憲法に定める天皇の仕事を、明仁天皇が自分の解釈によって変質させようとしたのが「平成」という時期だったと述べている。
社会と政治の最近の記事
コミュニストによる新ケインズ学的な具体的処方箋。
「日本」とは、世界を支配する多国籍資本が民衆を馴化しつつ、富を吸い上げるシステムが稼働する現場であると述べ、なかでも「北朝鮮のミサイル」とは、多国籍資本によるヤラセであると主張している。
2020年2月から夏ごろにかけて感染症の専門家と政府が、covid-19のパンデミックに対しどのように取り組んできたのかを時系列で綴っている。
ソビエト連邦をモデルにした寓話小説。
ここ数年の財政と金融政策の本質をえぐり出そうとする対談。
グローバル経済の正体を、切れ味よい言葉でわかりやすく明らかにしている。
近い将来に予想される人口急減社会のシミュレーション。
「日本」の国家のあり方を決めているのは「日本」政府ではなく、日米合同委員会であるということの法的根拠について、解説した書。
「森友事件」の取材記録。
2020年5月現在、事件はまだ解決していないと思われるが、2018年12月刊行なので、事件に関する記述はそこまでである。
公安警察の沿革と実態を明らかにした本。
官僚の実態を告発した対談。
内閣調査室(現・内閣情報調査室)の発足当初からその中枢で動いてきた人による回顧録と資料。
社会・経済・政治のグローバル化とは何が起きることなのかを、具体的に、しかしアフォリズム風に語った書。
1947年に書かれた著名な近未来小説。
2012年に自由民主党が発表した憲法改正案の読み方についての、憲法学者の対談。
『保守の知恵』に先行する、二人のずっしりした対談。
第一次安倍政権の評価がメインである。
保守=自民党が「反動」で、革新=「進歩」という発想は、あまりに粗雑で現実を分析する切り口には、とうてい成り得ない。
「日本」を代表する企業であるトヨタがどのような会社かを告発した本。
「日本」の公安警察の実態と歴史を概観した書。
政治家の劣化がるる指摘されるが、劣化の度合いがより深刻なのは、マスコミである。
『朝日新聞』バッシングとは何なのかについて、『朝日』関係者へのインタビューをもとに考察している。
> 西暦2000年以降の、主として人権に関する著者の評論集。
1990年代以降、改憲をめざす権力側の動きが本格化している現実に警鐘を鳴らす書。
例によって雑文集なので、石原慎太郎に関する評論集といった書物ではないが、石原に関する雑文も、いくつか収録されている。
「・・・の人生」というほど綿密に石原慎太郎を検証した本ではないのはわかるが、今少し詳しく書いてないと、書名に偽りなしといえなくもない。
西暦2000年前後に書かれたと思われる雑文集。
テーマがない本なので、タイトルと内容にはほとんど関係がない。
著者のこのシリーズはこういうものと了解して読んでいるので違和感はないが、不親切な本ではある。
田原総一朗氏が進行役となり、佐藤優氏と宮台真司氏が語る鼎談記録。
鼎談といっても、佐藤氏と宮台氏が直接議論をかわす場面はほとんどなく、鼎談の体をなしてはいない。
1946年4月に映画監督の伊丹万作が書いた、「戦争責任者の問題」という、この上なく鋭い考察を紹介するとともに、その後60年近くを経た「日本」人がどれだけ変わっただろうかということをテーマとする対談録。
全共闘世代(いわゆる団塊の世代と重なる)が、この半世紀の間にどのような思想的体験を経てきたかを分析した本。
骨太な二人の論客による対談。
1987年10月に行われた国民体育大会ソフトボール競技の開会式会場に掲げられた「日の丸」を著者が引き下ろして焼き捨てた事件とその後の裁判は、この時期を画するエポックだったのだと感じる。
社会主義体制の崩壊という現実に際して、社会主義とは何か、民族とは何かという問題を考えようとする、架空の対談。
「日本」がどのような国家になっていくのかを決定づけるような重要なエポックが、戦後史の中にいくつかあった。
場面場面において、抵抗者の声は圧殺され、国家の論理が貫徹したかに見える。
1960年代、通産省のキャリア官僚たちがどのように仕事をしていたかを描いた小説。
登場人物の多くにはモデルがおり、登場する政治家については、それが誰かは素人でも推察できる。
1990年代以降隠微な形で進行し、小泉純一郎首相の登場とともに劇的に展開した市場原理主義的経済政策を痛烈に批判した書。
メディアが流す情報は、ほぼすべてがマインドコントロールに等しい作為に満ちている。
AとBという情報をふまえて総合的に判断しなければならない場合に、どちらかの情報をメディアが意図的に流さなければ、情報の受け手はより正確な判断ができなくなる。
フィリピン海プレートと太平洋プレートの沈み込みによって持ち上がったのが、日本列島である。
急峻な地形は、活発な地殻変動と、暖流・季節風がもたらす大量の降雨によって、形成されている。
1998年から2001年にかけての、文字通り世紀末状態となった日本の政治・社会に関する罵詈雑言評論。
この時期の主たるトピックとしては、ガイドライン策定、JCOの臨界事故、通信傍受法、職業安定法改悪、日の丸・君が代法などだった。
コイズミという時代に、この国は弱肉強食の地獄と化した。
ここでいう「受信料」とはおそらくテレビ番組の受信料のことだろう。
NHKラジオは毎日聴いているが、受信料が必要だという話は聞いたことがない。
テレビ受信料なら、未だかつて一度も払ったことがない。
プレカリアート(不安定雇用のもとで苦しむ主として若い人々)を代弁して新自由主義的エートスにきびしい反撃的発言をしている著者の自伝。
人が自由に生きていく上で、社会や国家とかかわらなければならない。
社会や国家とのかかわり方についての、著者の最近の語りを集めた本。
キングメーカーとして自民党に君臨していた田中角栄氏が病気に倒れた以降、新潟県政界がどのような力関係にもとづき、どのような方向に向かっているかを分析した書。
大杉栄・伊藤野枝の四女ルイズ氏の評伝。
20世紀初頭における無政府主義の両巨頭は、ルイズ氏の生後間もなく日本軍隊によってなんら故なく虐殺された。
『橋のない川』は空前絶後の人間讃歌である。
その著者が娘に語った回想録。
(障害者に対し)「あの人たちに人格があるのかね」
(同じく)「自分自身のアイデンティティを持たない人の命も尊重する日本人独特の感性」
「女性が生殖能力を失っても生きてるってのは無駄で罪です」
モノを語る人々の群像を、精神科の医師が分析しています。
ここで言う「モノ」とは、ブランド品であったり、グルメであったり、ペットであったり、恋人であったりしますが、総じて彼らは、そのモノを身にまとうことによって自分の価値が大きくなると考えています。
宗教学者とお笑い芸人による対談。
話題は縦横に飛び回っていますが、憲法第9条は世界遺産に匹敵する価値を持つと主張しています。
原発という技術・産業に内包される構造的な問題点を指摘した書。
原発技術・産業と他の技術・産業との相違は、裾野が存在しないという点のようです。
それはおそらく他の国にとっても同様なのでしょう。
国策として、上からの技術開発が進められることによって、技術と産業にどのような歪みを生じたか。
いい本ですが、タイトルが長すぎ。
財界人の戦争体験記かと思いきや、そういう記述もありますが、メインは日本経済のあるべき姿についての問題提起です。
天皇家の世襲制度をどうするかをめぐって一時期騒がれましたが、秋篠宮の夫人が妊娠したという発表があったとたんに、議論が消滅してしまいました。
サブタイトルに「精神の瓦礫」とあります。
この10数年間に進行した日本人の精神的崩壊を描いたルポ。
ファシズムは、個人の存在を許さない社会状況ですが、そうした状況は権力やデマゴーグによって作られるのではなく、市民によって形成されます。
現代日本の社会意識について、心理学から分析した本。
わかりやすくて、たいへん興味深い。
たぶん1980年代半ばごろから日本の空気は少しずつ変わっていきました。
『私の戦後六十年』同様、日本共産党幹部による回想と国会議員論。
前著『豊かさとは何か』(岩波新書)の続編。 1990年代後半以降進行しつつあるリストラ・過重労働などのグローバル化という、現代日本の非人間的状況を克服する方向を模索した本です。
ついに自衛隊がイラクに派兵されてしまいました。
憲法第9条の空洞化や人権軽視など、さまざまな危惧がある中、政府はきちんとした説明責任を果たさないまま、国民を戦争へといざなおうとしています。
1960年代後半は、当時の若い世代にとって、本質的な問い返しの時代であったと思われます。
わたしが、多少なりとも意識を持って生き始めた1970年代はじめころは、60年代のかすかな残り香に接することができたように思います。
自然とともにあった人間の暮らしが破壊されるのは、文明にとって末期的なできごとなのですが、われわれは、そんな事例をいやというほど見てきました。
佐高氏の魯迅論。
というより、魯迅を語りつつ、氏の批評の魂を語った本。
題名の通り、ジャーナリストによる、警世の書。
『週刊女性』に連載されたコラムを中心としてまとめられたエッセイ集です。
メディアは、アメリカの開戦ムードをあおり立てています。
アメリカ人が、復讐に燃える気持ちは、わからないではないけれど、復讐の相手も、どうすれば復讐が成立するのかも、復讐が妥当であるかどうかも、ちっとも明確ではないのです。
こういう本を読むと、近代経済社会とはなんだったのかと、考え込んでしまいます。
10年前に出た本ですが、ようやく目を通すことができました。
取材するというのは、こういうことなのだと、よくわかりました。
世はオリンピックの話題で持ちきりだ。
自宅でも、職場でも、オリンピックの話題を聞かされるのには、いささか閉口してしまう。
この本は、著者によれば小学生にもわかるように書いたとのことですが、十分むずかしかったです。(^_^;)