田中圭一『村から見た日本史』

 江戸時代の百姓の実態がどのようなものだったかを論じている。

 戦後歴史学においては、その折々の定説が教科書記述に反映し、それがおおむね国民に受け入れられてきたように思う。
 皇国史観は科学的・実証的な裏付けをもたず、単なるファナティックな物語だっので、戦後は、歴史の構造的な把握が重視された。
 経済的諸関係や階級対立というようなツールは、歴史が物語でなく科学であるために用いられたのだった。
 構造的(科学的)な歴史把握のために、史的唯物論を土台とした演繹的な方法に傾くきらいがあったのは、それが当時の歴史学の現状だったからだろう。

 江戸時代史について言えば、1970年あたりから市町村史の刊行に伴い地方文書が大量に発掘され、村で起きたさまざまなできごとがわかるようになった。
 地域の歴史を全体史にあてはめるのではなく、文書に基づいて帰納的に書くことが可能になり、演繹的な歴史像が必ずしも現実を反映していない部分が明らかになった。
 本書は、演繹的な江戸時代史を地方の史料に基づいて修正しようとしている。

 ただ例えば、著者がノーマンの『日本における近代国家の成立』を、古い江戸時代史の一例として批判の対象としておられるのには、違和感がある。
 『日本における近代国家の成立』は1940年の作品である。
 当時、地方文書の刊本などほとんどなく(史料自体は多く残っていただろうが)、近世史料をていねいに分析した研究もほとんどなかった。
 東京大学では、民衆の歴史を研究すること自体が禁止されていた。

 本書が書かれたのは、その60年後である。
 戦後近世史研究の2002年段階での到達点を踏まえて、研究史批判をしていただきたかったと思う。

(ISBN4-480-05928-8 C0221 \720E 2002,1 ちくま新書 2021,9,30 読了)

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