2013年4月アーカイブ

南小太郎山

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ハルリンドウ


コガネネコノメ


ミツバツチグリ


ワチガイソウ1


ワチガイソウ2


 昨日よく働いたので、今日は里山行き。
 中里村の南小太郎山を、持倉から周回してきた。

 これといって展望があるわけではないが、心やすらぐ雑木林・カラマツ林のトレイルで、足下の草花を愛でながら、4時間足らずのショートハイクだった。

 帰宅後、自動車二台分のタイヤ交換。

薪作り

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四阿屋山から望む両神山

ミツバツチグリ

 早朝から薪作り。
 そこそこはかどったが、またいくらか、コナラの玉をもらってきたので、薪作りは今しばらく続く。

 ムクゲ自然公園のコナラの玉運びの手伝い。
 午前いっぱい丸太運びすると、腰がもう、限界だ。
 コナラの丸太をもらって帰り、午後は農作業。

 キャベツ苗の植えつけ。
 キュウリ予定地の準備。
 サツマイモ苗取り苗の植えつけ準備。

四阿屋山

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アカヤシオ


 また四阿屋山に行ってきた。
 今日は、大堤からのツツジ新道を登って山頂に至り、いつもの中尾根コースを薬師の湯に下山した。

 ヤセ尾根のツツジ新道は、その名の通り、ミツバツツジの多いところなのだが、花の盛りは過ぎていた。
 アカヤシオの残り花も、数輪だった。

 登山口まで自宅から車で10分くらいなのだが、今日は、約2時間かけて、電車とバスでアプローチした。
 秩父鉄道のハイキングツアーとバッティングしたのだが、登山道や山頂で一緒になることはなかったので、助かった。

 秩父鉄道のハイキングは、三峰口駅から大型バス数台で薬師の湯まで送迎していたから、参加者は200人以上だっただろう。
 登山道の要所に係員が立ってコース案内などもしていて、ずいぶん気を使っていることがわかった。
 三峰口にバスが着いたのは、SL列車が出る少し前で、大きな着ぐるみが2人立って、乗客の「お見送り」までしていた。

 秩父鉄道のこの営業努力には、頭が下がる。

 下山後、畑に行って農作業。

 玉レタスの片づけ。
 ミニトマト予定地、ナス・ピーマン予定地、キャベツ予定地を準備。

景信山の花

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ミツマタ


センボンヤリ


ニリンソウ


キジムシロ


 時間がとれないので、早起きをして、少々ずつ薪作り。
 難物が少ないので、比較的はかどる。

 種ショウガの植えつけ。
 今年は2キロ。

 『プルトニウムの恐怖』の読書ノートを追加。

 写真は、遅まきながら、景信山の花たち。

春の里山

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ナガバノスミレサイシン


フモトスミレ


ヤマブキソウ


 今日の業務は、山林作業だった。

 といっても、伐倒や搬出ではなく、植林のサポート役だったので、身体を酷使する必要はなかった。
 時おり雨の落ちる天候だったが、コナラ林は銀色に輝き、足元には、各種スミレなどの草花が咲いていた。

イモ壊滅

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両神山


 昨日通った低気圧が引き込んだ寒気のため、今朝は0.2度まで冷え込んだ。
 この時期にここまで冷えると、ジャガイモはすべて枯れる。

 今月はじめの寒気のために一度壊滅したジャガイモが、ようやく復活してきたところだったのに、再び全滅した。
 明朝も冷える予想で、霜注意報が出ている。
 収穫量が激減するのは間違いないので、やや憂鬱である。

 夕方、両神山が美しく見える翌朝は、晴れるが寒いのである。

春の雪

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春雪


 昨夜から降り始めた雨は、明け方から雪に変わった。
 家のまわりは一時、白くなったが、止むとすぐに溶けてしまった。

 雪がやんでから、薪作りと農作業。

 コンニャク芋の植えつけ。
 落花生の種まき(直播)。

 ルバーブの収穫と追肥。

ひよこ豆

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 終日、農作業と薪作り。

 シイタケ原木に使った残りのコナラを玉切り。
 これはずいぶん片づいた。

 シカクマメ・オクラ・ウコン・ショウガ・インゲン豆・ヤーコンの植えつけ準備。
 ウコンは、今日のうちに植えつけ。
 冬越しウコンだが、芽が出るだろうか。

 コンニャク予定地の耕耘。

 フリントコーンの種まき(直播)。

 ひよこ豆の芽が出た。

羊山公園

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羊山公園


羊山公園


 羊山公園の芝桜を見に行った。
 今年は例年より開花が早いような気がする。
 手入れが十分でないのか、花がまだらになったところが気になった。

 短形自然薯とキャベツ苗少々を植えつけ。
 ルバーブの収穫。

小倉沢鉱山

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樹林に溶ける社宅


手積みの石垣の上に街がある


病院の呼び鈴


道場あとの石垣


廃屋に咲く水仙


盛大な祭典が行われた大山祗神社


 氷点下にまで気温が下がる日が続いたので、畑のジャガイモは壊滅した。
 自然のなせるわざなので、これもまた、やむなし。

 kurooさんの山里の記憶の現地見学会に参加させていただき、もと社員の品川さんに、日窒鉱山(現ニッチツ)の旧社宅などを案内していただいた。

 大ナゲシや赤岩尾根や金山沢遡行の際に、ここは何度も通ったところだ。
 最近来たのは、今年の1月だった。

 しかし、ここで生まれ育った方に案内していただくと、かつて殷賑を極めた日窒小倉沢鉱山の生活がよみがえるように見えてくるから、驚いた。

 小倉沢鉱山とは、深山に出現した、一大都市だったということがよくわかった。

 葉を落とした雑木林を透かしてみると、道路のわきだけでなく、至るところに廃屋となった社宅があった。
 それらの社宅は、急な斜面に石垣を築いて建てられており、あたかも戦国時代の山城を思わせるものだった。

 取り壊されて更地となった敷地には、樹木が繁茂しており、都市は急速に樹林の中に溶け込みつつあった。

 かなり衝撃的な見学会だったので、これをどう考えればよいのか、まだ混乱している。

 帰宅前に畑に行って、日没まで農作業。

 ブロッコリー・キャベツ・ニンニクに追肥。
 食用菊の植え替え。
 除草。

雨上がりの里山

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雨上がりの里山


 三年間のプロジェクトがスタートして、ちょっと忙しく、連日の超過勤務。
 とはいえ、季節は待ってくれないので、多少早起きをして、朝早くにトウモロコシと落花生の植えつけ準備。
 ニラと食用菊の植え替え準備。
 アスパラガスの支柱立て。

 トチノキの枝をいただける話があったので、軽トラ一台分を運んだ。

 寒気が入ると、山間部は降水確率にかかわらず、必ず雨になる。
 夜半の雨があがると、狭霧が晴れて、若い新緑の山肌が現われ、刻々と色あいを変えていった。

景信山のスミレ

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ナガバノスミレサイシン
エイザンスミレ
マルバタチツボスミレ
オカスミレ


 明け方までに雨がやんだので、薪割りとシイタケのコマ打ち。
 先日もらってきたコナラに、1000コマ打った。

 通り雨が降ってきたために少し休憩したが、午後もほぼずっと薪運びと薪作り。
 ビニールポットにカボチャの種まき。

 写真は、景信山のスミレたち。

ネギ植え

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ネギ苗の植えつけ
えんどう豆


 雨が降り始める前に、畑仕事をこなした。

 里芋の植えつけ。
 キャベツ小苗の植えつけ。
 宮ネギの植えつけ。

 宮ネギはちょうど、ニうね分の苗ができた。
 種は、ミケさんにいただいたものである。

 紙ポットに、ピーマンとキュウリの種まき。

 大麦が穂を出し、小麦も伸び始めた。
 冬を越したえんどう豆やニンニク・タマネギも、スイッチが入ったように伸び始めた。

 夕方から、激しい雨が降り始めた。

碧岩・大岩山行記

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冬を越したヒオドシチョウ
上と同じ個体


三段の滝
碧岩から鹿岳
碧岩から四ツ又山
尾根上の大ツガ


 里芋を一部、植えつけ。
 トウモロコシと落花生予定地のうね立て。

 宮ネギの植えつけ。
 ネギを植えていると、日が暮れた。
 続きはまた、後日。

 『原発はなぜ危険か』の読書ノートを追加。

 碧岩・大岩山行記を追加。

景信山

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景信山からの富士山


景信山のミツマタ


 早起きをして、景信山から高尾山を歩いてきた。
 笹尾根の続き尾根は、高尾山手前で三つに大きく分かれるのだが、そのメインルートである。

 天気がよく、花もたくさん咲いていた。
 そのせいか、高尾山の賑わいといったら、角田山の比ではなかった。

 帰宅前に、畑で農作業。

 里芋・自然薯類の植えつけ準備。
 トウモロコシと落花生予定地の耕耘。

角田山の花

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キクバオウレン


カタクリ


ナニワズ


ショウジョウバカマ


 降り始めから58ミリと、この時期にしてはずいぶん、しっかりした雨が降った。

 紙ポットにキャベツの種まき。
 玉レタス小苗の植えつけ。
 ひよこ豆の種まき(直播)。

 里芋植えつけ準備。
 自然薯類のうね立て。
 大根の間引き。

 大麦が出穂した。
 ジャガイモの一部が芽を出した。
 ごぼうが発芽した。

 写真は、オオミスミソウ以外の角田山の花。

『飯舘村は負けない』

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稲刈りの終わった田んぼ


野手上山の雑木林


野手上山案内板


クリタケ豊かな雑木林


 二つ玉低気圧のおかげで、乾いた畑には慈雨とも言える、しっかりした雨になった。

 玉レタスの小苗を植えつけ。

 『飯舘村は負けない』の読書ノートを追加。

 福島第一原発から30キロメートルほども離れた飯舘村は、風向きの関係で、大量の放射能に覆われてしまった。
 村や住民は、今後どうするかが問われているが、それ以上に、政府や「国民」がどうすべきかが、問われている。

 飯舘村の子育て世代は、被曝しながら子どもを育てることはできないから、村とは別の場所で暮らす方途を探るべきで、政府はそのための財政支援を行うべきと考えている。
 村長をはじめ、もう少し上の世代は、徹底した除染により、3.11以前の村を復活させたいと考えている。
 いずれも、もっともであり、切実だ。

 除染には多額の経費がかかる。
 しかも3.11以前の状態に戻すには、住宅区域だけの除染ではほとんど意味がなく、山林すべての除染から始める徹底した除染が必要である。
 住宅区域だけの除染にさえ、一戸あたり5000万円の費用がかかるというから、徹底した除染には一戸あたり数百億円からの費用がかかるだろう。
 だから、村民が非汚染地域に転居する費用を全額補償したほうが、はるかに安価にすむのが現実なのである。

 しかし、そんな「現実」論は受け入れられない。

 人には、自分たちが暮らしてきた地域で暮らす権利がある。
 そこで暮らせなくなったのは、住民の責任ではなく、毒物をまき散らした東電の責任であり、それを後押ししてきた政府の責任である。
 除染すれば、元通りの暮らしが可能なのだから、いくらカネがかかろうが、除染すべきだ。

 膨大な費用がかかるというが、それは原子力発電のコストなのである。
 「日本」には、人口密集地に原発を作ってはいけないという法律がある。
 事故が起きることを前提に原発を作るのは、リスクマネージメントとして至極正当であり、事故は決して「想定外」だったわけではない。

 事故が起きる可能性が考慮されていたのだから、本来であれば、政府は原発事故対策費用を積み立てておくべきだったし、東電も、事故の際の保障費用を電力使用料に上乗せしておくべきだったのであり、今になって「カネがない」という話は無責任だ。

 カネがないから出せませんという論理は、通らない。

 政府は、除染以外の予算執行を一時的に停止するか、公務員の給与を半減させるなり一時停止するなりして、経費を捻出すべきである。
 また東電の株主は、原発によって不労所得を得てきた共犯者だから、所有する株式を全て処分するのはもちろん、過去に得てきた配当所得すべてを返還して、除染経費にあてるべきである。

 事故の際の保障費用は発電コストに含まれるという考え方からすれば、現状の電力使用料は安価すぎるのであり、安価な電気代に安んじてきた電力消費者も責任を負わねばならない。
 政府や東電が負担しきれない費用はすべて、電力使用料に上乗せするのは当然であり、電気代は、現在の10倍に値上げしても安すぎると考えなければならない。

 ずいぶん多くを考えさせられた本だったし、美しい雑木林の花塚山佐須山野手上山にまた出かけたいという思いが強くなった。

 写真は、飯舘村の風景。

2023年8月

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