藤木久志『新版 雑兵たちの戦場』

 戦国時代の戦場で民衆が戦争とどのように向かい合っていたかを明らかにした本。
 本書に書かれているような事実が、一般の戦国時代像からごっそり抜け落ちいてることに驚く。

 戦国時代の武士といってもさまざまなのだが、まずは姓と名を持ち、大名や重臣から命令を受ける武士を想定してみる。これは例えば、後北条氏に従った在地の人々などがイメージされる。

 彼らはもちろん、一人で戦場に出かけるのではなく、多くの雑兵を伴っていた。
 本書によるとランク別に、奉公人(悴者・若党・足軽など)、下人(中間・小者・あらしこ)、百姓(夫)などの雑兵が武士に随従した。戦闘行為に参加したのは奉公人である。

 雑兵たちにとっての戦争は、稼ぎの場だった。
 彼らは戦うだけでなく、戦場で食糧や家財や男女・子どもを略奪した。
 雑兵たちにとって略奪行為は、戦場に随従することへの報酬の一部として、大名・武士から黙認されていた。
 したがって戦争に敗北することは、領地で暮らす住民を含め、人々の暮らしが破滅することを意味した。

 武蔵は概ね後北条氏の領国化していたため、地域で暮らす雑兵が傭兵化して他の大名の手先になるケースは多くなかったのではないかと思われるが、畿内を始め、多くの大名の領地が錯綜し、合従連衡に日々いとまのない状態だと、雑兵たちも、稼ぎのよい雇い先を求めて流動した。
 稼ぎ場を求める雑兵たちに「職場」を紹介する口入れ業者も存在した。

 秀吉による「惣無事」が完成すると、雑兵たちは失業した。
 朝鮮侵略は、彼らの新たな稼ぎ場を創出する意味をも持った。
 関ヶ原以降は、幕府・諸大名による築城ブームが、浮動する労働力を吸収した。

 ところで、雑兵たちに略奪された男女・子どもは、売買の対象となった。
 もとの家族や領主に買い戻されるケースもあったが、外国商人に買われてアジア各地へ転売される人々も相当数にのぼった。

 そこには筆舌に尽くしがたい悲哀があったはずだが、あまりに知られなさすぎる歴史だと言える。

(ISBN978-4-02-259877-6 C0321 \1300E 2005,6 朝日新聞出版 2020,10,27 読了)

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