2006年4月アーカイブ

 この本を読んで、1992年に巻機山に行ったときの記録を読み返してみました。

天野礼子『萬サと長良川』

 長良川上流をテリトリーとしていた職漁師、古田萬吉の伝記。
 小説風に構成してあります。

樋口四郎『秩父谷の怒り』

 秩父事件の概略を描いた小説。
 コンパクトな本に秩父事件の全体像を描き込もうとしているので、小説としてはずいぶんラフな印象があります。

菊池勇夫『飢饉』

 多くの日本人にとって、人が餓死するという事態など想定できないようです。
 日本は食糧自給率が30パーセントなのですから、場合によっては国民の三割しか生き残れない情況が訪れる可能性があるのに、為政者は現状を何とかしようというとは思っていないようです。

山本素石『渓流讃歌』

 渓流釣りに来る中にも、いろんな釣り人がいます。
 人の性格が十人十色である以上、それは当然のことです。

 2002年に行われたシンポジウムの記録。
 タイトルからは、現在の遊漁に関わる諸問題の本質と対策について、きびしい議論が行われたかのような印象がありますが、一読した限りでは、まことに低調なシンポジウムであったといわざるを得ません。

 天皇家の世襲制度をどうするかをめぐって一時期騒がれましたが、秋篠宮の夫人が妊娠したという発表があったとたんに、議論が消滅してしまいました。

加藤久晴『新・傷だらけの百名山』

 山を歩けば、腹立たしいことやあきれてしまうことを、いやでも見聞します。
 正編・続編に続く嘆き節山行記。

 J.クラカワーの『空へ』に対する、反論の書。
 エベレスト商業登山という情況の下で、高所登山ガイドが困難に際しどのように行動すべきかという、ひどく難しい問題が扱われています。

 学校山岳部や商業ツアー登山など、近年の引率型登山のもつ深刻な問題点についてきびしく警鐘を鳴らす書。

斎藤貴男『バブルの復讐』

 サブタイトルに「精神の瓦礫」とあります。
 この10数年間に進行した日本人の精神的崩壊を描いたルポ。

香山リカ『若者の法則』

 高校生を含めた若者が日常生活の中で直面している身近なトピックスの持つ意味について心理学の立場から解説した本。

上田紀行『生きる意味』

 生きる意味について考えるヒントを示唆した本。
 世界有数の自殺大国である日本がどのように国なのかについても、興味ある分析がなされています。

斎藤貴男『安心のファシズム』

 ファシズムは、個人の存在を許さない社会状況ですが、そうした状況は権力やデマゴーグによって作られるのではなく、市民によって形成されます。

林博史『BC級戦犯裁判』

 エディプスコンプレックスを蓄積しないことによって過去と現在の自分を容易に切り離すことができるという指摘には、いかにもなるほどと納得させられます。

藤木久志『刀狩り』

 1588年に豊臣秀吉が出した、いわゆる刀狩令の実態をあとづけた本。

 現代日本の社会意識について、心理学から分析した本。
 わかりやすくて、たいへん興味深い。

吉岡忍『奇跡を起こした村のはなし』

 新潟県黒川村の戦後村政史。
 村政史といってもここは48年にわたって伊藤孝二郎氏が村長を務められてきたので、氏による村づくりのアウトラインをスケッチした本といっていいと思います。

 先日、滋賀県内をドライブしていたら、地名がずいぶんおかしいので、道に迷ったかと思いました。

勤労者山岳連盟編『垂直の星』

 登山家吉尾弘氏の遺稿集。

香山リカ『いまどきの「常識」』

 たぶん1980年代半ばごろから日本の空気は少しずつ変わっていきました。

佐久間忠夫『人らしく生きよう』

 たぶん以前に、六本木敏『人として生きる―国鉄労働組合中央執行委員長339日の闘い』(教育史料出版会)を読んだことがあります。

上田耕一郎『国会議員』

 『私の戦後六十年』同様、日本共産党幹部による回想と国会議員論。

本田靖春『警察回り』

 上野警察署裏にあったというトリスバーのママ<バアさん>の回想録と重ね合わせながら、1950〜1960年代にかけて読売新聞社会部記者だった著者がどのような仕事をしていたのかを回想した本。

不破哲三『私の戦後六十年』

 日本共産党幹部である著者が、回想を交えながら、戦前・戦後の日本の政治を批評した本。
 ときおり鼻につく紋切り型の語り口には違和感を禁じ得ませんが、

古厩忠夫『裏日本』

 日本とはどういう社会なのかを考える切り口はあまたありますが、最も本質的なポイントはそう多くないと思われます。

田中淳夫『里山再生』

 前著と比べて極論と思える記述が目立ちますが、説得力のある指摘も多い。

 輸入外材のために壊滅に瀕した日本の森林と林業再生の方策について、森林の特性を踏まえた上で各種の提言を行っています。

 国民学校時代の教科書の特徴を分析した本。
 サブタイトルに「国民学校の教科書をよむ」とあります。

小川真『きのこの自然誌』

 きのこの生態について、縦横に語ったエッセイ。

 食のグローバル化を俯瞰した本。

 農産物や加工食品は、前世紀前半には、文字通り農業の産物だったのに対し、後半からは工業製品に近くなっていきました。

 580ページに及ぶ大著。
 フリーライター本田氏の自伝です。

窪島誠一郎『「無言館」ものがたり』

 長野県上田市の独鈷山に登ったあと、山麓にある無言館を訪ねました。
 無言館とは、戦没画学生の遺作を展示した美術館です。

 かつてバスを釣っていた釣り人の立場からするアンチバスフィッシングの書。

丑木幸男外編『蚕の村の洋行日記』

 明治初年に、イタリアへ蚕種の直接輸出をおこなった群馬県佐位郡島村の人々にまつわる解説書。
 本書の内容としては、多方面にわたりますが、わたししの関心の中心が蚕種輸出の動機や実態にありますので、その点のみノートします。

江井秀雄『自由民権に輝いた青春』

 五日市憲法草案の起草者、千葉卓三郎の評伝。
 昨年共著で出した『秩父事件−圧制ヲ変ジテ自由ノ世界ヲ』と同様、ですます体で書かれています。

蔵治光一郎外編『緑のダム』

 緑のダムとは、森林土壌が持っている貯水機能に着目して、森林がコンクリートダムのように治水と利水の両方の機能を果たしうるのではないかという考え方です。

森誠一『トゲウオのいる川』

 この本が扱っているのはトゲウオの仲間です。
 トゲウオの仲間は、ヴルム氷期後の温暖化によって陸封されたという点で、イワナとたいへんよく似た来歴を持っています。

戸田直弘『わたし琵琶湖の漁師です』

 琵琶湖の漁師である著者が、琵琶湖の魚と漁について語った本。 日本最大の淡水湖である琵琶湖は40万年の歴史を持っているそうです。

 生き物としてのヒトが、いかなる進化をたどったかをわかりやすくあとづけた本。

上野敏彦『淡水魚にかける夢』

 淡水魚保護協会元理事長、木村英造氏の伝記。
 木村氏は、『愛をもて渓魚を語れ』(平凡社ライブラリ)の著者紀村落釣氏と同一人物です。

村井吉敬『エビと日本人』

 1988年刊行と古い本ですが、鶴見良行『バナナと日本人』(岩波新書)とともに、食のグローバル化に関するリポートの先駆的な作品。

 食べ物におけるグローバル化の実態と問題点を調べた本。
 取り上げられている食べ物は、ハンバーガー、牛丼、輸入野菜、ウナギ、そしてワカメです。

 わたしも100円ショップ愛用者ですが、100円ショップは、グローバル経済の象徴だといえます。

高遠菜穂子『戦争と平和』

 イラク拘束事件の当事者だった3人のうちの1人、高遠菜穂子さんの体験記と彼女のイラクでの活動の記録。

酒井啓子『イラク 戦争と占領』

 イラク戦争開始前後から2003年秋にかけてのイラクの政治・社会状況を分析した本。
 フセインやブッシュのおこなったことの告発を目的とした本ではありません。

阿部謹也『日本人の歴史意識』

 近代とは、中世(近世)より発展した社会であるという暗黙の了解があります。
 その了解が、社会を科学として研究する学問体系の前提となっているといってもいいでしょう。

今井紀明『自己責任』

 日本が当事者として参加したアメリカ−イラク戦争の中で、イラク側によって拘束されたのち解放され、帰還した青年の手記。

永原慶二『富士山宝永大爆発』

 1704年初冬に起きた富士山の噴火による被害を、幕府や小田原藩がどのように救済・復旧しようとしてきたかをあとづけた本。

黒田日出男『龍の棲む日本』

 「行基図」と称される日本図を手がかりに、中世の日本人が日本の国土をどのように表象していたかを解明した本。

中島幸三『井上伝蔵とその時代』

 前著の『井上伝蔵 秩父事件と俳句』同様、読みごたえのある本です。

岡村稔久『富士山のマツタケ』

 富士山におけるマツタケ狩りのガイドブック。

高野潤『インカを歩く』

 簡単な解説を付したインカ帝国の史跡の写真集。

 インカ帝国の最後については、ティトゥ=クシ=ユパンギ『インカの反乱』(岩波文庫)に概略が描かれています。

大館一夫『都会のキノコ』

 サブタイトルは「身近な公園キノコウォッチングのすすめ」とありますが、内容的には、キノコとはどういう生物であるのかについての概説といってもよいでしょう。

永原慶二『新・木綿以前のこと』

 木綿が商品作物として栽培されるようになったことが、経済史的にどういう意味を持っているかをわかりやすく説いています。

吉岡昭彦『インドとイギリス』

 近代初めに、アジアとヨーロッパがどのような関係だったのかが、わかりやすく書かれています。
 イギリスによるインド搾取の経済構造がいかなるものだったのかが、史実に即して書かれています。

根田仁『きのこ博物館』

 きのこに関する博物学的な話題にあふれた本。

工藤雅樹『蝦夷の古代史』

 文献史学・考古学・地名学などを駆使して、古代から中世初めに至る蝦夷の歴史を略述した本。

暉峻淑子『豊かさの条件』

 前著『豊かさとは何か』(岩波新書)の続編。 1990年代後半以降進行しつつあるリストラ・過重労働などのグローバル化という、現代日本の非人間的状況を克服する方向を模索した本です。

 社会主義に対する資本主義の圧倒的勝利のうちに冷戦が終結して、10数年が経過しつつあります。
 社会主義が資本主義よりもよい経済体制であったかどうかについては、

西丸震哉『食物崩壊』

 『こんなものを食べていたのか』(青春出版社)とほぼ同内容の本です。
 すなわち、「食」に関する現代日本人の考え方がいかにまちがっており、このままいくと人類に先がけて没落・滅亡するであろうという話が書かれています。

根深誠『シェルパ』

 第二次世界大戦前以来、ヒマラヤ登山を支えてきたシェルパとは、どのような人々なのかを描いたルポ。

田中宇『アメリカ以後』

 国際情勢解説者の著者が、21世紀の世界の動向をどう見通しているかが書かれています。

西丸震哉『さらば文明人』

 類書に本多勝一氏の『ニューギニア高地人』があります。
 こちらは、『41歳寿命説』以来、生態学の見地から日本人への警告を発し続けておられる著者が、主として食の分野における調査をおこなった際の紀行文です。

島本慈子『ルポ解雇』

 昨年6月、解雇に関するルールを含め、労働基準法が改正されたそうです。
 イラクや北朝鮮の情勢や、それに対する日本政府の対応などに目がいっていましたが、国会では密かに、日本人の生き方に関わる大きな制度改革を始めていたようです。

佐瀬稔『喪われた岩壁』

 小西政継氏よりひと世代前、大正〜昭和一桁生まれの世代の先鋭的登山とはどのようなものだったのかを描いた本。

J.クラカワー『空へ』

 前回の読書ノートで1990年代に高所登山は変貌したらしいと書きましたが、その実態をみごとに語っている山岳ドキュメント。

長尾三郎『激しすぎる夢』

 サブタイトルとして「『鉄の男』と呼ばれた登山家・小西政継の生涯」とあるように、著名な登山家・小西氏の伝記です。

田中宇『イラク』

 国際関係ニュースの解説者による戦争直前のイラク見聞記。
 イラクとはどのような国で、イラク人はどのように暮らしているのかがたいへんよくわかります。

天木直人『さらば外務省!』

 ついに自衛隊がイラクに派兵されてしまいました。
 憲法第9条の空洞化や人権軽視など、さまざまな危惧がある中、政府はきちんとした説明責任を果たさないまま、国民を戦争へといざなおうとしています。

松下竜一『狼煙を見よ』

 1960年代後半は、当時の若い世代にとって、本質的な問い返しの時代であったと思われます。
 わたしが、多少なりとも意識を持って生き始めた1970年代はじめころは、60年代のかすかな残り香に接することができたように思います。

戸井昌造『戦争案内』

 日本の社会のなかで、戦争に対する感覚が次第に麻痺していくのを感じます。
 『読売新聞』の社説をだいたい毎日読んでいるのですが、あそこに書かれているような意識を日本人があまり違和感なく受け入れているとすれば、

松下竜一『豆腐屋の四季』

 わたしは、1960年代はちょうど少年期を過ごしました。
 私にとっての世界は、せいぜい半径数百メートルの範囲内でしたが、今から思えばずいぶん輪郭のはっきりした世界だったと思います。

 現代文明が、人間をどういうところに連れていこうとしているのかを示した本。
 事実と論理に基づいて現代文明を論じているので、とても説得力があります。

松下竜一『風成の女たち』

 自然とともにあった人間の暮らしが破壊されるのは、文明にとって末期的なできごとなのですが、われわれは、そんな事例をいやというほど見てきました。

佐高信『魯迅に学ぶ批判と抵抗』

 佐高氏の魯迅論。
 というより、魯迅を語りつつ、氏の批評の魂を語った本。

石川達三『日蔭の村』

 小河内ダム(多摩川水系)建設をめぐる村内の動きを描いた小説。

 発達障害を持つ32歳の青年が、脳外科の手術によって急激な知的発達をとげたのち、手術に内包されていた致命的な欠陥により、急激な知的退行を体験するという小説。

久慈力『蝦夷・アテルイの戦い』

 エミシ文化のルーツや実体、ヤマト政権との抗争史の意味等についての、歴史ノンフィクション?。

 2002年末以降、世界を軍事的緊張に落としいれているブッシュのイラク戦争の正当性に、根本から疑問を突きつけているインタビュー。

松居竜五『南方熊楠 一切智の夢』

 南方熊楠の学問の持つ意味について論じた本。
 わたしの関心は、いかなる学問的背景が、南方熊楠を神社合祀反対運動に駆り立てたのかという点にあるのですが、

大牧冨士夫『徳山ダム離村記』

 徳山ダムをめぐる虚々実々の交渉が行われていたさなか、1977年から1982年にかけての村内の動きを克明に記した、内部ルポ。

 『僕の村の宝物』の徳山村の、ダムをめぐる人間模様を描いたルポ作品。

鶴見和子『南方熊楠』

 先月、ある人から、「おまえは南方熊楠を知っているか」と問われたのですが、今まで、名前程度しか知らなかったので、熊楠に関する本を何冊か、読んでみました。

 信州大学で開かれたシンポジウムでの、講演記録集です。
 田中知事が、いわゆるダム建設以外の方法による治水対策の検討を打ち出したことは、たいへん画期的なことと思っています。

 着工をめぐる動きが大詰めを迎えつつある、熊本県川辺川ダムの地元、五木村周辺に生きるおおぜいの人々にとって、ダムとは何なのかを丹念に取材したルポ。

ひろたまさき『近代日本を語る』

 サブタイトルに、「福沢諭吉と民衆と差別」とある、講演集。
 著者の福沢論に接したのは、ずいぶん以前(1970年代後半)に、「朝日評伝選」に入っていた『福沢諭吉』を読んで以来です。

佐江衆一『黄落』

 今の日本において、人が、長く生きることによって、否応なく向かい合わなければならない現実とは、どのようなものかを描いた小説。

干刈あがた『黄色い髪』

 どうしようもない自縄自縛に陥っている学校現場の現実と、そんな現実の中で、懸命に自分のアイデンティティを求めて苦闘する母子の内面を描いた小説。

八覚正大『夜光の時計』

 2002年春現在、定時制高校は、学校教育の最後の砦のひとつであるといえるだろう。

鎌田慧『津軽・斜陽の家』

 太宰治の生家である津島家の近代とは、どのようなものだったのかを明らかにした本。

鹿野政直『日本の近代思想』

 近代日本の思想的なエポックを、9つの問題群に分けて、概説してあります。
 1項目3〜4ページほどにまとめられていますが、各項目が、研究書1冊分にも匹敵する内容に凝縮されていますので、本から受け取る知的緊張と刺激は、たいへん重いものがありました。

和賀正樹『ダムで沈む村を歩く』

 岡山県苫田ダムによって沈められる苫田郡奥津町の民俗ルポ。

坪井伸吾『アマゾン漂流日記』

 改めて、地図を開いてみると、南アメリカ大陸の脊梁、アンデス山脈は、大陸の西海岸に沿って、南北に伸びているのですね。

 渓流のページに、おりにふれて書いていますが、わたしは、瀬音の森という有志団体で、渓畔林再生実験の活動に参加しています。

 『白神山地 立入禁止で得するのは誰だ』と一連の関係にある本。

盛口満『ドングリの謎』

 『冬虫夏草を探しに行こう』と同じ著者の本です。

 帯のキャッチコピーには、「『立入禁止』のウラに見え隠れする灰色の欲望 世界遺産ブランドに目がくらんだ偽自然保護論者を暴く!」とあります。

 兵庫県の過疎の村で、6人の子どもたちと暮らすお父さんの話。
 地球と調和して生きようとする著者の思いが、あふれ返っています。

高木仁三郎『鳥たちの舞うとき』

 すきとおった青空のように、美しい小説。

 最近、あらゆるところで、「生き残り」ということばが聞かれます。
 たまたま、国会中継を聞いていたら、議員が、「日本はITに力を入れないと生き残れない」と力説していました。

内山節『里の在処』

 群馬県上野村は、埼玉県大滝村と県境を接し、広大な面積をもつ山村です。
 平坦地は少なく、陽当たりのよい山ひだに、集落が点在しています。

松下竜一『砦に拠る』

 『松下竜一 その仕事』の第15巻。
 熊本県下筌ダム反対を闘った、室原知幸氏を描いた小説です。

 題名の通り、ジャーナリストによる、警世の書。
 『週刊女性』に連載されたコラムを中心としてまとめられたエッセイ集です。

大西暢夫『僕の村の宝物』

 若い写真家が徳山村でしばらく生活をした、ちょっと珍しい体験を書き記した程度の本かと思って、気らくに読み始めました。

大穂耕一郎『春の小川でフナを釣る』

 日本の川が、世界一般の川とくらべてどういう特徴を持っているのかとか、日本の川が生態系や日本人の歴史においてどのような存在であったのかについて、わたしは、くわしい知識を持っていません。

鎌田慧『ドキュメント村おこし』

 世界は、経済的・軍事的・政治的・精神的なグローバル化の流れの中にあるようです。
 その辺境に位置するイスラム世界が、アメリカ中心のグローバル化に対して、激しく異議申し立てをしている、というのが、世界の現実と、思われます。

 アメリカによるアフガニスタンへの武力攻撃が、始まりました。
 ブッシュは、攻撃は、テロリストとそのグループに対するものだと言明していますが、空爆やミサイル攻撃において、攻撃対象を選別するなど、あり得ないことです。

梅原猛ほか『川の思想』

 1993年9月の「郡上八幡・清流カレッジ」の講義録。
 第一回目であるためか、そうそうたる著名教授陣によるずっしりした話が、収録されている。

佐高信編『日本国憲法の逆襲』

 メディアは、アメリカの開戦ムードをあおり立てています。
 アメリカ人が、復讐に燃える気持ちは、わからないではないけれど、復讐の相手も、どうすれば復讐が成立するのかも、復讐が妥当であるかどうかも、ちっとも明確ではないのです。

網野善彦『日本社会の歴史(上)』

 読む順序が上中下バラバラになりましたが、ようやく時間ができて、上巻を読むことができました。

松中昭一『きらわれものの草の話』

 またまた、雑草の本です。
 こちらは、除草剤の専門家がお書きになった本なのですが、近ごろ、「専門家」のいうことを慎重に疑ってみる癖がついてしまったわたしとしては、いろいろと感じることがありました。

天野礼子『ダムと日本』

 日本において、ダムをはじめとする公共事業が、政治や市民運動の中で、どのように位置づけられてきたかを、著者の体験に基づいて、略述した本。

 『森はすべて魚つき林』とか『ニシン山に登る』など、このところ何冊か、海の魚と山の森との関係について書かれた本を読みました。

岩瀬 徹『野草・雑草ウォッチング』

 毎日のように、野良仕事をしていますが、野菜作りの仕事の95%以上は、草むしりであるといっていいと思います。

 生態系とは、一定の地域における、生き物相互の関係のひとまとまりのことと、理解しています。

本田靖春『評伝 今西錦司』

 論文「イワナ属−その日本における分布」(1967)を書いた今西錦司とは、どういう人なのか、という関心から、この本を手にとりました。

近藤四郎『ひ弱になる日本人の足』

 人間にとって、二足歩行することが、どういう意味を持っているかについて、多方面から解き明かした本。

大滝重直『ニシン山に登る』

 ニシンがなぜ、北海道沿岸でとれなくなったのかを追及した小説。

菅聖子『山里にダムがくる』

 全国8ヶ所のダム建設予定地の住民を取材したルポというか、取材ノートという感じの本。

鎌田慧『生きるための学校』

 わたしの見たところ、このルポ集に収録されているのは、1990年前後の学校の姿だろうと思われます。

栗原彬編『証言 水俣病』

 こういう本を読むと、近代経済社会とはなんだったのかと、考え込んでしまいます。

鎌田慧『六ヶ所村の記録(上・下)』

 10年前に出た本ですが、ようやく目を通すことができました。
 取材するというのは、こういうことなのだと、よくわかりました。

柳沼武彦『森はすべて魚つき林』

 魚が生きる上で、樹木がいかに大切かということは、渓流釣りを趣味とするものにとっては、容易に納得のいくところです。

石川徹也『日本の山を殺すな!』

 日本各地の山が登山者や盗掘人や、林野庁や行政などによって、いかに破壊されているかを告発した本。

田中伸尚『日の丸・君が代の戦後史』

 われわれの国は、こんなことをしていていいものだろうか、と、しばしば思います。
 学校行事に「日の丸」「君が代」があるかどうかなど、大きな問題ではないではありませんか。

田中彰『小国主義』

 自ら小国であることを自覚し、他国からもそのように認識されることを前提に、国の安全を保障しようとするのが、国際関係における「小国主義」のようです。

 生態系を守る立場から、ブラックバスの密放流などについて、論じた本。

赤星鉄馬『ブラックバッス』

 赤星鉄馬著とありますが、赤星氏の遺稿を編集・かつ現代語訳した本です。

金子陽春他『ブラックバス移植史』

 わたしは、イワナの生息する川へ在来種のイワナを放流することの是非について、真剣に考えているのですが、巷間さまざまな話題を提供しているブラックバスの移植・放流が、どのような考えのもとに、どのようにしておこなわれ、どのように総括されているのかに関心があって、この本を手に取りました。

飯野頼治『秩父の木地師たち』

 前の読書ノートに関連する小冊子で、明治から現在に至るまでの、秩父地方の木地師たちの足跡を、主として聞き書きによって、明らかにしています。

宮本常一『山に生きる人びと』

 発刊されてからずいぶん長く読まれている本です。
 現在の日本では、山村や農村で生活することは、人にとって、ハンディのひとつと考えられていると思われます。

 本書前半は、ヤマメ・アマゴ(サクラマス・サツキマス)の分布と呼称などについての研究、後半は、ヤマメ・アマゴ(サクラマス・サツキマス)の放流・移植についての研究です。

鈴野藤夫『魚名文化圏 イワナ編』

 わたしの住む、埼玉県秩父地方には、たいへん美しい、イワナという魚が、生息しています。
 この魚は、夏の最高水温が13〜15度という冷水域にしか、住めない魚です。

深谷克己『日本の歴史6 江戸時代』

 封建制は克服すべきものと思っていましたから、江戸時代日本の諸制度は、克服の対象として考えることが多かったように思います。

西口親雄『森の命の物語』

 森の樹木と生き物の関係について、やさしい語り口で説明した、著者の本を何冊か、読みました。
 この本は、樹木の「病」と「死」のメカニズムを解明した本です。

 中嶋幸三氏の伝蔵論は、わが地域の総合誌『文芸秩父』誌上で、ときどき読んでいましたが、それを集大成したのが、この本です。

藤田恵『ゆずの里 村長奮戦記』

 今の時代に、巨大ダムの建設が必要だという人が、はたして、いるでしょうか。
 それほど、「ダムはムダ」というのは、国民の常識となりつつあります。

植松黎『毒草を食べてみた』

 カバー裏には、「これは、そうした毒草を食べてしまった人たちの世にも怖ろしい44の物語である」とありますが、そんな本では、ありません。

 若い友人から、紹介していただいた本です。
 わたしの住む町には、大きな書店がないので、ブックサービスに注文して、手に入れました。

藤井豊一『松茸ハント』

 わたしのマツタケ体験は、もう30数年前のことになります。

盛口満『冬虫夏草を探しに行こう』

 きのこの世界に分け入っていくと、ミステリアスで驚くべきことに、しばしば、ぶつかります。
 各種きのこの、色、形、発生のようすなど。

篠永哲・林晃史『虫の味』

 日本人の昆虫食についての本かと思いましたが、昆虫の味や料理法についての実験談です。

柳内賢治『幻のニホンオオカミ』

 前の本と、タイトルが似ていますが、別の本です。
 著者(故人)は、昭和39年に、秩父の両神山でニホンオオカミと実際に遭遇したところから、オオカミを探し求める旅を始めたそうです。

藤原仁『まぼろしのニホンオオカミ』

 サブタイトルに、「福島県の棲息記録」とあるように、福島県を中心とする東北各地における、ニホンオオカミに関する伝承や地名考証が豊富です。

四手井淑子『きのこ学放浪記』

 『きのこ学騒動記』の姉妹編。

 大学の教養部のテキストという感じがしないでもない、日本森林史の概説書です。
 しかし、美しい日本の森林がどのような歴史をたどってきたのか、という問題意識が一貫しているだけに、飽きずに、かつとても興味深く、読むことができました。

 この本は楽しい本です。
 『週刊金曜日』に、長らく連載されてきた漫画を、一冊にまとめたものです。

山縣睦子『木を育て森に生きる』

 自然林と人工林のどちらが好きかと問われれば、どちらも好きだけど強いていえば自然林が好き、と答えるでしょう。

四手井淑子『きのこ学騒動記』

 きのこに関する本かと思って読み始めたら、えらい本でした。
 いや、確かに、きのこに関する本なんです。

 白神に関するシンポジウムの記録をまとめた本である。
 シンポジウムなので、一冊の本だが、いくつかのテーマに分かれている。

曽野綾子『湖水誕生』(上・下)

 この小説は、雑誌『週刊金曜日』252号(1999,1,29)の読書欄で、紺屋典子という人が紹介していたので知った。
 読んでみると、とても気分の悪い、不愉快な小説だった。

西澤信雄『朝日連峰・鳥獣戯談』

 この本は、朝日連峰に生息する鳥やけものについて書かれた本ですが、鳥やけものの観察記録とか、分類学的特徴とかについて書いてあるのではありません。

池内紀編『福澤一郎の秩父山塊』

 1944(昭和19)年に刊行された画文集を体裁を変えて復刻した本です。

浜田久美子『森をつくる人々』

 地方で暮らしていると、山の未来に対しても、絶望的になりがちなのだが、必ずしも悲観的な要素ばかりというわけではない。

 峻険な脊梁山脈に膨大な水と森林を有し、その山地を背景として成り立つ扇状地及び沖積平野を舞台に、日本人は、独特の文化を創りあげてきたわけです。

西丸震哉『滅びの大予言』

 内容的には、『41歳寿命説』(情報センター出版局)の続編の形になりますが、この本における西丸氏の筆致は、『41歳寿命説』に比べると、絶望的というか、あきらめの境地を強く感じさせます。

 ツキノワグマに関するローカルな本を2冊読みました。
 『ツキノワグマ−追われる森の住人』は長野県、『SOS ツキノワグマ』は岩手県のクマについて、記しています。

鎌田孝一『白神山地を守るために』

 鎌田氏の本を読んだのは、前著『白神山地に生きる』(ISBN4-560-04008-7 C0040 P1700E 白水社 1987,6刊)に続き、2冊目です。

根深誠『北の山里に生きる』

 山村が、どんどん崩れて行きつつあります。
 その流れを止めるすべは見つかりません。

江馬修『飛騨百姓騒動記』

 『山の民』同様、山国飛騨の農民のたたかいを描いた小説集です。
 『山の民』が、維新期の梅村騒動を描いたものだったのに対して、こちらは江戸中期の大原騒動に取材して書かれています。

辻谷達雄『山が学校だった』

 近畿の南の屋根、大峰山麓の山暮らしについての本です。
 古い時代から現場の山仕事(伐採・搬出・育林)に携わってきた著者による、仕事の内容や、請負システムについての語りは、とても興味深いものがあります。

 熊野とは、どこにあって、どういう山のあるところなのだろう。
 そんな気持ちで、読み始めました。

江馬修『山の民(上・下)』

 長らく読んでみたかった小説を、ようやく読むことができました。
 島崎藤村の『夜明け前』が、木曽における宿場指導層の視点から明治維新を描いたのに対し、『山の民』は、飛騨の農民の視点からの明治維新を描いています。

天野礼子『川は生きているか』

 本書は、日本の川がどうなっているのかを、美しい写真とともにルポした作品です。
 ここに、登場するのは、いずれ劣らぬ超有名・名河川ばかりです。

内山節『森の旅』

 「山里の釣りから」の主舞台である神流川は、私のフィールドから峠ひとつ越えたところです。
 『村とダム』の舞台とも、至近距離にあります。

柏原精一『昆虫少年記』

 この本は、学者、財界人、政治家、元プロ野球選手など、24人のかつての昆虫少年たちへのインタビューです。

内山節『山里紀行』

 今の日本は、まちがった道を歩んでいると思います。
 改憲路線がどうとか、バラマキ福祉がどうとかいうことは、とりあえず横に置いておきましょう。

横井清『東山文化』

 中世民衆史の魅力は、そこに登場する人々の表情が生きていることだと思います。
 歴史的制約を受けながらも、場合によっては歴史を突き抜けていきそうな不定形ささえ、感じられます。

 必要があって、これらの本を読むまで、精神障害を持つことは、どうしようもなくたいへんなことなのだと思っていました。

相川俊英『長野オリンピック騒動記』

 世はオリンピックの話題で持ちきりだ。
 自宅でも、職場でも、オリンピックの話題を聞かされるのには、いささか閉口してしまう。

石城謙吉『イワナの謎を追う』

 イワナは、私にとって、出会いの魚です。
 奥秩父の渓で、たくさんの思い出深きイワナと出会うことができた私は、じつに幸せです。

稲本正『森の自然学校』

 森や木について関心を持ち始めてから、いつも木とともにあった日本の文化が急激に崩壊して来つつあることを、実感するようになりました。

網野善彦『日本社会の歴史(下)』

 日本がいつ、どうしてこんな国になっちゃったのか。
 日本はむかし、どういう国だったのか。

山田吉彦『ファーブル記』

 戦後まもなく出た本の復刊。
 児童書以外のファーブル伝は、この本がはじめてです。
 したがって、この本の評価も知らないままです。

二木雄策『交通死』

 自動車という乗り物が、社会と人間に、どれだけの不条理を強いているかは、あまりにも意識されていません。

井原俊一『日本の美林』

 私は、森というものは、程度はどうあれ、美しいと思います。
 特に貴重だといわれる、特定の森や特定の木を保護すれば良しとするがごとき考えには、賛成できません。

四手井綱英『言い残したい森の話』

 学者の文章はむずかしいに決まっていると思っていましたが、そうではないと確信を持ちました。

天野礼子編『21世紀の河川思想』

 この本には、河川問題についての、日本と世界の理論家の議論のエッセンスがつまっています。
 最近、川と文化ということについて、少し考えました。

 西澤さんの本を読んだのは『みちのく朝日連峰山だより(正・続)』に続いて3冊目です。
 前の二冊は、どこで買ったか忘れてしまいましたが、今度の本は朝日鉱泉で、西澤さんご自身から買いました。

 ここで大きくとりあげられている山は、白馬、富士山、白山、槍、八ヶ岳、丹沢、大雪、苗場、利尻、谷川です。

米田一彦『山でクマに会う方法』

 著者の本は、『クマを追う』(1991,5 どうぶつ社 ISBN4-88622-418-0 C0040 P1800E)以来、二冊目でした。

 山歩きをしていて、山小屋ほどありがたい存在はありません。
 それを痛感したのは、暴風雨の中、単独で甲武信小屋にお世話になったときです。

 建設省によるダム建設に反対するのは、国家を相手の、絶望的な闘いとならざるを得ませんでした。
 もちろん、都道府県による公共事業とて、安易に計画が撤回されるケースは、ほとんどなかったと思います。

 サブタイトルには「森林遊学のすすめ」とあります。
 そんな「遊学」が許されるなら、明日からでも出かけたいです。(^_^;)

 このところ、岩手山周辺が気に入って、何度か出かけています。
 1996年夏に、葛根田川の水源、三ツ石山荘から、岩手山へと歩きました。

加藤久晴『尾瀬は病んでいる』

 これは、新しい本ではありません。
 はじめて読んだのも、10年前のことです。

笠原義人編『よみがえれ国有林』

 日本の自然を愛するものにとっては、悪夢のような破滅の日々が迫ろうとしています。

 ニフティサーブのFFISHで紹介していただいた本です。
 生態学の観点から、河川・湖沼環境はいかにあるべきかを、わかりやすいことばで、説かれています。

奥田博『宮沢賢治の山旅』

 賢治の山を訪れてみたいという気持ちはずいぶん前からありました。
 でも、遠いから、いくつも登れないだろうなと思っていました。

稲沢潤子『山村で楽しく生きる』

 渓流釣りや山歩きをしているうちに、日本という国における山村と都会との関係、といったことについて、考えるようになりました。

石井実ほか『里山の自然をまもる』

 以前から感じていたことですが、生物学者がしばしば「貴重種」という表現をします。想像するに、とてもめずらしい生き物、というような意味だと思います。

椎名誠『白い手』

 椎名誠さんには申し訳ないが、スーパーエッセイストとしてはとてもおもしろい作品を書く人だけど、小説はおれの趣味には合わないな、といままで思ってきました。

宇沢弘文『地球温暖化を考える』

 この本は、著者によれば小学生にもわかるように書いたとのことですが、十分むずかしかったです。(^_^;)

 この本は、埼玉県秩父の山村に建設された合角(かっかく)ダムによって水没する地区のご老人からの聞き書きです。

福岡賢正『国が川を壊す理由』

 この本はすごい本です。少しでもダムに関心を持つ人には、ぜひすすめたい本です。これも、ニフティサーブのFFISHで紹介していただいた中の一冊です。

 都会に住む人から見れば、秩父に住んでいるなんて、ずいぶん自然が豊かでいいね、といわれますが、秋田の自然は、ずっとすばらしいように思います。

伊藤正一『黒部の山賊』

 日本アルプスに行かない、そして山小屋にはほとんど泊まらない私ですが、アルプスに関心がないわけではないので、ときどきに目についた本をめくってみたりしています。

豊田和弘『ひとりぼっちの叛乱』

 リゾート法が制定され、不動産・土建業者が日本を荒らし回っていた時代に、巻機山麓の清水集落でどのようなことが起きていたかを記した本。

小泉武栄『日本の山はなぜ美しい』

 この本は地質学、生態学を総合的に駆使することによって、森林限界以上の日本の山の地質や植生の特性について考察したもので、『週刊金曜日』に著者が自分で書評を書いていたのを見て、読んでみたものです。

早川禎治『知床記』

 サブタイトルは「自然と人の出会いについて考える」とあります。
 内容は、著者の知床における山行記、および1987年4月の林野庁による知床伐採強行に関するアンソロジー、そして、自然と人間との関係についての考察からなっています。

関正和『大地の川』・同『天空の川』

 本多勝一氏は、「佐高真氏は講演会で『破防法は、適用するなら建設省に』といって爆笑を誘ったが、もはや今の建設省は『破壊省』の名がふさわしい。もともと川の管理を建設省にまかせていることも間違っている」(「『破壊省』と改名せよ」『週刊金曜日』第137号)と断定している。

萩原好夫『八ツ場ダムの闘い』

 埼玉県秩父地方では、1996年秋現在、三つの大きなダムの工事が進行中です。浦山川の本流を水没させる浦山ダムは、すでに堰体は完成し、試験湛水に入っています。