2日に、熊野速玉大社(新宮)を参拝した。
熊野に何度も出かけているが、じつは、熊野三社をていねいに見たことがないのである。
桜祭りの前日ではあるが、平日とあって、境内はさほどにぎやかでもなかった。
神宝館はあまり立派な建物ではないが、国宝級の宝物類が薄暗い館内にたくさん並べてあった。
お札売場で牛王法印を買い求めた。
多数のカラスが舞う、奇妙なデザインだが、それだけにほんものらしさが漂う。
日本サッカー協会のシンボルも八咫(ヤタ)のカラスなのだが、由来は不詳のようだ。-->下記のkurooさんのコメントに由緒が解説されています。
日本サッカー協会のマークについて調べてみました。
このマークは昭和6年、大分県出身の彫刻家、日名子実三のデザインです。
「キーパーソンは日本サッカーの生みの親、中村覚之助」
覚之助は明治11年、和歌山県那智町(現在の那智勝浦町)に生まれ、
同39年に28歳の若さで亡くなった。東京高等師範学校の学生だった明治
35年、今のサッカーのルールなどに関する本を翻訳し、日本に紹介した。
これが日本のサッカーの始まりとされています。
日名子に、八咫烏をデザインするよう進言したのは同校の内野台嶺教授
だそうです。この内野教授は覚之助の後輩にあたり、覚之助が亡くなった
とき大いに悲しんだ人物です。
この内野教授が、那智生まれの覚之助の顕彰の意味も込めて、八咫烏を
デザインさせたのではないかと言われています。
おそらく八咫烏は「導くもの」としての象徴で、日本サッカーを世界へ
導いて欲しいという意味があるのではないでしょうか。
kurooさん、解説をありがとうございました。
とてもよくわかりました。
サッカーといえば、ごく最近になって日本に入ってきたスポーツのような気がしていましたが、伝統のあるスポーツなのですね。
付け足しです。
埼玉県のサッカーは、埼玉大学の前身である埼玉師範学校の蹴球部創設
(明治41年)がその始まりとされています。
そのため、浦和レッズのエンブレムは、埼玉師範学校校舎の「鳳翔閣」
をモチーフに作られています。校舎の正面図がエンブレムの上部に使わ
れています。ちなみに今の浦和レッズのエンブレムをデザインしたのは
UB(浦和ボーイズ)のリーダーで、応援をリードする角田修一氏です。