ほぼ終日、ムクゲ公園でコナラの玉切りとボヤ片付け。
はかどってはいるが、埒はあいていない。
終わってからコナラの玉をもらってきたが、さほどたくさん積んでないのに、軽トラのどこかで異音が発生するので、あまり積めなかった。
ジャガイモの土寄せ。
もう少していねいにやりたいが、時間がとれない。
虫倉山から見た鹿島槍。
長野から松本にかけての展望のよい里山に登ると、必ずこれが見える。
いつかあそこに登ってみたい永遠の山が、一つくらいあってもいいかな。
ほぼ終日、ムクゲ公園でコナラの玉切りとボヤ片付け。
はかどってはいるが、埒はあいていない。
終わってからコナラの玉をもらってきたが、さほどたくさん積んでないのに、軽トラのどこかで異音が発生するので、あまり積めなかった。
ジャガイモの土寄せ。
もう少していねいにやりたいが、時間がとれない。
虫倉山から見た鹿島槍。
長野から松本にかけての展望のよい里山に登ると、必ずこれが見える。
いつかあそこに登ってみたい永遠の山が、一つくらいあってもいいかな。
秩父事件研究顕彰協議会の方たちと、皆野町下日野沢・上日野沢の耕地をつなぐ道を歩いてきた。
今日は、重木から小松・門平と歩いた。
文字に書かれた言葉が残っているので、135年前の人びとを、あたかも親しい人々のように思っている。
小松耕地の新井チヨは、秩父事件のとき、近所の家を訪ね歩いて、「刀や鉄砲を持って出ろ」とふれ歩いた。
ときに彼女は17歳。
兄の蒔蔵は、秩父困民党の下日野沢小隊長だった。
事件後に捕まって縛り上げられ、厳しい取り調べを受けながら、「困民党は広くみんなが助かることなのて、よいことだと兄に言われた。悪いことをしたとは思っていない」と、警察官に言い返した。
晩年のチヨが住まったのが、この桜花堂だった。
「チヨお婆、いるか」と声をかけたが、返事はなかった。
満開のシャガに囲まれて、今日のチヨはいい気分だったのだろう。
昨夜は宴会で沈没したため、帰宅できず。
本日は終日、薪仕事。
先日いただいてきたヒノキ端材で杭作り。
二年くらい前に作りかけて放置状態だった薪置き場を、本格的に改修。
曲がってた柱を直して真っ直ぐにし、屋根のナマコ板を乗せる垂木までつけた。
畑の第二資材置き場作りの続き。
こちらも、あと一息で完成といったところ。
西瓜小苗の植えつけ。
久々に頑張ったら、いつの間にか真っ暗になっていた。
写真は、中条村・虫倉山登山口近くで見た棚田。
とてもていねいに荒起しがされている。
おれもやらなくちゃ。
信州中条村の虫倉山を歩いてきた。
長門町の虫倉山には二度登ったが、こちらは初めてだった。
里山の草花が咲き、摘み草ができて、ピークからは北アルプス北部の大展望が得られるという、里山のエッセンスを凝縮したような山だった。
帰宅後、マクワウリの植えつけ。
今年はタイガーメロンを植えた。
写真は、ヤブレガサ。
畑の畦でフキん棒が伸びてきたので、摘んで煮た。
味付けがチト甘すぎたが、新鮮なせいか、サワヤカで美味い。
ジャガイモの芽かき。
キュウリ小苗・ケツメイシ小苗の植えつけ。
人参の間引き。
第二資材置き場作りの続き。
自宅の周囲では、ヤブサメやヤマガラの声が聞こえる。
この冬の寒さが未だ身にしみているのだが、四阿屋山ではヤマツツジが初夏の到来を告げていた。
四阿屋山へ業務登山。
ミツバツツジは完全に散って、ヤマツツジが鮮やかになってきていた。
下山後、農作業。
カボチャの植えつけ。
今年も白爵を作る。
ナス・ピーマンなど植えつけ準備。
第二資材置き場作りに着手。
これで日没。
四阿屋山では、キンランが咲き始めた。
畑の畦の草取り・掃除。
雑草が猖獗を極める季節が、すぐそこまで来ている。
山くらげの植えつけ。
ナス・ピーマン・ミニトマトのうね立て。
ヒノキの端材をいただける話があったので、秩父市内まで行ってきた。
長尾根をちょっとのぞいたが、アミガサタケは出てなくて、オケラが芽吹いていた。
四角豆と宿根ソバの植えつけ。
宿根ソバは、その名に反して冬の間に根まで枯れる。
葉を食うのだが、美味しいのだろうか。
カボチャ・キュウリ・山くらげなどの植えつけ準備。
写真は、四阿屋山鳥居山コース。
ずいぶん暖かくなってきたので、少し鍛えてやろうと思って、キュウリやピーマンの小苗を一晩、軒下に置いたら、いくらか弱ってしまった。
加温はしないにしても、今しばらく、室内で管理してやったほうがよさそうだ。
畑の資材置き場の屋根ふきが終わった。
とりあえずこれで完成。
あとは棚をつけるなどして、使い勝手をもう少しよくする。
午後から歩行テスト第二弾として、また、四阿屋山に行ってきた。
今回は、鳥居山コースを登って薬師堂へ降りた。
やはり、下りで若干、違和感がある。
四阿屋山程度ならほとんど問題ないが、まだ完治はしていないようだ。
下山後、また農作業。
カボチャ・スイカなど予定地のうね立て・マルチ張り。
なんだかんだで日が暮れた。
畑のウドが出始まった。
食わねばならない。
三峯神社へ代参。
昨年受けた御札を返して、新しい御札に取り替えてもらう。
御札には御眷属の狼の絵が書いてある。
ここはどうしても狼でなければならないのである。
代参は三度目だが、今回初めて、拝殿で巫女さんが雅楽に合わせて神楽を舞ってくれた。
言葉もないほど美しい神楽だった。
午後はずっと、農作業。
いんげん豆苗の植えつけ。植えたのは約50本くらい。
資材置き場作り。屋根をのせたのだが、材料が足らなかったので、続きはまた後日。
畑の畦で、アミガサタケが出始めた。
秩父事件関係の集まりの合間に、畑の資材置き場作りの続き。
あと屋根を葺けばいいところまで進捗した。
いい卵が手に入ったので、クコ卵焼き。
春インゲン予定地にアーチ立て。
海老芋と生姜の植えつけ。
エゴマ小苗の植えつけ。
ルバーブの収穫。
畑の畦にクコが芽吹き始めた。
クコにはすぐにカイガラムシがつくので、長くは食べられない。
ということで、クコ飯。
日常生活に支障はないものの、痛めた足は完全回復まではいっていない。
調子を見るため、四阿屋山に行ってみた。
登りには問題ないが、下りにかかると、疲労が蓄積するせいか、軽い痛みが出る。
今しばらくは、無理しない方がよさそうだ。
秩父の里山では、ミツバツツジ(トウゴク含む)やヤマザクラが満開だし、山里ではハナモモや枝垂れ桜が満開だ。
今朝は0.1度まで冷えた。
まだ当分、インゲンを植えるのは無理そうだ。
えんどう豆の支柱にネットかけ。
コンニャク種芋と里芋の植えつけ。
ここしばらく暖かかったのだが、昨夜から冬型になって、気温が下がり始めた。
植えるのがチト早すぎたかも知れない。
畑の資材置き場作りの続き
つくね芋の畝に支柱立て。途中まで。
まんずなるインゲンの芽が出たので、鉢上げ。
マクワウリやキュウリなどの芽も出始めた。
今年の芽が出たので、去年とった種実を煮て食べはじめた。
ビニールポットに、カボチャ・西瓜・四角豆の種まき。
芽が出始めたので、つくね芋を畑に植えつけ。
畑に農業資材置き場作り。
黄金色に輝く写真の酒は、タカネバラ酒。
強い甘みとバラの香りが溶けあって、リキュールの女王というべきか。
ボイラとストーブの灰の処理のため秩父市に出かけた。
約2年前に処分してもらって以来、ずっと溜め込み続けていたので、ずいぶん溜まってしまっていた。
秩父環境衛生センターに灰を持っていくのは、これで3度目だった。
前回は、受付の人が袋の大きさに関わりなく3袋まで受け入れると述べていたので、とりあえず3袋(60キロ)持参したのだが、3袋は多いので、今回は特別に受け付けてあげるけど、次回からは1袋だけにしてくれと言われた。
秩父環境衛生センターでは、灰の処分に関し、
・持ち込み数量は、1回につき5袋までにしてください。
・一般家庭 100kgまで400円(税込) 100kgを超えたときは10kgごとに40円を加算
・環境省では、薪ストーブ等を使用する場合は、その使用に伴い発生する灰が高濃度にならないよう、できる限り流通している薪(林野庁の指標値である40Bq/kg以下のもの)または安全が確認されている薪を使用すること、やむを得ずそれ以外の薪を使用する場合には、放射性セシウムが付着している表面の部分を取り除いて使用することが望ましいとしています。
等と告知している。
建前としての告知事項とは裏腹に、現場では木灰の廃棄物としての受け入れを非常に渋っており、受付で露骨に嫌な顔をされる。
上記の「灰が高濃度にならないよう」というのは日本語として意味不明だが、ちゃんとした日本語に翻訳すれば、「灰に含まれる放射線量が高くならないよう」という意味であろう。
言うまでもないことだが、「流通している薪」であるかどうかは、放射線量と何の関係もない。
「安全が確認されている薪」など存在しない。
放射性セシウムは今や植物体(薪)そのものに含まれているので、「放射性セシウムが付着している表面の部分」という文言も意味がない。
セシウム134から出る放射線量は、ずいぶん減衰したとはいえ、セシウム137は現時点で事故当時とさほど変わらない線量のはずである。
自宅の灰は、事故直後にはキロあたり7000ベクレルほどの線量だった。(灰としては「不検出」と表現される)
環境衛生センターとしては、処分のしようがないゴミなのであろうから、木灰を持ってこられれば嫌な顔をするのももっともなのである。
「花咲か」の寓話にあるように、木灰はかつて、優秀なカリ肥料だった。
木灰を「核のゴミ」にした東電と政府がどうして責任をとらないでいられるのか、とても理解できるものではない。
田んぼの荒起こし。
この冬は、なぜか水が抜けなかったため、現状まだ水がいくらか入っている。
そのため、全面的にかき混ぜることはできなかった。
写真は、大烏山近くに生えている「姥の栃」。