ジャガイモ掘りが終わったので、連日、草むしり。
梅雨からお盆前にかけての時期は、どんなにむしっても、草の伸びるスピードが勝るので、畑は少しずつ草原化していく。
日没までが勝負だから、できるだけ早く退勤して、今なら7時20分くらいまでひたすら草を取る。
むしった草を埋めたり、空き地を管理機で耕して草が生えないようにする作業もやっているが、一日あたり、コンポスターにぎっしりくらいの草をとる。
勝てない戦いを続けているうちに、草の勢いが次第に弱くなり、コオロギが出始める頃には、畑もいくらか、きれいになる。
これを毎年、繰り返す。
鉢伏山から帰宅する途中、立科村の津金寺を見学した。
こちらは、行基が開基したという寺伝を持つ古刹である。
行基伝説は数多いが、このお寺に由緒があることは明らかなので、なにも行基を持ち出さなくてもよさそうに思う。
重要なのは、平安〜鎌倉時代に、信濃国小県郡・佐久郡あたりを支配した滋野一族に庇護されながら繁栄した寺であるという点だろう。
滋野氏の実態はほとんど不明ながら、現在の長野県東部から上州吾妻郡一帯を束ねた豪族であったらしい。
一族にはのちの真田氏につながる海野氏・祢津氏などがおり、江戸時代になっても、東信濃の支配権を実質的に維持している。
寺は、「談義所」と呼ばれ、延暦寺同様に天台教義の研究施設としての役割を果たしていたらしい。
したがって、そのパトロンたる滋野氏は、仏教の教義にも深い関心を持ち、資金提供を惜しまなかったことが想像され、この寺における教義研究の厚さが伺える。
あまりじっくり見なかったのだが、境内をざっと拝観しただけでも、並々ならぬこのお寺の歴史的な重要さを、感じ取ることができる。
要するに、「中央」とは無関係のところで、独自の地域的小王権が存在し、戦国の動乱期まで、独自の覇権を維持していたのである。
上の写真は、山門に安置されている木造の金剛力士像。
戸隠の九頭竜権現が刻んだという伝説のある、江戸時代の作品。
力強い作品であるが、当初から未完の仏像だったらしい。
二番目は、境内にある巨杉。
延暦寺と同じ系統だというが、真偽のほどは不明。
すばらしい杉であることは、間違いない。
三番目は、滋野氏の供養塔。長野県宝である。
建立されたのは鎌倉時代だが、そのように思えないほど、よく保存されている。
滋野氏の歴史がもっと明らかになれば、この塔の価値がさらに明確になると思う。
四番目は、津金寺山門の全景。
ごらんの通り、茅葺の屋根を持つ。
おそらくずっと以前からこの姿でここに建っていたのだろうから、それだけでも貴重な建造物だと言える。
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