金峰山寺と大峰山寺

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金峰山寺

OLYMPUS E-620+ZD14-54mm
大峰山寺

OLYMPUS E-620++ZD14-54mm
役の行者像

竜の石像

 台風11号は、関東地方を今夜、直撃する模様。
 雨が降るのは覚悟しているが、強い風が吹くと、畑のトマト支柱が吹っ飛ぶおそれがある。
 今夜も不安な夜になる。

 昨日の総選挙の結果だが、民主党が公約を守る限り、八ツ場ダムと川辺川ダムは建設中止となる。
 新政権に過度の期待はしていないが、この約束は守ってほしい。

 先の大峰行きで、金峰山寺(吉野山)と大峰山寺(山上ヶ岳)にお参りした。
 この二ヶ寺はいずれも、修験道の道場である。

 修験道は、神道や仏教以上に、この列島に根ざし、育まれてきた信仰だと考えている。(神道は、征服者が自分たちを虚飾する目的で考え出した物語だろう)
 修験者の権威は、どんな権力者がバックについているかで決まるものではない。
 その行者が、どれだけの修行を積み、どれだけの実力を持っているかが問題となる。
 「世襲」などとは、無縁の世界である。

 修行の目的は、自己の鍛錬に尽きるから、一人の行者がどんな高みに到達したところで、栄誉やオーソリティとも無縁である。
 人知れず苦闘して、人知れず解脱にいたり、人知れず法悦に浸るのが修験というものだろう。

 不勉強なので、理解がまだ浅いと思うが、日本の山岳宗教について今少し、勉強してみたい。

 下二つの写真はいずれも、大峰山寺近くで見たもの。

コメント(2)

自分も山岳信仰に非常に興味があります。まさに自己鍛錬と生老病死の普遍概念があるのでしょうか。良い本がありましたら是非ご紹介ください。

地球を舞台にご活躍のご様子は、伊豆へ流刑になった役の行者が、昼だけ伊豆にいて、夜には富士山で修行に励んでいたという逸話を思い出してしまいます。

 修験道に関する私の理解は現在のところ、上のようなものですが、それだと写真のような伽藍を構える必然性がありません。ですから、現在の修験宗サイドでは、「役の行者は衆生済度のために修行に励んだのである」という説明をしています。
 でもそれはいかにも、不自然だという気がします。

 修験の原型は、体系化された理論ではなく、もっと素朴な信仰なのではないかと思っています。
 巨大な岩壁を前にしたとき、あるいは凄まじい瀑流を前にしたときにわれわれが感じるパワーや崇高さと一体化したいという想念が、修験の核心ではないか。

 今のところ、修験に関する概説書等で、胸に落ちた本にめぐり会っていません。
 強いてあげれば、宇江敏勝『熊野修験の森』
http://blog-yasutani.xrea.jp/booklog/2008/05/post_294.html
です。この本には、今なお捨身や断食という荒行を敢行する現代人が紹介されています。
 金峰山寺の高僧の方なども命を削る荒行をなさっているようです。

 金峰山と言えば、甲府盆地の北にそびえる秩父山地の王者を連想します。
 山梨県博に展示されていた小さな蔵王権現像も印象的でした。

 われわれの身近な山域でも、かつて、命がけで真理に至ろうと苦闘していた人が、たくさんいたのでしょう。

 こちらでは、新型インフルが蔓延しつつあります。どうぞお身体に気をつけて。

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