今朝はしばらくぶりに氷点下の朝になったが、昼間は初夏のようだった。
残念ながら、芽の出たジャガイモはすべて霜げて枯れた。
降水量ゼロの状態が先月22日以来続いていて、畑はカラカラだ。
にもかかわらず、当分の間、雨が降りそうにない。
仕事が終わらないので、連日、1から2時間の超過勤務。
菅首相が福島第一原発周辺で、放射能に汚染された地域について、「そこには当面住めないだろう。10年住めないのか、20年住めないのか、ということになってくる」との認識を示した。という報道があった。
その後、この話を語った相手の松本健一内閣官房参与(『秩父コミューン伝説』の著者である)が、この発言を否定しているので、真偽のほどは定かでない。
しかし、現実問題として、半減期が30年前後のセシウム137やストロンチウム89、さらに2万4000年のプルトニウム239などが出ているということは、遺伝子破壊や発癌の危険をいとわない人を除けば、ここに人が住むのは、難しい。
とはいえ、「住めない」ではすまされない。
そこにしかない、固有の文化や行事や知恵などを絶やすことは許されない。
これらはすべて、その地で暮らすために必要なものばかりで、何千年に渡って、地域の人々が多大な労苦とともに、培ってきたものなのである。
これらがなくなったら、いくら謝っても、いくらカネを積んでも、取り返しがつかない。
どうしても、取り返してもらわねば、いけないのだ。
エコタウンか何か知らないが、少々のカネがあればできるものなら、作ればよいだけの話だが、それだけでは、失われたものを取り戻すことはできない。
地域における暮らしの知恵は、地域から離れては、意味がないのである。
何もかも、元通りに復元しなければならない。
汚染された土をすべて処分・処理し、新しい土壌に入れ替えなければならない。
カネが足りないなら、消費税を1000パーセントにして、公務員の給料を何年間でも、無給にすればよい。
日本の総力をあげて復興するというなら、それくらいは当り前だろう。
今年1月に資源エネルギー庁長官から東京電力の顧問に天下った石田徹氏について、NEWS ポストセブンが「石田さんの役割は、東電の支払う賠償額を出来るだけ減らすことにある」と報じている。
この人について枝野官房長官は、2月2日には、「天下り」にはあたらないなどと寝惚けたことを言っていたが、今日は、(原発への)チェック態勢が甘くなったのではないかと疑義を持たれるのは当然だ。法律上、天下りに該当するかにかかわらず、社会的に許されるべきではない」と、大変まともなことを言っている。
事故をめぐる東電と石田氏の動きを見ていて、枝野氏は、考えを変えたのだろう。
とてもよいことだ。自民党の大臣に、このような「伸びしろ」は期待できない。頑張れ枝野と言いたくなる。
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