秩父事件研究顕彰協議会の方たちと、皆野町下日野沢・上日野沢の耕地をつなぐ道を歩いてきた。
今日は、重木から小松・門平と歩いた。
文字に書かれた言葉が残っているので、135年前の人びとを、あたかも親しい人々のように思っている。
小松耕地の新井チヨは、秩父事件のとき、近所の家を訪ね歩いて、「刀や鉄砲を持って出ろ」とふれ歩いた。
ときに彼女は17歳。
兄の蒔蔵は、秩父困民党の下日野沢小隊長だった。
事件後に捕まって縛り上げられ、厳しい取り調べを受けながら、「困民党は広くみんなが助かることなのて、よいことだと兄に言われた。悪いことをしたとは思っていない」と、警察官に言い返した。
晩年のチヨが住まったのが、この桜花堂だった。
「チヨお婆、いるか」と声をかけたが、返事はなかった。
満開のシャガに囲まれて、今日のチヨはいい気分だったのだろう。
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