。
要するに、周囲が雪壁なのだから、雪を捨てる場所が存在しないのである。
読書ノートに、『沖縄密約』を追加。
なかなか興味深い本だった。
「国民」に多大な損失を与える決定を密かに行なった者がなんの咎にも問われずに(それどころかノーベル平和賞を与えられた)、その事実を暴露して「国民」の利益を擁護しようとした者が有罪とされたのである。
特定秘密保護法には、「国民」に多大な損失を与える決定を密かに行なった者を罰する規定がない。
秘密の漏洩が懲役10年なら、開示すべき情報を隠匿した者(官僚・政治家)には、極刑が相当だろう。
週末は、安達太良山塊にいたのだが、土曜日の夕方以降、かなりひどい雪降りとなったため、鬼面山に登ることができず、テント内で吹雪の一夜を過ごしただけで帰ってきた。
天気が天気なので、のんびり眠っているわけにもいかず、2時間に一度の除雪を強いられたため、眠ることはほとんどできなかった。
近くでは、小規模な雪崩も起きたようで、雪洞適地と雪崩危険地の見極めなど、雪に関する知識の未熟さを痛感した。
今日、秩父に戻ってみたら、コチラも大雪で、猪苗代町あたりの積雪と殆ど変わらないのだった。
氷点下8.7度と、ずいぶん冷え込んだ。
この週末は例年同様、安達太良山に出かけるのだが、南岸低気圧の抜ける日曜日はけっこうな冬型になる。
安達太良名物の突風に歓迎されそうだ。
『ある神話の背景』と『ドラッカーの教えどおり、経営してきました』の読書ノートを追加。
雪降り
午後から雪降り。
そこそこ積もったが、宵のうちにあがったので、明朝はひどく凍るだろうが、路面に雪が積もっている状態ではなさそうだ。
各地の最低・最高気温には、秩父地方の本日の最低気温はプラス2.9度と出ているが、帰宅途中の外気温はすでに氷点下3度だった。
二代目物置
畑の物置小屋づくり。
初代の小屋とほぼ同サイズだが、屋根がいくらか高いので、使い勝手はよい。
できれば、壁もほしいところ。
畑の木の大枝切り。
まずまず首尾よく伐れた。
時間がないとできない仕事がはかどってよかった。
夜はパン作り。
嘉内と賢治の歌碑
畑の物置小屋が崩壊してきたので、つくり直さねばならなくなった。
作ったのが2008年12月だから、5年しかもたなかった。
粗相な作りなのだから、仕方がない。
午前中は、小屋用のヒノキ丸太の加工。
先端をイスカに切って、元を焼いて焦がす。
そんなことをしている間に、豚肉の燻製作り。
これは、夕食のピザ用。
昨日立ち寄ったスーパーで、豚肉が安くなっていたのだ。
午後、田んぼの地主さんのところへ年始のご挨拶。
帰りに田んぼ近くにあるという、保阪嘉内と宮沢賢治の歌碑を見に行った。
碑は、地質博物館の庭に建てられているのだが、なんの説明板も立っていない。
賢治を知らない人はいないだろうが(賢治が地質を学んだことは知らない人が多いかも)、嘉内を知っている人はいないだろう。
嘉内なかりせば賢治の作品は生まれ得なかったかもしれないキーパーソンが小鹿野町を訪れた記念碑なのだから、もう少し何とかならないかと思う。
賢治の歌は、
さはやかに 半月かかる薄明の 秩父の峡の かへり道かな
嘉内の歌は、
この山は 小鹿野の町も 見へずして 太古の層に 白百合の咲く
である。
二基の碑は写真のように、当時の彼らと同様、褶曲した地層に目を輝かせながら、仲良く並んでいる。
そんなわけで、夜は、小麦を挽いてピザ焼き。
初雪
この冬初めての積雪。
だが、午後から雨になったため、ずいぶん溶けた。
つい一ヶ月前までは華やかな錦繍に覆われていた山肌が、すっかりモノトーンに変わった。
秋から冬への変化も、劇的だ。
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