鴨川達夫『武田信玄と勝頼』

 信玄・勝頼文書の検討を通して、彼らの実像を書き換えると述べている書。
 本の帯には、「文書を徹底的に読みこみ、通説を根本から洗い直す」とある。

 研究者として著書にこれだけのことを書くには、ずいぶん勇気が必要なのではなかろうか。

 確かに、戦国時代の武将の文書の見方について、いい勉強になった。
 かつて学んだ近世の地方文書には、通常、偽文書も改ざん文書など存在しないが、信玄・勝頼ほどに人気のある武将となると、正しく読み下すだけでなく、その真贋を見分ける眼力が必要なのである。

 後半では、信玄と信長との対立に関する仮説が述べられている。
 信玄が天下を狙って上洛をめざしたために信長との妥協なき対立に陥ったというのが、一般に流布した説だが、それは皮相的な見方だと著者はいう。

 信玄にとって中部地方に覇権を確立すれば十分だったのであって、彼はそのために、信長とも連携を図ってきた。
 著者は、畿内〜北陸にかけて築かれた朝倉義景・浅井長政・石山本願寺・比叡山などの反信長ネットワークによって、その有力な一員へと祭り上げられたことが、信玄をのっぴきならない立場に追い込んだと考えているようだ。

 『武田信玄の古戦場を行く』には、上越から日本海経由で海路若狭を、さらに上洛をめざしたという網野善彦氏の説を紹介しているが、実際のところはわからない。

 信玄没後、信長ゆかりの娘と政略結婚していた勝頼は、先代には激しく対立した上杉景虎・景勝と結んで信長と和睦しようとしたが、信長は信玄の敵対行為をあくまで許さず、武田にまだ余力があったようにも見えたが、勝頼の滅亡はあっという間だった。

 この本の面白いところは、歴史を動かした個人の「構想」や「戦略」は後世の史家によってこじつけられたものであって、存在するのは、その場その場の情念に突き動かされた行動だけだと考えている点である。

 そう言われれば、史的唯物論だって、そういう見方を否定してはいないはずだ。
 このような実存主義的歴史観にたって歴史を描きなおす試みが、もっとあってよいと思う。

(ISBN978-4-00-431065 C0221 \740E 2007,3 岩波新書 2011,5,20 読了)

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