朝、集落による国道の道普請。
このあたりでは、国道の除草や清掃は、役場の指示により、最寄集落が行っている。
人口の多い市街地では予算措置がされて、業者さんが道路清掃を行っているのだが、人のあまり住んでいないところに予算はつけられないから、自弁でやりなさいということのようだ。
たしかに、人が少ないから、なかなかはかどらず、炎天下、2時間ほどの仕事になる。
草むしりしている高齢の地元民のわきを、爆音を響かせて、バイクが何台も通りすぎていく。
お昼に小麦の脱穀。
コンバインなどないから、kurooさんの山里の記憶に出てくるものを、使っている。
午後、急いで、映画を見に行った。
本庄市の小さなシアターにかかっていた、この作品。
「山里の記憶」を高校生が聞くという感じと思えばよいと思う。
じつは、この聞き書きに毎年、身近な若者たちが参加している。
今年も、ごく親しい高校2年生が、夏休みに出かけることになっている。
今どきの高校生にとって、「種を残すために焼畑をする」とか「林業者は自由人だ」などの哲学的な言葉はもちろん、理解できないだろう。
彼ら・彼女らは、取材を通じて何を得たとも、学んだとも、明確な言葉では語っていなかった。
おそらく、ただただ、圧倒されていたのだろう。
労働のリアルな現実に。
働くとはどういうことなのか、何年かたって、思い出すのかもしれない。
シアターに歩く途中、金鑚神社の大クスに目を惹かれた。
上映まで時間が少々あったおかげで、いいものを見ることができてよかった。
帰宅前に、畑に寄って、農作業。
ラッキョウ掘り。
キュウリやミニトマトの追肥。
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