騙されたい人々

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 数日前に、佐賀県玄海町の町議会でプルサーマルを含む玄海原発再起動を容認するというニュースがあった。

 毎日によれば、再起動を容認する理由は、「国の説明で十分理解した」「国の言うことを信用したい」ということらしい。

 ちなみに、読売によれば、これを決定した6月1日の町議会原子力対策特別委員会(全議員によって構成)には、「経済産業省原子力安全・保安院の山本哲也原子力発電検査課長が、〈1〉玄海原発周辺にプレート境界はなく、比較的規模の小さな地震の発生しか考えられない〈2〉30年以内に震度6強以上の地震が起きる確率は0%――などを理由に挙げ、福島と同程度の津波が襲来したとしても、緊急安全対策も講じられており、「原子炉の運転継続や運転再開することは安全上支障ない」とした」という。

 要するに、国が安全だと言い、議会はそれを信用すると言って、原発は動くのである。

 福島では、アブナイという指摘がなされ、事故隠しが発覚しても、国は全電源喪失など考慮する必要はなく安全だと言い続け、地元自治体はそれを信用すると言って、原発を誘致・増設してきた。
 地元自治体には、補助金が流し込まれた。

 地元自治体で、誘致・増設の旗振りをしてきた人々は、「安全だと言っていたのに、東電や国は嘘をついてきた。自分たちは騙されていた」と言いたいだろう。しかし、彼らは騙されていたのではなく、むしろ、国や東電と一緒になって住民を騙してきたのである。

 戦争当時、「お国のために死んで来い」と戦場へ教え子を送り出した教師たちが、戦後になって、「自分たちも騙されていたのだ」と責任を転嫁したのと、論理構造は全く同じだ。

 彼らは皆、騙されていたのではない。
 戦時中の教師たちには、「イヤだ」と言う勇気がなかっただけであり、原発立地自治体の議員や首長たちは、原発利権が欲しいに過ぎない。

 「懲戒」等の脅しに屈服しただけの教師や、過疎や人口減少に悩む自治体を、一方的に責めるのは、フェアでない気もする。
 しかし一方で、人間としての最低限の誇りって、何なんだ、という思いもある。

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