川上徹『査問』

 (革命)組織と個人の関係に関する衝撃的な事実が書かれている本。

 1972年に日本共産党とその「指導」下にある大衆組織、民青同盟内部で、大々的な内部粛清が行われていた。粛清を主導したのは、共産党の最高指導部である。
 本書を読むかぎり、粛清の理由は定かでないが、基本的には路線問題だったと思われる。
 なお、著者は近著で、「分派活動」が存在した事実を認めているともいう。共産党にとって、「分派活動」は重大問題なのかもしれないが、市民社会の論理からすれば、「分派活動」を認めないことの方が異常である。

 著者らは共産党本部に事実上拉致され、そこで一定期間拘束されて、「査問」という名の取調べを受けた。
 手続き的には、本人の同意に基づく「査問」だということになっていたが、職場は「家宅捜索」され、「証拠」となりそうな私物が押収されるなど、その内容は明らかに憲法の禁じている「不当な拘束」だった。

 取調べは、

「お前、俺をナメルのか! 共産党中央をナメルのか」
「全部吐けよ、吐きゃあ気も楽になるし、家にも早く帰れる」
「お前、子どもがいるナ。民主連合政府になってナ、親父は反党反革命分子だということになったら、子どもはどうなるんだ」(同じ容疑で査問を受けた別の人物の場合)

というようなものだったらしい。

 著者ら多くの「容疑者」は「事実」を認めて「自己批判」に応じ、その後も党籍を維持したまま、苦しい人生を歩んだが、「新日和見主義事件」と呼ばれたこの事件について検証しようという動きは、党の内外を問わず、ほとんどなかった。
 1998年に刊行された本書は、被害者が事件を真正面から総括しようとするものだといえる。

 何の予備知識も持たずに本書を読んだ人は、日本共産党とは一種のカルト集団と思うのではないか。
 重大な人権侵害にもかかわらず、被害者が例えば損害賠償を請求するといった行為に出ることなく、唯々諾々と「自己批判」して組織にとどまり続けるなど、ちょっと理解できないだろう。

 著者らの多くは、労働現場から離れて、党組織の中間幹部の立場にあった。
 彼らにとって、党を離れての人生など、考えられなかったのかもしれないし、それほど深く、党によってマインドコントロールされていたともいえよう。

 しかし最も大きな問題は、路線問題だと思う。
 「鉄の(思想的)団結」を誇る組織がまともだと考えることが、間違っている。

 正しい理論ありきとし、末端が正しい理論を深く信奉することで思想的に高い次元での団結が得られるというような組織論は、「常に正しい」理論の存在が、前提となる。
 毛沢東支配下の中国がそうだったし、スターリン支配下のソ連がそうだったように、批判にさらされない、「常に正しい」理論など、ありえないのである。
 理論の正しさを担保するのは、自由で活発な批判以外にはない。

 このとき共産党がおこなったのは、外国や権力による「党破壊」の動きを防止することだったのか、それとも、異なる路線を暴力的に圧殺することだったのか、いま少し、検証が必要なのではないかと思う。

 1960〜1970年代は、変革の可能性を感じさせる時代でもあった。
 「前衛党」という組織のあり方が、運動の牽引車として機能していたのか、それとも運動を痩せさせる役割を果たしたのかという点も、検証される必要があろう。

(ISBN4-480-03656-3 C0131 \740E 2001,7 ちくま文庫 2011,2,23 読了)

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