三ツ峠・鶴ヶ鳥屋山・本社ヶ丸
百蔵山・扇山
引き続き、草むしり。
雨が降らないので、畑はカラカラだ。
木曜日に低気圧が来るが、あまり期待できそうにない。
写真は、岩殿山から見た山々。
読書ノートに、『小説外務省』、『特攻隊振武寮』、『連合艦隊の最後』、『日本はなぜ「基地」と「原発」を止められないのか』、『日本海軍400時間の証言』を追加。
引き続き、草むしり。
雨が降らないので、畑はカラカラだ。
木曜日に低気圧が来るが、あまり期待できそうにない。
写真は、岩殿山から見た山々。
読書ノートに、『小説外務省』、『特攻隊振武寮』、『連合艦隊の最後』、『日本はなぜ「基地」と「原発」を止められないのか』、『日本海軍400時間の証言』を追加。
ほうれん草とチンゲン菜の種まき。
草むしり。
冬越し野菜類に追肥。
白菜を食べ尽くした。
秋野菜で残っているのは、キャベツ少々とネギだけだ。
一昨日は冬型で、季節風が吹いていたが、岩殿城址の日だまりでは、ヒオドシチョウが遊んでいた。
大月市の桜沢峠から岩殿城址まで、歩いてきた。
以前に、桜沢峠からセーメーバンを経て金山峠まで歩いているので、その続きでもある。
平凡な低山尾根だが、稚児落しから岩殿城址にかけては、礫岩のスラブがすごい。
ここは、武田氏の武将だった小山田氏の砦だが、度重なる家臣の離反によって敗北した武田勝頼が最後に頼ろうとした場所である。
ところが、小山田氏はすでに離反し、いよいよ進退に窮することとなった勝頼一行は、初鹿野山中で自害し、甲斐・信濃の王者だった武田氏は滅亡した。
落魄の武田勝頼にとって、譜代の幕僚だった小山田氏の寝返りは、悲しかったろう。
城址のあちこちに、今なお、ヤダケが群生していた。
肩の痛みが取れないので、整形外科にかかったら、棘下筋筋硬結症という診断をいただいた。
とりあえず、教わったストレッチで気長に治そうと思う。
ジャガイモ予定地の土作り。
これで、植えつけ準備はほぼ完了だ。
菜っ葉予定地のマルチ張り。
農作業がずいぶん捗った。
写真は、石割山から北側の山々。
今日は、枯れ草燃しと大除草。
ホトケノザやオオイヌノフグリは、氷点下の中でも元気に咲いている。
抜いてみるとわかるのだが、えらく深く根を張って冬を耐えているのである。
写真は、石割山からの南アルプス。
14年ぶりに石割山に出かけた。
ここは展望がよいので、晴れた日に行かないとあまり意味がない。
今日は、やや南に偏ってはいたものの、移動性高気圧だったので、ここに登るにはうってつけの天気だった。
前回と同じく、石割神社から山頂へ。
この前来たときには、山伏峠へ北上したのだが、今回は、忍野方面へ尾根を下った。
今回はまた、富士山が一段と大きかった。
正面から見ると、富士山はとても恐ろしい。
とても登れそうな感じがしない。
正視できないほど、恐ろしい。
引き続き、ジャガイモ予定地の耕耘。
全部ではないが、あらかた耕し終わった。
石灰や堆肥はまだ入れてない。
菜っ葉類予定地も耕した。
管理機押しで日が暮れた。
信州の山日記に、砥石城址から東太郎山を追加。
モグラか、でなければせめてミミズでもいるかと思って立ち寄ってみたが、なんにもいやしない。
ちっ。シケタ畑だぜ。
秋のうちに刺しといたトカゲも少なくなってきたから、期待したんだがな・・・。
と、モズが言ってる。
今日は、ジャガイモ植えの準備。
ピーマンと玉レタスの種まき。
ピーマンは、昨年種とりしたもの。
芽が出るかどうかわからない。
全体的に農作業は遅れ気味。
来月にかけて、ピッチを上げねば。
凍み蒟蒻。すなわち、冷凍コンニャクの乾燥品である。
暖かくなると、凍らないから、これは作れない。
上田市の東太郎山を歩いてきた。
砥石城址から尾根伝いに往復したのだが、見た目はたいした積雪に見えなかったが、上部は膝までのラッセルだった。
ワカンを自動車においてきてしまったのは失敗だった。
前衛峰まで登って疲労困憊したが、大休止したら元気が出たので、山頂まで行った。
心が折れそうなヤブとラッセルの途中に、カモシカのトレースがあったので、大いに励まされた。
ラッセル泥棒すみません。
午後から雪降り。
まだうっすら状態だが、夜の間、雪は溶けないので、ニュースは40センチ予想などと言ってる。明日の朝にどうなっているやら。
左の肩を痛めた。
土曜日に雪洞を掘ったのだが、雪がやや柔らかい(比較的新しい雪)のが気になった。
もちろん、生き埋めになっちゃまずいからだ。
天井を厚くとるには、縦穴を掘り、縦穴の底から横穴を掘り進めるのがよい。
ゾンデ棒を挿したところ、十分な積雪と思ったのだが、横穴を掘り進めていくと1.5メートルほどでブッシュが出てきた。
それ以上掘り進むことはできないので、途中から少し上に掘り進んで、寝室を作った。
ところが寝室の面積がちょっと狭すぎて、3人が横になるのが精一杯だった上、寝室スペースの肩が崩れやすく、一番端に寝た自分は、転落しないよう一晩中突っ張っている羽目になった。
おかしなところに力を入れていたのが、肩痛の原因である。
医者に行くほどでもないので、とりあえず放置。
写真は、鬼面山のエビの尻尾。
安達太良連峰北端・鬼面山から帰宅。
日曜日に登ったのだが、移動性高気圧の圏内にあったため、ほぼ無風状態と、ずいぶん幸運だった。
鬼面山の山頂道標の字は読めないが、とてもお洒落な雪飾りがステキだった。
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