旧「瀬音の森」の会員だった澤田稔さんの告別式に行ってきた。
「瀬音」ホームページを見ると、設立総会から解散総会までずっと、澤田さんの姿が見える。
「瀬音の森」ができたのは1999年だった。
森林ボランティアに参加したいという機運が高まっていたのは、NIFTY-Serveの渓流釣り会議室で知り合った人が多かったのだが、澤田さんは絵から「瀬音の森」に入ってこられたとのことだった。
会員には釣りバカおやじが揃っていたので、酒が入ると、サカナや釣りの話になって、みんな大興奮するから、渓流釣りをしない澤田さんは、さぞ呆れておられただろう。
会報に載せられていた葉っぱの絵も、細かなところまで神経の行き届いた作品だったが、2008年の「瀬音の森・二人展」で初めて、澤田さんの画業に本格的に接することができた。
kurooさんの「山里の記憶」は、彼の才能と思い入れがなければ、形になることはなかったと思われる作品ばかりだが、澤田さんの作品は、ペンで描かれた精細な都会の風景画が中心だったと記憶する。
葉っぱの絵は飾らないのですか、とお尋ねすると、今回は風景が中心なんだと言っておられた。
この10数年あちこちで遊んでいただいた。遺影に感謝して、会場をあとにした。
東京から帰秩すると、雨がやんでいたので、喪服を作業着に着替えて、農作業。
秋野菜予定地のうね立てと、マルチ張り。
今更ながらだが、桟敷山山行記を追加。
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