手積みの石垣の上に街がある
病院の呼び鈴
道場あとの石垣
廃屋に咲く水仙
盛大な祭典が行われた大山祗神社
氷点下にまで気温が下がる日が続いたので、畑のジャガイモは壊滅した。
自然のなせるわざなので、これもまた、やむなし。
kurooさんの山里の記憶の現地見学会に参加させていただき、もと社員の品川さんに、日窒鉱山(現ニッチツ)の旧社宅などを案内していただいた。
大ナゲシや赤岩尾根や金山沢遡行の際に、ここは何度も通ったところだ。
最近来たのは、今年の1月だった。
しかし、ここで生まれ育った方に案内していただくと、かつて殷賑を極めた日窒小倉沢鉱山の生活がよみがえるように見えてくるから、驚いた。
小倉沢鉱山とは、深山に出現した、一大都市だったということがよくわかった。
葉を落とした雑木林を透かしてみると、道路のわきだけでなく、至るところに廃屋となった社宅があった。
それらの社宅は、急な斜面に石垣を築いて建てられており、あたかも戦国時代の山城を思わせるものだった。
取り壊されて更地となった敷地には、樹木が繁茂しており、都市は急速に樹林の中に溶け込みつつあった。
かなり衝撃的な見学会だったので、これをどう考えればよいのか、まだ混乱している。
帰宅前に畑に行って、日没まで農作業。
ブロッコリー・キャベツ・ニンニクに追肥。
食用菊の植え替え。
除草。
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