四阿屋山へ業務山行。
登山口まで自動車なら10分くらいで行けるのだが、公共交通機関を使うと、約4時間かかった。
朝は曇りあんばいだったが、昼過ぎには青空も見えた。
ミツバツツジはほとんど散ってしまったあとだった。
夕方前に下山できたので、日没まで農作業。
タカキビ小苗の植えつけ。
インゲン苗の植えつけ。
カボチャ植えつけ準備。
帰宅後、第二次落花生をビニールポットに種まき。
タカキビ追加分も種まき。
新緑の雑木林で、キンランがほころびかけていた。
四阿屋山へ業務山行。
登山口まで自動車なら10分くらいで行けるのだが、公共交通機関を使うと、約4時間かかった。
朝は曇りあんばいだったが、昼過ぎには青空も見えた。
ミツバツツジはほとんど散ってしまったあとだった。
夕方前に下山できたので、日没まで農作業。
タカキビ小苗の植えつけ。
インゲン苗の植えつけ。
カボチャ植えつけ準備。
帰宅後、第二次落花生をビニールポットに種まき。
タカキビ追加分も種まき。
新緑の雑木林で、キンランがほころびかけていた。
自分が時おり山行を共にしているグループの一つは、登山を愛好する高校生グループである。
未熟なところが多いのは当然として、毎日トレーニングに勤しみ、山歩きの楽しみ方について学んでいる。
この子どもたちに今日、突如として1000円払えというお達しが来た。
請求してきたのは、日本山岳協会である。
お達しには、1000円払わない者は、高校生の登山活動の交流会(高体連が主催する行事)には参加してはならぬと書いてある。
これは、驚天動地の沙汰である。
子どもたちは、(おそらく)多くないであろう小遣いから登山に必要な費用をやりくりしている。
最寄りアプローチへの交通費をいかに安くするかを考えながら、次に登る山を考えるのは、当然である。
装備を買ったり登山費用を捻出するため、アルバイトに励む者もいる。
他校の高校生との交流はとても意義があるので、参加させてあげたいのだが、1000円は大きい。
日本山岳協会に、このお金の使途について尋ねてみたところ、「いろいろな経費です」という以上の答えは帰ってこない。
予算は公開されているが、具体的な使途はもちろん、書かれていない。
たいへん怪しい。
登山に群がる利権の匂いがプンプンする。
こんなうす汚れた組織に関わるのは、気が重い。
一昨日来の冬型と今朝の移動性高気圧のために、霜が降るかと怖れたが、さほどひどい冷え込みにはならずに助かった。
インゲンの苗は不織布をかけておいたのに、前回の霜によってほぼ全滅した。
とても残念。
インゲン壊滅のダメージは大きいが、いくらか残った苗を大事に育てたい。
フリントコーン・ハトムギなど予定地のマルチかけ。
その合間に、両神の四阿屋山にちょっくら登ってきて、ヒノキの木っ端をいただきに某所へ出張った。
四阿屋山では、ミツバツツジがどこでも満開で、言葉もないほどだった。
一方、アカヤシオはすでに盛りを過ぎて、落花しているのが多かった。
少々早起きをして、また魚沼の里山歩き。
今日は、小出インター近くの大力山から黒禿の頭まで。
この数日の間に春はまた進んで、尾根ではタムシバが花盛りだった。
今日もまた、イワウチワのピンクに酔いしれた。
笠倉山まで道がついていそうだったが、時間が押していたので、あきらめた。
朝、周辺の部落を回って、テレビ組合の集金依頼。
都会民の中には、アンテナさえつければテレビが映るものだと思ってる人もいるかもしれないが、山間部ではデジタルだかなんだか知らないが、電波は届いてこない。
テレビを視聴するには、もよりの山の山頂にアンテナを立てて、自宅までケーブルでデータを引っ張ってこなければならない。
アンテナの建設とケーブルの敷設は受益者負担、すなわち自己負担である。
当地では、近所同士でテレビ組合を作って、施設を建設・維持している。
テレビ組合の費用と受信料を負担する価値のある番組などないと確信しているので、自身はテレビ受像機を所有していないのだが、部落の仕事として、会費の集金に回ったというわけである。
テレビの視聴料を一ヶ月数万円程度に値上げすれば、多くの人はテレビ番組の質についてもっと考えるようになるのではなかろうか。
薪割り少々。
杉を細く割っておくと、すぐに乾いて燃せるようになる。
ムクゲ自然公園に行って、スギ丸太などをいただいたあと、秩父事件関係の集まり。
畑の野菜たちに潅水したあと、自宅でビニールポットにカボチャ(雪化粧)、タカキビの種まき。
写真は、トヤの頭からの展望。
先日、広神村の鳥屋ヶ峰に登ったのだが、すぐ近くの湯之谷村にトヤの頭というピークもある。
ちなみに、秩父地方には登谷山があり、群馬県南牧村にはとや山、会津に鳥屋山、道志に鶴ヶ鳥屋山がある。
これらに共通しているのは、いずれも同じような里山だということだろう。
雪溶けがずいぶん進み、稜線はほぼ夏道が出ていた。
カタクリ・イワウチワなどが咲き乱れ、佐梨川には雪シロが入って、堂々たる流れになっていた。
下山後、登山口近くの赤城神社にお参りしたら、大きなカツラ(だと思う)と変わった狛犬が目を引いた。
この狛犬は、子どもを抱いている。
奉納者あるいは氏子の方々の、思いが込められている。
先月31日のエントリに書いたように、秩父困民党風布組の進撃路は、出牛から金沢村加増・更木・浦山耕地を経て風早峠に至るルートが一つ、有力である。
だがもう一つ、金沢村金山耕地から下日野沢村藤原耕地に至り、重木-小前と進むルートもありうる。
風早峠ルートは、現在の二万五千図に記載されているにもかかわらず、実際には廃道である。
一方、秩父自由党の牙城を結ぶ後者のルートは二万五千図に記載がないのだが、踏みあとはまだ残っている。
今日は、このルートを実踏してみた。
小松耕地から重木へは、立派な山道が続いている。
ここは以前にも歩いたことがある。
登り下りのない、歩きやすい道だ。
重木から藤原へも、山道が残っている。
こちらはいくらか荒れているが、道標も建てられていて、通行に支障はない。
この道もまた、登り下りのほとんどない道だった。
今日の実踏はここまで。
夕方まで、畑仕事。
キャベツ小苗の植えつけ。
春いんげん芽出し苗の植えつけ。これには、遅霜に備えて不織布をかけた。
里芋の畝に防草シート張り。
除草少々。
自宅でビニールポットに落花生の種まき。
いよいよアスパラガスが出始めた。
秩父困民党の武装蜂起に際して、風布組先発隊が下田野村の押ん出し河原で捕まったあと、本隊は皆野から赤平川沿いに椋神社に向かうのを避け、末野-野上-出牛峠と歩いて、金沢村に入った。
金沢村から下日野沢・上日野沢村のどこかを通過して下吉田村椋神社に入ったのだが、そのルートについては定説を見ていない。
出牛から金沢村加増・更木耕地を経て風早峠に至るルートは、当時のメインルートの一つであろうから、風布組の進軍ルートとして有力であることは確かである。
地形図に破線は記載されているものの、廃道の可能性は高いと思われたが、現状はどうなのか、歩いてみた。
カタクリの里から浦山耕地上部の別荘地まで車道を行き,破線路を辿ろうとしたが、案の定、ほぼ廃道化していた。
藤原への分岐まで行って少し休み、カタクリの里へ戻った。
午後は畑仕事。
里芋の植えつけ準備で、日が暮れた。
写真は、カタクリの里のカタクリ。
峠付近のカタクリは、まだ芽吹いたばかりだった。
ガソリンが特売だったので、ちょっくら越後・魚沼の里山を歩いてきた。
広神村の鳥屋ヶ峰。
標高680メートルの低山だが、寡雪気味(と思える)の今年とはいえ、まだ雪に覆われていた。
ワカンをつけたり外したりしながら、かなり疲れて山頂へ。
権現堂山、越後三山、荒沢岳、守門岳など、ゴージャスな展望を得ることができた。
草花は見なかったが、尾根ではマンサクが満開でときおり、ビシッという音を立てて雪の下から跳ね上がるので、何度も驚かされた。
南大菩薩への業務山行から帰宅。
今月になって滝子山へ登ったのは3度目だが、前2回は滝子山のエスケープルート研究だった。
結果的に、南尾根と西尾根はエスケープルートとしては不適当という結論だったが、ずみ沢コースと大谷ヶ丸から大鹿峠のコースは状況次第によっては使えると思う。
もっとも今日は、予定通り東尾根(今まで何度も下りた尾根)を下った。
金曜日の朝は晴れていたが、夕方には雪が降り出し、ほぼ夜中降って、今朝の明け方にやんだ。
つまり行動中にはまったく降られなかったわけで、けっこうな雪景色を楽しみながら歩くことができた。
当地ではほとんど降らなかったようで、下山後、畑に灌水。
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