豊国神社前の耳塚。
豊臣秀吉は明を征服し天皇を北京に移すという計画のもと、子飼いの大名たちに命じて朝鮮半島に攻め込んだが、朝鮮官民の抵抗により戦況は悪化した。
秀吉がいかに叱咤激励しようが、挽回は不可能だった。
困惑した大名たちは、奮戦の証として、かさばる首の代わりに、朝鮮民衆の耳や鼻をそぎ、塩漬けにして秀吉の元へ送った。
大名たちの手元には、秀吉の祐筆が書いた、鼻の領収証が残されている。
数を改めてしまえば、塩漬けの耳鼻に用はないが、捨てられた耳鼻が小山ほどになった。
それが耳塚として今に残る。
秀吉の死によって戦争は自然に終了となったが、退却に際し大名たちは、百姓・陶芸家・学者などを大量に拉致して自国へ連れ帰った。
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