倉本一宏『戦争の日本古代史』

 4世紀末の高句麗との戦争以降の日本の対外戦争の特徴に焦点を当てた書。

 古代の朝鮮半島と倭は、中国の衛星国としてあるときは同盟し、あるときは戦う関係にあった。
 もちろん現在のように明確な国境があったわけでなく、存在したのは、指導者の住まいする場所を中心とし、輪郭のぼやけた感じの「国」だった。

 律令体制は、「日本」が自称小帝国化したこととほぼ同義なのだが、それ以前には、倭・新羅・百済・高句麗が争う、「日本」の戦国時代にも似た長い騒乱期があった。

 倭による半島への侵攻は4世紀末の高句麗との戦いと、7世紀の白村江における・唐・新羅連合軍との戦いの二度である。
 著者によれば、これらの戦争は史料が語る以上のものではないのだが、「日本」の史家の中には、強大な「日本」が朝鮮半島を支配するためにに軍事的に侵攻したかとのごとく論じて朝鮮半島における倭のプレゼンスを過大に評価する向きもあった。
 倭にとって百済は友好国だったが、それは百済の生存にとって倭と結ぶことが有利だったからにすぎず、それ以上の関係ではなかった。

 律令制時代になって、新羅が「調」をもたらした時代があった。
 それは高句麗との関係において、新羅が生存戦略の一つとしてとった手段のであり、新羅が「日本」に隷属していたわけではなかった。

 新羅・百済が倭に服属していたという評価は、歴史的には成り立たない。

 しかし、半島・列島の分立した国々の中で「日本」は、小帝国への志向を最も強く持っていた。
 外交の諸局面で、当事国が決定事項や事実を自分に都合よく解釈するということは、今でもよく見られる。
 「日本(倭)」は、その実態がどんなであろうが、小帝国「日本」に都合よく事実を解釈した。
 そのような見方はその後も引き継がれ、帝国主義時代の近代に至って一段とあざとく開花し、民衆の中にも朝鮮を目下に見る感覚が一般化した。

 例えば自由民権運動の中にも、倭の時代の小帝国「日本」像が反映しているとは言えないだろうか。

(ISBN978-4-06-288428-0 C0221 \880E 2017,5 講談社現代新書  2020,1,22 読了)

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