日が多少伸びてきたので、朝夕のほんの僅かな農作業を再開。
夏野菜あとに落ち葉堆肥をまいた。
読書ノートに、『(株)貧困大国アメリカ』を追加。
グローバル経済の増殖によって「国家」はグローバル化のツールと化しつつある。
そんな「国家」など存在する意味がないということが、いずれ鮮明になるだろう。
この列島の山と川と海とこの素朴な暮らしが維持できるのであれば、ここが「日本」でなければならない理由など、ない。
安倍晋三氏の「日本」など、存在する意味がない。
列島の景観や暮らしを守ってくれるなら、どこかの植民地になってもかまわない。
「国」があるから人がいるのではない。
この列島に暮らす人が、自らの暮らしを守るために「国」を選べばよい話である。
難しい話ではない。
どこの「国」が美しい海を守ってくれるのか。
どこの「国」が(「国体」などじゃなく)人々とその暮らしを守ってくれるのか。
万が一中国が、「沖縄が自分たちの領土であれば軍事基地は作らず、類まれな美しい海を守る」と約束したら、「日本」はどう言い返せるのか。
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