中村政則『「坂の上の雲」と司馬史観』

 テレビ受像機を所有しておらず、映像マスコミに関心がないので、『坂の上の雲』がどうして話題になっているのか、本を読むまで理解できていなかったのだが、この作品がNHKにより力を入れて映像化されているのが、ブームの原因だとわかった。


 この10数年来、一種の歴史「見直しが流行している。「見直し」の対象になっているのは、戦後歴史学である。オモテに出ている「見直し」の仕掛け人たちは別として、その底辺を支えているのは、無名かつ匿名の「一般人」であり、その舞台がネットワークであるという点には、注意しなければならない。
 故人である著者が消極的だった『坂の上の雲』の映像化が実現した背景には、戦後歴史学が描いてきた日清・日露戦争を見直したいというNHK側の強い意図が感じられる。それは、国民の意識の中に、日清・日露戦争を肯定的に捉え直したいという機運が存在することと無関係ではない。
 著者は、原作者司馬遼太郎氏と原作『坂の上の雲』の意義についてふれながらも、基本的には、その限界性を指摘している。司馬氏が、きわめて多数の文献を渉猟し、その時点で得ることのできる史料を踏まえて書いている一方で、過剰な表現によって歴史像を歪めかねない点があるとのことだ。
 原作は1968年から1972年にかけて発表されたものである。したがって、司馬氏が目にすることのできた史料・研究には、そもそも限界があった。著者によれば、1970年前後の日清・日露戦争研究はまだ不十分だったのであり、1980年代以降本格的に深化した日清・日露戦争研究の水準からすれば不十分な点があるのはやむを得ない。
 司馬氏は、『坂の上の雲』によって、明治期日本の明るい面を描こうとしたようである。司馬氏には、昭和戦前期は忌まわしく暗い時代だったが、明治期は、それほど無残な時代ではないと見えた。司馬氏にとって、明治期の指導層の中に、合理的思考や合理的な国家戦略が残っていたのは、日本という国家の肯定的側面であり、評価したい部分であった。秋山好古・秋山真之・正岡子規の3人の青春と、帝国主義の荒波の中、近代国家として出発した明治日本とが重ね合わして描かれれば、読者は、3人の青年とともに明治期日本の国家戦略にも、共感せざるを得ないだろう。
 焦点は、日露戦争をどう評価するかである。この点につき司馬氏は、ロシアに八分の非があると断定する。八分という数字の根拠はともかく、日本よりロシアの方により大きな侵略的意図を見出さない限り、日露戦争を肯定することはできず、明治期日本の肯定面を明るく描くという司馬氏のモチーフは、成り立たなくなってしまう。
 帝国主義国同士の利権争いだった以上、日露両国に朝鮮・満州への侵略的意図が存在したことは、どうしても否定できない。従って、日露いずれに非があったかという問題の立て方自体、意味をなさない。日本による朝鮮侵略は正当化できないし、現在の研究によれば、ロシアによる朝鮮への侵略意図を過大に評価することはできないとのことである。
 日本近代史は、ひとまとまりのものとしてとらえるしかない。昭和戦前期を否定して明治・大正を肯定するには、どこかで無理な論理操作が必要となる。躍動する人間群像を描くことをもって、無理な論理操作が無理でないように見せるのは、歴史の描き方として、まっとうではない。
 本書によって、司馬遼太郎氏の描く日露戦争には、以上のような無理があることがわかった。だが現在、「司馬史観」の限界を指摘するだけでは、国民的な歴史意識と切り結ぶことはできない。ネット上には例えば、昭和戦前期を暗く描くのは「偏向である」といった司馬史観批判が、「一般人」によって広く語られている。他にも、閔妃暗殺事件を司馬氏が三浦梧楼らの犯行であると書いたのは間違いで事件は朝鮮人の犯行であるとか、張作霖爆殺事件は中国人の犯行であるなどという言説が、ほぼ定説であるかのように流布している。
 ネットワークは、研究者や言論人ではない「一般人」が、日本近代史上の史実について、一定の典拠を挙げつつ自説を述べることのできる場として機能していると思われる。しかしそこで語られる歴史像の多くは、小林よしのり流の卑小なナショナリズム史観であることが多い。
 これらを批判するのは比較的たやすいが、批判を「一般人」に受け入れてもらうのは、かんたんではない。議論のルールや議論の場づくり、議論の仕方への習熟など、古い世代にはハードルの高い課題があるからかもしれない。
 ところで、秩父地方にも、ちょっとした日露戦争ミュージアムがあるのをご存知だろうか。吾野駅下車10分ほどのところにある御岳神社境内は、東郷記念公園として整備されており、戦利品のロシア軍野砲の実物や、戦艦三笠の甲板の一部などの実物資料がたくさん展示してある。秩父からの帰りに寄ってご覧になるとよいかもしれない。
 本稿は、秩父事件研究顕彰協議会の会報のために執筆したものを若干修正したものです。

(ISBN978-4-00-023029-2 C0021 \1800E 2009,11 岩波書店 2010,4,29 読了)

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