藤木久志『戦う村の民俗を行く』

 戦国時代の主として在地のようすについての小論集。

 教科書では、戦国期の在地といえば、惣の形成や一向一揆が記述されるから、そのようなものかと思ってしまう人が多いだろうが、それらは畿内・東海・東北の一部に見られた状況であり、関東や東北における在地の状況は、ほとんどわからないと言っても過言でない。

 江戸時代には村請制が機能しているのだから、戦国期に一定の自治的な動きが存在したことは間違いないだろう。
 とすれば、在地の土豪地主の存在が推測される。

 戦国時代よりやや以前の当地は、関東管領の上杉憲政が支配者だった。
 横瀬町の小御岳城は在地の土豪地主だったと思われる永田外記の城だ。
 永田外記は上杉憲政に従属し、小領主として一帯を支配していたのだろう。
 彼の支配とは、自分に従属する小百姓や下人を使ってそこそこ広範囲の土地を耕作し、山林で働く人々などをも隷下におきつつ、小世界で君臨していたという程度の想定だが、史料は皆無だ。

 上杉氏が後退したのち、長尾景春という喜劇役者が一時的に当地を席巻するが、彼はあっという間に退場し、北条氏邦が本格的な戦国大名として北武蔵一帯を支配する。
 北条氏の支配も上杉氏と同様だったと思われ、したがってその家臣も永田外記に類する人物たちだっただろうが、詳細は不明。
 このあたりやはり、在地の史料がほしい。

 本書には、支配に対し逃散という形で抵抗する人々が関東においても存在した事実が記されている。
 そのような人々は、小百姓クラスの民衆だったと思われるが、記録に残っていないとはいえ、当地でもあり得た抵抗である。
 土豪クラスの人々は鉢形落城後は、多くが帰農したと思われ、江戸時代には草分け百姓として村役人化したと想定できる。

 数少ない在地史料をうまく構成して、戦国期の地域の様子を描いてみたい。

(ISBN978-4-259943-8 C0321 \1300E 2008,6 朝日新聞出版 2021,4,12 読了)

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