チョウセンゴミシ酒

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 仕事が繁忙期に入ったが、今日も朝から薪原木運びと薪作り。
 今日だけで軽トラック2台分運んで、うち少々を薪にした。
 このところ、両腕の上腕骨内上顆炎が悪化してとても痛いのだが、今が来冬用の薪作りの頑張りどきなので、我慢どころ。

 畑では、植えつけたキャベツとレタスの小苗に水くれ。
 数日ぶりに氷点下にならない朝だったが、久しくお湿りを見ていないので、苗の活着が危ぶまれる。

 トマト・ナス・ピーマン予定地の土づくり・耕耘・畝立て・マルチ張り。
 あてにしていた今日のお湿りは、残念ながら、空振りに終わった。

 気温が上がったので、室内のどこからともなく、クサギカメムシが飛び始めた。
 この冬は、どういうわけか、カメムシの少ない(例年と比較して)年だったが、暖かくなると、それなりの数のカメムシが飛ぶものだ。
 薪運び・薪作りの合間に、秩父事件研究顕彰協議会の集まり。

 秩父事件の復権のために一緒に活動している旧吉田町のAさんから、びっくりする話を伺った。
 Aさんは、昭和19年に召集されたのち、ソ連軍によってシベリアに連行され、昭和24年に帰国されたのだが、このほど、総理大臣菅直人の名前で、慰藉状とともに、強制労働4年分の慰藉料(!)として、35万円が送られてきたというのである。

 シベリア抑留という国際法違反・人権蹂躙は、スターリンの発想によって実現したと思っていた。
 しかし、Aさんによれば、日本軍兵士を強制労働に使ってくださいという書簡が、関東軍や陸軍参謀本部によってスターリンに送られていたそうだ。

 旧日本軍兵士60万人が、戦争終了後にシベリアに連行され、現地で6万人が倒れたのが、シベリア抑留だった。
 スターリンは許しがたく悪辣な人物だったが、それと同じくらい、旧日本軍の責任も重い。

 にもかかわらず、自民党政権(公明との連立時代を含めて)時代には、なんの謝罪も補償もなかったそうだ。
 犠牲者の労苦に報いるにはあまりにも遅すぎ、あまりにもお粗末な内容ではあるが、菅政権が自民党でなかったから、こういうことがようやく実現したのだろう。

 菅政権についていろいろ言われているが、今回の震災と原発事故をめぐる対応は、もし自公政権だったら、現政権よりよっぽとひどかっただろう。
 そう考える根拠は、下のアーティクルで。

 写真は、最近飲んでるチョウセンゴミシ酒。
 これは、昨年秋に、浅間山に登ったときにいただいてきたものだが、ちょうどよい按配に漬かった。
 さらに保存すると、味は深みを増すが、色があせて琥珀色になる。
 ゴミシの酒は、華やかなうちに飲むのが、楽しい。

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2023年8月

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