哲学の道

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 京都市内を歩いてきた。

 慈照寺を拝観して、哲学の道を永観堂まで。

 五山送り火の当日とあって、慈照寺界隈はずいぶん混み合っていた。



慈照寺境内 自然と人為のギリギリの表現である



銀閣を見下ろす 富や権力へのニヒリズムを凝縮させた美



 政争はもはや、将軍たる自分にさえ制御不能となった。

 権力をめぐる争闘にコミットできない将軍など、存在する意味がない。

 義政は、征夷大将軍たる自分のアイデンティティを根本的に否定されたわけだ。

 自分とは境遇の異なる義満の豪華な山荘は、虚栄心の塊にしか見えない。

 人為は全て、虚しい。

 さりとて、将軍たる自分は、自然に帰ることなどできるわけがない。

 人為と自然の切り結ぶ作庭芸術は、差別されていた人々のものだった。

 樹木と石と砂と苔によって構成された人工的な自然を前にすることで、義政はようやく、心の空間を埋めることができたのだろう。

 哲学の道を歩き始めたところで、雨が降り出し、永観堂を拝観しているうちに、土砂降りの雷雨となった。

 もっとも、堂宇の中で雨宿りできたので、ほとんど濡れなかったのは、幸運だった。




哲ニャくの道に雨が降る



永観堂雷雨 庭を眺めてやりすごす

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