銭谷武平『役行者ものがたり』

 子ども向けに書かれたと思われる、役の行者伝。

 役の行者の生涯にに関する確実な記録がほとんどなく、のちになって書かれた虚実入り混じった多数の伝記が存在するので、信頼できる伝記を書くことは不可能である。

 著者は、役の行者史料に関しては第一人者と思われ、あまたの伝記類から、著者なりに虚と実を腑分けして、役の行者の実像を再構成しようとしている。

 にも書いたが、役の行者を一個の人格として理解するのには、無理があると思う。

 役小角という人物が実在したとしても、行者伝説に語られているすべてが小角の行跡だというには、とても無理がある上、古代の大和地方一帯において、何かを得ることを求めて、葛城や大峰などの山岳にこもり、人間存在をつきつめてようとしていた人々は、少なくないと思われるからである。

 役の行者伝において確実性の高いのは、妖惑の罪で流罪になったという事実だろう。

 おそらくほぼ同時代人だった行基も、民衆への大きな影響力を持っていたから、一歩間違えれば妖惑罪に問われてもおかしくなかっただろう。

 この時代の支配者・民衆にとって、山菜・きのこ・薬草・薬種等に関する知識をもっていることや、山岳に常住して神出鬼没であることなどは、一種の超能力として、畏敬の対象となったのだろう。

 民衆への影響力自体が、支配者たちにとっては、警戒すべき魔術ととらえられ、早期に誅すべきと考えられた。

 役小角が実際に伊豆に流されたかどうかはわからないが、小角のような人間は彼だけではなかったから、その意味で、役小角は不死の術をもっており、どこにでも出現することができた。

 役の行者伝における仏教的要素は、彼の思想を解釈するためのツールではないかと思われる。

 小角自身が、自分を説明するために、このような仏教的ツールを使ったかどうかは、疑問である。

 では、役小角はどのような思想をもっていたのか。

 あるいは、思想らしきものなどもっていなかったのか。

 史料がないのだから、これを歴史的に述べるのは不可能である。

 基本的には、役小角の思想は、それを受け取るわれわれ自身の内にあるというしかない。

(ISBN4-409-54031-9 C0039 P1442E 1991,1 人文書院 2011,11,9 読了)

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