瀬戸内寂聴『余白の春』

 金子文子にゆかりのある土地や人々を探訪しつつ、文子という人物に迫ろうとしたノンフィクション。

 『何が私をこうさせたか』で文子は、自分の思想についてほとんど語っていない。
 本書には、彼女が周囲の人々からどのように見られていたか、朴烈を知り、大逆罪へと突き進んだ心底などについて、記されている。

 『何が私を・・』と印象がかなり異なるのは、母親の実家周辺や転々と変わった母親の嫁ぎ先が、いずれも比較的裕福だったことだ。
 自伝から彼女は、貧困と悪意にさらされながら育ったという印象を持つが、彼女にとって最大の不幸は、両親の身勝手と放蕩、そして親族の一部による悪意だったと見える。
 伸びようとしてやまない彼女の知識欲と自我が、へし折られるたびに傷ついたことを思うと、読んでいて暗澹たる思いを禁じえない。

 東京で一人暮らしを始めてからは、多くの都市民同様に貧困と生活苦の中にありながら、何人かの男とのつきあいを経て女としてのふてぶてしさも身につけていく。
 これ自体は、特異なことではなかっただろうが、朴烈との出会いにより、彼女独特の思想が形成されていく。

 『何が私を・・』にはほとんど記されていない文子と朴烈の大逆思想について、本書は、裁判関係文書を使いながら紹介している。
 基本的にそれは、天皇の権威を毀損・冒涜すれば現体制を否定する革命的機運が生じるのではないかという、稚拙なレベルだった。

 皇太子(後の昭和天皇)に爆弾を投げるという計画も全くずさんで、駄法螺に毛の生えた程度の話だった。
 取り調べや裁判の過程で彼女らは、自分たちの計画が具体的なものだったと懸命に主張したらしいが、それは、陰謀の実態をより大きく見せようとする作為に過ぎなかった。

 大正といえば、デモクラシーや個人主義といった思想的な展開が見られた時代という印象がある。
 しかし、一般民衆が思想を十分消化できるほどに実り多い時代とまでは言えなかったようだ。

(ISBN978-4-00-602304-1 C0193 \1160E 2019,2 岩波現代文庫 2021,4,19 読了)

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