宮沢賢治がやってきた

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 ハードな毎日だが、ようやく金曜日が来る。

 仕事が終わってから集落の集まりのため、集会所に直行。

 大正五年に、宮沢賢治がこの集落を訪れた記録が最近見つかり、役場が先日、「宮沢賢治探訪の地」という看板を建てた。
 その件に関する説明会だという話だったのだが、専門家の先生が当地の地質学的特徴をわかりやすく説明した上で、なぜ賢治がこの集落を訪れたのか、また何を見るために訪れたのかについて、説得力ある仮説を提示された。
 たいへん刺激的な仮説で、晩飯も食わずに出席した甲斐があった。

 その要旨は、以下のとおりだった。

 盛岡高等農林在学中、賢治は地質調査のために小鹿野町を訪れ、寿旅館に宿泊した。
 その記録が、先日見つかった寿旅館の日記に記載されていた。
 そこには、生徒一行が源沢(皆本沢)を見学したということが記されていた。

 小鹿野町三田川地区は、地質学的には山中地溝帯に属し、三山地区と河原沢地区は中生代白亜紀層の地層である。
 飯田地区は新生代の地層で、その境界が「犬木の不整合」である。

 「犬木の不整合」は明治20年代から著名な地質学者が調査に訪れており、地質を学ぶ学生にとって必須の見学地だった。
 白亜紀層と新生代の地層の境界を見るだけなら「犬木の不整合」を見るだけで事足りる。
 それより奥地の皆本沢を探訪する理由は、白亜紀の礫岩層を見ること以外に考えられない。

 礫岩層は、三田川の谷と薄の谷を隔てる稜線沿いに走っているのだが、ときおり谷底で露出する。
 小鹿野町から最も近いところにある白亜紀層の礫岩層の露頭が、皆本沢なのである。

 盛岡高等農林の地学巡検の目的が、白亜紀層と新生代の地層の境界と白亜紀層の礫岩層の露頭の見学であったとすれば、賢治たちは、犬木の不整合と皆本沢を見学するのが最も自然である。

 たいへん説得力のある説明で、久しぶりに知的刺激を受けた。

 集落からは、礫岩層の露頭への林道が落石や倒木で荒廃している問題などが出された。
 賢治がこの集落を訪れてからまもなく100年となる。

 この話がよい方向に進めばよいと思う。

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2023年8月

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