明治時代末の社会主義者群像を描いた書。
近現代史の最近の記事
第二次世界大戦後半における、ユーゴ解放・コミンテルン解散・対日戦争・ソ連によるブルガリア支配などについて、叙述している。
好著。
独ソ戦・ポーランド・ユーゴスラビア解放戦に関する、優れた歴史叙述。
著者が単独で調べて書いたとは、とても思えない。数人のスタッフの協力がなければこんな本を書くことはできない。
独ソ不可侵条約(1939.8)から日ソ中立条約(1941.4)に至るファシズムとスターリニズムの暗闘を描く好著。
ファシズムが権力を握り、巨大な軍事ブロックを形成した1930年代末の世界において、スターリンとソ連がどのような役割を果たしたかについて、ていねいに分析している。前巻に引き続き、好著。
「ディミトロフ日記」を芯にして、1935年から1938年にかけてソ連とコミンテルンでおきたことをあとづけた好著。
「ユーロコミュニズム」時代における、イギリスの歴史学者とイタリア共産党指導者との対話。
日本近代史がどのようにして学問として成立したのかを語った回想記。
19世紀なかばから第一次大戦までの列強と被抑圧民族の関係史。再読。
ワイマール共和国の成立から崩壊までをていねいにたどっている。名著。
「民衆」というより「常民」と言えるような人々から「日本」がどのように見えるかについて、記している。
維新期から自由民権期にかけての民衆運動に関する論文集。
『民衆運動史』全5巻のうちの第4巻である。
日本近現代史(という言い方のほうが座りがよいので)の研究史を総覧した書。
歴史の教員には史学史を踏まえた歴史教育を行ってほしいと書かれている。
近現代史全般の研究史だから、参照されている著作は膨大で、また一つ一つのテーマに関する論及は多くないが、全体を俯瞰することができる重厚な本である。
歴史的な記憶の文化はどのようにすれば実現されるか。
ドイツで行われている広義の歴史教育を紹介している。
「通俗道徳」の呪縛により、列島民にとって明治がより酷薄な時代になったと述べている。
江川紹子さんの質問に対し、十五年戦争の戦争責任についての考え方を整理し、本質的で現実的な解決の方向性について、著者が語っている。
全共闘運動を指導した著者が1960年代を振り返っている。
この運動のコアに存在した思想がどのようなものかが語られていて、興味深い。
金子文子にゆかりのある土地や人々を探訪しつつ、文子という人物に迫ろうとしたノンフィクション。
金子文子が朴烈と出会うまでの半生を綴った自伝。
エピソードで綴る福沢諭吉という感じの本。
1930年代半ばにソ連で起きた共産党と赤軍における逆クーデターの内幕を描いている。
スターリン自身が陰謀の塊なので、本書は最初から最後まで、ソ連とナチスドイツによる陰謀ばかりが書かれていて、どこからどこまでが信用に足る記述なのか、よくわからない。
1922年から1924年にかけてのソ連共産党(ボリシェヴィキ)内部の路線・権力闘争を、グラスノスチにより明らかになった史料に基づいて描いている。
足尾鉱毒事件で、中心的な役割を果たした左部彦次郎の歴史的評価を見直す書。
シベリア抑留体験及び帰国後の体験を取材した本。帰国前後から執筆時までの経過を記している。
「満州国」執政・愛新覚羅溥儀の通訳を務めた林出賢次郎氏が残した溥儀と関東軍要人らとの会見記録をもとに、「満州国」の実態に迫っている。
大久保利通の評伝。
旧吉田町の新井健二郎さんの自伝。
大正生まれの氏がこの一世紀をどのように生きてこられたかを、控えめに語っておられる。
神仏分離をその前段階からていねいに解説した書。
大津事件の顛末についての小説。ほぼノンフィクションに近い。
維新後の西郷隆盛を、大久保利通・川路利良・桐野利秋と絡ませながら描いた小説。
日露戦争を描いた著名な小説。
政権がいう明治礼賛は富国強兵、すなわち侵略と専制の礼賛である。
幕末から明治初年にかけての、主として蚕種業の制度を、渋沢栄一の事績を中心に概観している。
竹橋事件の参加者掘り起こしを中心として、同事件についてまとめた論集を再読。
二・二六事件のリーダーだった磯部元陸軍一等主計の手記・書簡集。
処刑された磯部が言いたかったことが、この中でほぼ、言い尽くされている。
二・二六事件の判決と北一輝・真崎甚三郎の裁判について描いている。シリーズの最終巻。
二・二六事件の軍法会議について検証している。
2月27日の戒厳令施行から29日の叛乱軍崩壊までを描いている。
若いときに読んだのだが、読み直そうと思ったら、本の所在がわからなくなっていたので、買い直して再読。
二・二六事件勃発当日朝の動きについて、時系列で描きつつ、著者独自の史眼による分析を加えている。
二・二六事件決行前夜の将校・下士官グループの動きを、歩兵第3連隊の安藤輝三大尉の動きを中心に描いている。
相沢事件後の公判と北一輝・西田税の思想について描いている。
相沢事件とその前後における陸軍内部の論調について描いている。
主として大正から昭和戦前期にかけての学問の自由に関わる諸事件を略述した本。
満州事変前後の時代を、主として外交面からあとづけている。
リットンの残した史料等が駆使されており、「日本」がどのようにして国際連盟から脱退したかを、鮮やかに描いた本である。
日清戦争・日露戦争の諸問題に関する、戦史家の座談会。
中江兆民・幸徳秋水・吉野作造の素描。
「京都大学の墓碑銘」「天皇機関説事件」「陸軍士官学校事件」をとりあげている。
「シリーズ日本近現代史」の第5巻。
タイトルの時期の国際関係と国内政治について、新たな論点を提起した本。
「スパイ"M"の謀略」「小林多喜二の死」をとりあげている。
「満州某重大事件」「佐分利公使の怪死」「潤一郎と春夫」をとりあげている。
この巻のハイライトは「満州某重大事件」すなわち張作霖爆殺事件である。
昭和初年における、『東洋経済新報』での石橋湛山の主張を紹介している。
「天理研究会事件」「『桜会』の野望」「五・一五事件」をとりあげている。
いわゆるノモンハン事件の経過を独ソ不可侵条約と絡ませながら描いた書。
日露戦争の全過程を叙述した大著。文庫版だが1300ページほどになる。
ハードカバー本を読んだのは高校生の時だったから、40数年ぶりに読み返していることになる。
日本海海戦の勝利をめぐる戦史家の対談。
戦闘の経過を客観的にあとづけている。
「芥川龍之介の死」「北原二等卒の直訴」「三・一五共産党検挙」をとりあげている。
もと外務官僚が、尖閣問題をめぐるパワーポリティクスを描いた本。
実在の人物が実名で出てくる一方、創作上の人物も登場する。
日本近代史の概説書だが、他の史書とは全く異なった叙述になっている。
歴史の叙述とはどのようなものなのかを、鮮やかに示した書。
「ジャーナリスト」とは、権力を監視し、民衆のための情報を提供する仕事、と思っていたが、ウィキペディアを見ると、単に情報を提供する仕事と書いてある。
関東大震災に関するノンフィクション。
さほどコンパクトな本ではないが、震災に関するさまざまな問題を史料に基づいて網羅しており、関東大震災が列島に何をもたらしたのかが、全て記されている。
奇兵隊を始めとする長州のいわゆる諸隊の歴史的位置を考察した書。
敗戦当時12歳だった著者による回想。
中川村開拓団の悲劇の事実を直視しようとする著者の姿勢は、一貫している。
1995年の「戦後50年」を機に当時の村山富市内閣が出した「談話」の背景などについて、当事者が語った本。
電力事業を国家が管理するか、民間事業者が行うのかをめぐる制度と議論の流れをまとめた書。
西郷隆盛の歴史的位置を検証した本。
会津藩士の子息だった柴五郎(1859-1945)の手記。
城山三郎氏がどのような体験を背景に何を描いたかを語った書。
著者による、城山氏への思い入れが伝わってくる。
「新訳」シリーズの一巻。
わかりやすい訳を心がけたと訳者が言うように、わかりやすい。
『ぼくの戦後 回想の秩父』の続編。
津島家とは、津軽・金木の大地主で、太宰治や何人もの代議士を生んだ津島家である。
歴代当主の周辺が丹念に取材されており、このドラマチックな一族が、よく理解できる。
太宰の作品を理解する上で、参考になるのはもちろんである。
長野県山形村で、1930年から本書執筆まで連綿と書き続けられてきた日記から、なにを読みとることができるかを、簡略にまとめた書。
日記の筆者は、村会議員もつとめた村の名望家で、勤勉に働きつつ大きく営農されてきた人物である。
秩父で幼少期を送った著者による、敗戦から戦後すぐにかけての秩父市内がいきいきと描かれている。
著者は秩父で生まれ、大学から京都に移られたようだが、自分と正反対の動きをされているのが、不思議だった。
サブタイトルに「辺界の人と土地」とある。
一読すれば、「辺境」でなく「辺界」と表現した意味がよくわかる。
田中正造の言葉が今、どういう意味を持っているかを考える本。
特攻作戦の最初と最後を担った二人の同期生パイロットへの鎮魂歌的作品。
近現代の日本で、「健康」がどのように位置づけられてきたかを検証した本。
著者は、近代史を教えていただいた先生の一人なので、一年間の講義を受けているような感覚で読んでしまう。
北海道旧土人保護法成立に至る政策的流れを整理した本。
官僚や政治家の中には、アイヌからの土地の収奪を憂慮し、アイヌの日本人化をソフトランディングさせようとした人々が存在した人がわかる。
幕末から近現代にかけて、侠客と呼ばれた人々の実像やその周辺に関する蘊蓄の詰まった書。
『アウトローの近代史』と比較すると、内容の重厚さを強く感じる。
廃藩置県によって幕藩体制に終止符を打った直後の1871年、岩倉具視以下の明治政府の指導者たちは欧米視察に出かけた。
帰国はバラバラだが、基本的には1873年である。
西郷隆盛の周辺から見た明治維新。
研究書ではなく、歴史ノンフィクションである。
テレビ受像機を所有しておらず、映像マスコミに関心がないので、『坂の上の雲』がどうして話題になっているのか、本を読むまで理解できていなかったのだが、この作品がNHKにより力を入れて映像化されているのが、ブームの原因だとわかった。
中国の歴史にとって毛沢東が、混乱・混迷をもたらした疫病神だったことは疑いない。
この党の独裁者が毛沢東だった故に、中国共産党が権力を握ったことが中国民衆にとって幸福だったかどうかも、保留せざるを得ない。
花岡事件当時の中国人側のリーダーだった耿諄からの聞き書き。
『花岡事件』とちがって、こちらは事件から50年近くたってからの回想だが、かなり細部までよく覚えておられる。
日本共産党のかつての指導者で、コミンテルンの幹部でもあった野坂参三の正体を追求した書。
1945年に白神山麓・花岡鉱山で起きた、中国人捕虜の蜂起が花岡事件である。
本書は、蜂起の当事者でもあった著者の口述をまとめたもので、1951年に刊行された初版の新装版である。
「太平洋戦争」末期の1944年、グァム攻防戦のさなかにアメリカ軍に投降した兵士(階級は兵長)の戦記。
戦争の現実は、類書をいくら読んでも、鬱になる。
カール=マルクスの思想が今なお有効であると主張している書。
ここに記されている高度経済成長以前の日本列島の生活は、基本的に江戸時代後半以来の生活を継承していたと思われる。
本書は子ども向けに書かれているようだが、列島における行事や暮らし方の由来や意味について、わかりやすく解説している。
宮本常一の自伝である『民俗学の旅』もたいへん迫力のある本だったが、宮本と渋沢敬三の評伝である本書もまた、自伝を理解する上での必読書である。
『鋸』の著者の自伝。
アメリカが版図の肥大化を進めていく過程で、殺戮・追放されたのはアメリカ先住民だった。
一方、産業化の過程で労働力の役割を果たしたのは、奴隷として強制連行されたアフリカ人だった。
イギリス系アメリカ人がネイティブ系アメリカ人をどのようにして殲滅して「アメリカ合衆国」を作ってきたかを略述した書。
著者は、公権力の法的支配の範囲外に位置する組織(勢力)をアウトローと呼ぶ。
そうした存在が歴史的系譜を持つものとは思えないが、著者は、汎歴史的に存在したアウトローが歴史的に一定の役割を果たしてきたと評価し、近代史上におけるアウトローをあとづけている。
『私は貝になりたい』の著者である加藤哲太郎が所長を務めていた新潟俘虜収容所で俘虜として体験したことを証言した書。
BC級戦犯裁判は、裁判自体の正当性の面でも杜撰さの点からも、歴史的に未解決の問題として残されている。
国家がテロルの装置であることは、とっくの昔にレーニンが暴いて見せたとおりだ。
レーニンや、この本の主人公である大杉栄が生きていた20世紀には、警察と軍隊が主要な暴力装置だった。
20世紀後半になっても、基本的にその構図は変わらなかったと思われる。
サブタイトルに『葛西善蔵の生涯』とあるが、善蔵の生涯を丹念に掘り起こすというスタイルではなく、作品に即して葛西善蔵の生き方と時代を描いた評伝である。
1983年に刊行された同名の書の文庫版。
明治から昭和戦前期にかけて活躍した、在米の日本法制史・制度史家だった朝河貫一の史伝である。
1938年に創刊されて以来、読書家に対し、岩波新書がどのようなメッセージを発信し続けてきたかを分析した本。
エディプスコンプレックスを蓄積しないことによって過去と現在の自分を容易に切り離すことができるという指摘には、いかにもなるほどと納得させられます。
国民学校時代の教科書の特徴を分析した本。
サブタイトルに「国民学校の教科書をよむ」とあります。
明治初年に、イタリアへ蚕種の直接輸出をおこなった群馬県佐位郡島村の人々にまつわる解説書。
本書の内容としては、多方面にわたりますが、わたししの関心の中心が蚕種輸出の動機や実態にありますので、その点のみノートします。
近代初めに、アジアとヨーロッパがどのような関係だったのかが、わかりやすく書かれています。
イギリスによるインド搾取の経済構造がいかなるものだったのかが、史実に即して書かれています。
サブタイトルに、「福沢諭吉と民衆と差別」とある、講演集。
著者の福沢論に接したのは、ずいぶん以前(1970年代後半)に、「朝日評伝選」に入っていた『福沢諭吉』を読んで以来です。
太宰治の生家である津島家の近代とは、どのようなものだったのかを明らかにした本。
近代日本の思想的なエポックを、9つの問題群に分けて、概説してあります。
1項目3〜4ページほどにまとめられていますが、各項目が、研究書1冊分にも匹敵する内容に凝縮されていますので、本から受け取る知的緊張と刺激は、たいへん重いものがありました。
われわれの国は、こんなことをしていていいものだろうか、と、しばしば思います。
学校行事に「日の丸」「君が代」があるかどうかなど、大きな問題ではないではありませんか。