観能学校あと

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五日市観能学校あと


 終日、農作業。
 頑張ったおかげではかどった。

 きゅうり小苗の植えつけ。途中まで。
 アスパラ小苗の植えつけ。アスパラはこれで終わり。

 そろそろ赤くなってきたいちごに網掛け。
 三年目のとちおとめなんだが、去年と比べて実がえらく小さい。
 肥料不足の可能性もあるが、植えた苗がよくなかったのが原因かもしれない。
 早くもランナーがでているので、よい苗をたくさん作る必要がある。

 じゃがいもの土寄せ完了。
 今年植えたのは新しく開墾した場所なので、木の根や石ころがすこぶる多く、今ひとつモチベーションが上がらない。

 ネギの土寄せも終わり。
 冬に食えるネギはとても重要。

 家で、ビニールポットにエンサイの種まき。
 西瓜の鉢上げ。

 写真は、武蔵五日市駅近くにある東町観音堂。
 ここは五日市観能学校あと。
 お堂は小さいし、敷地も広くないのだが、かつてはもっと大きかったのだろう。

 ここで教えていたのが、千葉卓三郎だった。

 千葉卓三郎は嘉永五(1852)年、仙台藩士の上に生まれ、戊辰戦争にも出た。
 維新後上京して各種学問・宗教(キリスト教)を学び、明治10(1877)年ごろから秋川界隈で小学校教員に就く。
 明治13(1880)年に五日市を訪れて、ここ観能学校に勤め始めた。

 ほぼ同じころ、五日市学芸講談会を作って、同年代の若い人々と社会・政治についての学習会を始めた。このころまだ30歳にならない。
 タクロン・チーバーと自称した。
 翌1881年に五日市憲法を起草。

 1883年に結核のため没。

 お金もない。
 名声もない。
 彼女もいない(かどうか実は不明)。
 何も残さずに死んでいったかに見えた卓三郎が残した私擬憲法が偶然発見されたのは、昭和43(1968)年だった。

第45条 日本国民は各自の自由権利を達すべし。他より妨害すべからず。かつ、国法これを保護すべし。

 人は各自自由であり、権利の主体である。それを何ものも妨害してはならない。かつ法律はそれら(の権利及び自由)を保護しなければならない。
 これこそ、日本人民が到達した思想的金字塔というべき文言だろう。

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